ペルシア戦争とアテネ民主政について
ペルシア戦争とアテネ民主政について考えてみます
・ペルシア戦争について
・紀元前500年ころに、全てのオリエントを統一して大帝国になったアケメネス朝ペルシアの
支配に対して、ミレトスを中心としたイオニア地方のギリシア人植民市が反乱を起こした
=これをきっかけに始まった戦争を、ペルシア戦争という
※ギリシア人側はアテネが支援していた
・ペルシア戦争の様子について
・まず、ペルシアは反乱を支援したアテネに遠征軍を送った
→しかし、アテネは民主政によって団結を強めたアテネ市民の重装歩兵軍を構えていた
=そのため、紀元前490年に起きたマラトンの戦いという戦いで、
アテネはペルシア軍を倒した
・次に、アテネはテミストクレスという人の指導によって海軍を拡充させた
=そのため、紀元前480年のサラミスの戦いという戦いでは、
ギリシア連合軍がテミストクレスの指揮のもとで、ペルシアの大軍を再び倒した
・そして、紀元前479年に起きたプラタイアの戦いという戦いで、
ギリシア側の勝利が確定した
=勝利の確定によってギリシア人は、オリエントの専制的な支配から、
ポリスの独立と自由を守ったという自信を持った
・アテネの民主政について
・ペルシア戦争の勝利後に、エーゲ海周辺の多くのポリスは、
ペルシアが再び攻めてくることに対して備えるために
デロス同盟という同盟を結んで、アテネはデロス同盟のトップに立った
※デロス同盟とは
・エーゲ海沿岸を中心としたいくつかのポリスが
ペルシアの復讐に備えて結んだ軍事同盟のこと
・この同盟が始まった時に、同盟の金庫がデロス島というところにあったので、
デロス同盟と呼ばれるようになった
・アテネは、強力な海軍があったことで、ほかのデロス同盟の国々に対する
支配を強めていった
・一方で、国内では無産市民(軍艦の漕ぎ手として戦争に参加していた市民)の
発言力が強まっていった
→この歴史を背景にして、紀元前5世紀のなかばごろ、
将軍のペリクレスという人の指導によって、アテネの民主政が完成した
・アテネ民主政の特徴について
・アテネ民主政では、民会での多数決によって、国の政策を決めていった
※民会・・成年、男子、市民という条件を全てクリアした人が
集まった全体の集会のこと
・将軍などの一部を除いて、一般市民から抽選された任期1年の役人が行政を担当した
※将軍は、軍事の最高職で、民会での選挙で選ばれていた
・裁判は、抽選で選ばれた多くの陪審員が、民衆裁判所という裁判所で
投票によって判決を出していた
・市民は、貧富に関わらず平等に参政権を持っていた
→平等に参政権を持たせた理由は、
出来る限り多くの人が政治に参加してほしいという意図があった
※参政権については、ぺリクレスという人が提案した法によって、
以下の条件がすべて当てはまる人に与えられた
・両親が両方ともアテネ人の生まれである
・18歳以上の男性
・役人や政治家の責任については、弾劾裁判などを使って厳しく追及された
※弾劾裁判とは・・一般市民が、役人や政治家のワイロなどの大きな犯罪を告発して、
裁判にかける制度のこと
→以上のようなアテネの民主政は、デロス同盟の国々を中心とした
ギリシアの様々なポリスに広がっていった
※現代の民主政治とどこが違うのか
・奴隷、在留の外国人、女性には参政権がない
・現在のような代議制(代表の誰かに政治で意見を代弁してもらう)ではなく、
市民全員が参加する直接民主制を採用していた
※一方で、市民団の中では政治的な平等が徹底しているという部分は似ていた
=結果的に、民主主義という考え方を世界で初めて生み出したという点で、
ギリシア民主政の世界史的な価値や意義は大きいと言われている
※英語で言われるデモクラシーという言葉は、「民衆の支配」を意味する
ギリシア語のデモクラティアという言葉が語源になっている
ポイント
・ペルシア戦争とその様子についておさえる
・アテネ民主政とその動き、周辺の影響などについておさえる
このあたりが今回のポイントです