中世の東アジアの海洋について
東アジアの海洋について考えてみます
・東アジアの海洋について
・8世紀から、アラブやイランのムスリム商人が、海上に進出してきた
→ムスリム商人は、広州や泉州など、中国沿岸の海港に出入りして居留地を作るようになった
・10世紀以降は、中国がめざましい経済発展を遂げた
→すると、中国人の海上進出も活発になった
※宋と元の時代には、海の道による交易が著しく発展していった
・宋の時代の中国では、青磁や白磁などの陶磁器の生産が盛んになった
※陶磁器は、絹や銅銭などと一緒にジャンク船という船によって各地に輸出された
・中国商人による交易の範囲は、東シナ海、南シナ海、インド洋にまで及んだ
→陶磁器を主要な交易品とするこのルートを陶磁の道ということもある
・元の時代に、海上貿易が盛んに行われた
※しかし、14世紀の半ばに元の力が衰えるということが起きた
→すると、倭寇の活動が活発化し、朝鮮半島や中国の沿岸で
倭寇が略奪を行うようになった
※倭寇・・・「日本人の盗賊」という意味で、倭寇は14世紀中心の前期倭寇と
16世紀中心の後期倭寇に分かれる
・その後、14世紀の後半に明が誕生した
→明は、以下のようなことを行った
・倭寇の活動をおさえるために、海禁政策を取った
・鄭和の艦隊を東南アジアやインド洋に派遣して南海諸国の朝貢を促した
=この動きの結果、鄭和の遠征の終了後に海禁政策のもとで
中国人の海上進出が停滞した
※しかし、東シナ海交易圏と南シナ海交易圏の接点に位置する琉球王国は、
明への朝貢を積極的に行った
=そして、琉球王国は東シナ海と南シナ海の交易圏を結ぶ中継貿易によって繁栄した
ポイント
・東アジアの海洋の様子についておさえる
・東アジアの海洋の流れと動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです