漢代の社会と文化について
漢代の社会と文化ついて考えてみます
・漢代の社会と文化について
・中国では、春秋・戦国時代に氏族制度が崩れて以来、
5~6人程度の小家族によって行われる農業経営が中国の経済を支えていた
※秦と漢の国家が理想としたのも、皇帝が官僚を使って
小家族の農民たちを直接おさめる体制だった
→実際には、飢饉、徭役、重い税が理由で、土地を売って没落する農民も多かった
=この時に、多くの土地を買い集めた豪族は、没落した農民を奴隷や小作人として
支配下に入れて勢力をのばした
※皇帝は、豪族の土地所有を制限しようとする政策をとったものの、
効果は得られなかった
=結果的に、地方の長官の推薦による官吏登用法(郷挙里選)によって、
勢力のある豪族は官僚となって国の政治に進出した
・漢代の初めに、法家や道家の思想が力を持った
→武帝の時代は、董仲舒という人の提案によって、儒学が官学になった
=その結果、礼と徳の思想を重視することによる社会秩序の安定化が目指された
→儒学の主な経典として、五経が定められた
※特に、後漢の時代には、鄭玄などの学者による訓詁学というのが発展して、
経典の詳しい注釈書が作られた
※五経・・一般的に、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」の5つを指す
→一方で、陰陽五行の考え方も広く信じられるようになった
※この考え方は、王朝の交替の説明に用いられるなど、
政治的にも大きな影響力があった
・当時の書物は、主に竹簡に書かれていた
→その後、後漢の時代に製紙技術が改良されたため、紙が次第に普及していった
・文字は、今日の漢字と大差のない隷書というものに統一された
※この時に、辞書も作られた
・漢代以前の歴史を伝えるもっとも重要な書物として、
武帝の時期の司馬遷という人がまとめた「史記」だった
→「史記」は、大昔から武帝の時期にいたるまでの歴史を紀伝体で書き、
当時を生き生きと描いている
※歴史書の書き方には、紀伝体と編年体の2種類がある
・紀伝体・・皇帝の事績(本紀)と功臣などの伝記(列伝)を中心とする歴史書の書き方
・編年体・・年月順に記す歴史書の書き方
→「史記」とそれに続く後漢の班固という人が書いた「漢書」以後、
紀伝体が中国の歴史書のもっとも基本的な形になった
ポイント
・漢代の社会と文化についておさえる
このあたりが今回のポイントです