日本財政の類型化―1、戦後復興・経済自立型財政
前回までは、戦後の税・財政の運営のあり方を時期区分しながら大まかに確認しました。第3章ではこの時期区分に沿って、日本の財政運営のあり方を深掘りし、その類型化を試みることにします。
1、 戦後復興型財政
戦後日本の最大の課題は、経済の復興と戦時の負債処理でした。1946年度予算を皮切りに、この時期の歳出の特徴について見てみましょう。
表3-1 昭和21年一般会計歳出改訂予算
(単位 100万円,%)
民生安定費 |
6,324 |
11.3 |
経済再建費 |
10,044 |
17.9 |
公共事業費 |
6,235 |
11.1 |
産業振興費 |
1,459 |
2.6 |
石炭価格調整補給金 |
2,129 |
3.8 |
出資及支出金 |
220 |
0.4 |
同胞引揚費 |
7,772 |
13.9 |
終戦処理費 |
19,000 |
33.9 |
国債費 |
5,048 |
9.0 |
(出所:納富ほか下記参考文献、13頁、表1-4より一部抜粋)
表3-1は昭和21年(1946年)の一般会計歳出予算、その中でも数字が大きいものを抜粋したものです。ここからわかるように、歳出の最大の経費は終戦処理費(約34%の構成比)です。次に大きいのが経済再建費で、その中でも公共事業費が突出して大きい。この経済再建費の財源として設立されたのが復興金融金庫(復金)です。その設置目的は、重要産業部門への設備投資資金の供給や生産力回復のための傾斜生産方式でした。復金の融資は傾斜生産が本格化した47年に大きく増加し、48年3月には全国銀行貸出残高の3分の1を占めるに至りました。復金の貸出資金に関しては、復金債でまかない、それを日銀引受に依存するというかたちをとりました。この段階では終戦処理が完了しているわけではないのにもかかわらず、復金債という借金に頼る、積極的な財政運営をしていたと言えるでしょう。また、1947年度の予算編成方針を見ても、「①経済力の回復を図ること、②財政もこの目的に集中する、③目的に関連しない財政支出は徹底的に圧縮する(注:納富ほか下記参考文献、17頁)」とされています。この方向性は、後に超均衡予算を採用するドッチが来日するまで続きました。このように見ると、終戦処理が大きな課題であったとはいえ、経済の再建にも相当な力を入れていたことがわかるでしょう。
1949年に入ると、米ソ冷戦の激化や中国革命の進展などを背景に、アメリカは対日占領政策の転換を図りつつありました。その流れの中でドッジが来日し、日本円の単一為替レートの設定とインフレの収束を目的とした超均衡予算の編成に着手しました。具体的な中身としては第1に、一般会計や特別会計はもちろん、地方財政も含めた財政全体の収支均衡をはかるという「総合予算の均衡」を目指すものでした。第2に、復金債などの過去の債務を償還する経費を計上した「超均衡予算」でした。こうして、第3に、予算上に現れていなかった価格差補給金をすべて予算に計上し、価格統制をなくすことでそれを漸次削減することとしました。こうした超緊縮予算は公共事業費や失業対策費、地方配付税などの大幅な削減にもつながりました。更に超均衡を達成するために徴税強化も進められ、国民にとっては苦しい政策でした。
このように、戦後直後のインフレ、それを抑えるための超均衡予算といった混乱の伴う厳しい状況下にありながらも、終戦処理をしつつ、傾斜生産方式によって財政を特定産業に集中し、経済再建・復興を図るというやり方は、戦後復興型財政と呼ぶことができるでしょう。
1-2 経済自立型財政
ドッチ・ラインの超均衡予算によってインフレの収束はほぼ達成し、国際的には360円レートが設定されたことにより、経済合理化と自立化の基盤が一応整いました。こうした中で1950年には朝鮮戦争が勃発し、これに伴う特需増大と輸出増大は日本経済を盛り上げ、いよいよ経済自立化へと走り出します。1950年に閣議決定された昭和26年度(1951年)当初予算の編成方針を見ても、「経済の自主自立態勢を一層推進して…(中略)…公正な国際競争力の充実とに寄与しうるよう、所要の転換を行う(注:納富ほか下記参考文献、55頁)」とした。所要の転換とは、「債務償還政策をやめ、経済基盤の充実のため国土の総合的保全開発を目的とする公共事業費の増額、電力・造船等の設備投資に預金部資金(資金運用部資金)を利用すること(注:同上、55-57頁)」でした。
経済自立に向けた政策は、税制面でも導入されました。朝鮮戦争ブームを背景に多額の自然増収が見込まれたため、大幅な政策減税が行われました。実際にこの時期の税制の特徴を見ると、減税規模の大きさがよくわかります。
表3-2 各年度の国税自然増収額に対する税制改正による減収額の割合
(単位 億円,%)
項目 年度 |
自然 増収額 |
総減収額 |
純減収額 |
||
減収額 |
割合 |
減収額 |
割合 |
||
27 28 29 30 |
2,695 1,803 630 425 |
1,021 1,109 321 395 |
37.9 61.5 51.0 92.9 |
759 1,052 130 395 |
28.2 58.3 20.6 92.9 |
(出所:佐藤ほか下記参考文献、59頁、表2-1)
表3-3 各年度の税制改正による減収額(平年度)
単位 億円、()内は減収総額にしめる割合(%)。
年度
税目 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
|
所得税 |
諸控除 |
732(35) |
460(41) |
941(105) |
601(48) |
288(170) |
305(46) |
税率 |
411(20) |
147(13) |
210(23) |
92(7) |
― |
132(20) |
|
その他 |
215(10) |
+2(―) |
+24(―) |
80(6) |
26(15) |
96(15) |
|
(小計) |
1,358(66) |
605(53) |
1,127(126) |
773(62) |
314(186) |
533(81) |
|
法人税 |
税率 |
― |
― |
+309(―) |
― |
― |
136(21) |
特別措置 |
5(0) |
11(1) |
118(13) |
107(9) |
26(15) |
+16(―) |
|
その他 |
239(12) |
34(3) |
― |
48(4) |
― |
|
|
(小計) |
244(12) |
45(4) |
+191(―) |
155(12) |
26(15) |
120(18) |
|
直接税合計 (その他も含む) |
1,463(71) |
623(55) |
960(107) |
912(73) |
369(218) |
653(99) |
|
間接税合計 |
605(29) |
510(45) |
+65(―) |
332(27) |
+200(‐) |
8(1) |
|
総計 |
2,068(100) |
1,133(100) |
895(100) |
1,244(100) |
169(109) |
661(100) |
(出所:佐藤ほか下記参考文献、59頁、表2-2)
表3-2を見てみましょう。これは国税自然増収額に対する税制改正による減税額の割合を示したものです。佐藤ほかによれば、減税額は昭和28年度(1953年)が最大で、昭和27年度(1952年)も1,000億円を超えています。昭和30年(1955年)に至っては、割合で見ればなんと90%を超えています。次に表3-3を見ると、諸控除の引き上げを中心とする所得税減税の大きさが目立ちます。これらを見ると、この時期における所得税減税が国民負担の軽減および資本蓄積のために非常に重要な政策課題であったことがわかるでしょう。
このように、戦後復興から経済自立化という一連の流れの中で、国を挙げて財政を産業政策に利用し、税制も産業政策の一部として組み込むというやり方がある程度定着したと言えます。こうした財政運営は1955年以降の本格的な経済成長を迎えるにあたって、次節で検討する開発主義国家型財政の重要な土台となりました。
参考文献
・佐藤進、宮島洋『戦後税制史』税務経理協会、1990年、1-66頁
・重森暁『日本財政論』青木書店、1983年、78-81頁
・納富一郎、岩元和秋、中村良広、古川卓萬『戦後財政史』税務経理協会、1988年、1-107頁