中世の世界の交流と銀について
中世の世界の交流と銀について考えてみます
・中世の世界の交流と銀について
・16世紀に入ると、様々な大陸を結ぶ海上交易が発展した
→その結果、各地の海域の世界がお互いに密接に結び付くようになった
=このように遠距離商業が活発になったのは、銀の増産が影響していると言われている
※実際に、銀については以下のような動きがあった
・アメリカ大陸の征服を進めたスペインによって、ラテンアメリカの銀山が開発された
→この動きによって、大量の銀がアジアやヨーロッパに流れ込んだ
・日本でも銀山の開発が進んだ
・また、東南アジアのコショウや香料、中国の生糸、インドの綿花など、アジアの特産品が
銀によって買い付けられるということが起きていた
→そのため、特産品の販路が急速に拡大していった
・アジアに進出したヨーロッパ商人と現地の政権や商人とは、貿易の利益のために協力したり、
場合によっては対立したりするという複雑な関係を結んでいた
※東アジアの海域でも、日本人や中国人の密貿易集団(倭寇)やポルトガルやオランダなどの
ヨーロッパの勢力の活動が活発化していった
→そのため、明の海禁政策が崩れるということも起きた
・国際商業が発展したことで、火縄銃や大砲などのヨーロッパの新式火器が
アジア各地に広まった
※新式火器は、新しく出てきた政権を支えたと言われている
→さらに、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモ、トマトなどの
アメリカ大陸の作物も世界に広まった
※作物の世界への広まりは、人々の生活に大きな影響を与えたと言われている
ポイント
・中世の世界の交流の様子を、銀を中心におさえる
このあたりが今回のポイントです