アメリカ先住民とマヤ文明・アステカ文明・インカ文明について
アメリカ先住民とマヤ文明・アステカ文明・インカ文明について考えてみます
・アメリカ先住民について
・アメリカ大陸は、ベーリング海峡がアジアとつながっていた氷河時代というのがあった
→氷河時代に、モンゴロイド系と思われる人々が渡来し、定着した
※この先住民は、のちにヨーロッパ人からインディオとかインディアンと呼ばれることになる
=この人たちは、それぞれの地域の環境に適応した文化を発展させた
・今日ほぼアメリカ合衆国となっている北アメリカの地域には、
狩猟と採集を中心とする文化を持ったインディアンの世界が広がっていた
・一方で、中央アメリカのメキシコ高原や、南アメリカのアンデス高地では、
トウモロコシなどを栽培する農耕文化が紀元前2千年紀から発展した
→その後、高度な都市文明が成立していった
・アメリカ大陸の文明はユーラシア大陸の文明との交流がほとんどなかった
→しかし、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモ、トマトなどのアメリカ大陸の物産は、
大航海時代以降、各地を通して世界各地に伝えられて、
各地の食生活を大きく変えることになった
・マヤ文明・アステカ文明・インカ文明について
・アメリカ大陸の都市文明の初めとして、オルメカ文明が紀元前1000年ころまでに
メキシコ湾岸で成立した
→その後、オルメカ文明は、周辺の様々な文明に影響を与えた
・中央アメリカのユカタン半島には、4世紀ころから9世紀にかけて、
マヤの都市国家が栄えた
※この時に、ピラミッド状の建築物、二十進法による数の表記法、精密な暦法、
絵文字などを持つ独自の文明を発達させてきた
・紀元前2世紀にメキシコ高原でテオティワカン文明という文明が誕生した
→メキシコ高原では、12世紀のなかごろからアステカ人が進出してきた
=アステカ人は14世紀にテノチティトテンを首都とする王国を作った
※アステカ文明もピラミッド型神殿や絵文字を持っていた
・一方で、アンデス高原では、紀元前1000年ころに北部にチャビン文化が成立した
→その後、様々な王国が誕生した
=そして、15世紀の後半に、エクアドルからチリにまで広がる
インカ帝国という国が成立した
※インカの文明の代表的なものに、マチュ=ピチュがある
→マチュ=ピチュに見られるように、インカ文明は石造建築の技術に優れ、
灌漑施設を利用した農業を行っていた
→さらに、インカの文明は、文字を持たなかったものの、
縄の結び方で情報を伝えるキープ(結縄)によって記録を残していた
→インカ帝国では、太陽の崇拝が行なわれた
※中でも、国王(インカ)は太陽の化身として扱われた
=以上のような南北アメリカ文明は、金、銀、青銅器は持っていた
(青銅器は南アメリカのみ)が鉄器は使っていなかった
※また、車輪や馬も利用されていなかった
ポイント
・アメリカ先住民の動きについておさえる
・マヤ文明・アステカ文明・インカ文明についておさえる
このあたりが今回のポイントです