明の朝貢体制について① -朝貢体制の概要-
明の朝貢体制について、朝貢体制の概要について考えてみます
・明の朝貢体制について
・明を中心とする朝貢貿易は、東アジアからインド洋にいたる広い範囲で活発に行われた
※特に、15世紀の初めに中山王という人によって統一された琉球(現在の沖縄)は、
明との朝貢貿易で得た物資を使って東シナ海と南シナ海とを結ぶ
交通の重要な場所でもあった
・14世紀の終わりころに、マレー半島西南部でマラッカというのが成立した
→マラッカでは、以下のようなことが起きた
・鄭和の遠征をきっかけに急成長した
・インド洋と東南アジアを中継する位置を利用して、ジャワのマジャパヒト王国にかわって
東南アジア最大の貿易拠点になった
・朝鮮は、明の重要な朝貢国の一つだった
→そのため、朝鮮は科挙の整備や朱子学の導入など、明の制度を取り入れた改革を行った
→15世紀前半の世宗という人の時代には、金属活字による出版や
訓民正音(ハングル)の制定など、特徴のある文化の事業が盛んだった
・日本は、9世紀の終わりの遣唐使の廃止以来途絶えていた中国への朝貢が
明の初めの時代に復活した
※室町幕府の足利義満は、明から日本国王に封ぜられて、明との勘合貿易を始めた
・明軍を撃退して独立したベトナムの黎朝というところも明と朝貢関係を結んだ
→黎朝は、明の制度を取り入れ、朱子学を振興することで、支配を固めていった
・北方のモンゴルの様々な部族は、明との交易を求めていた
→しかし、朝貢制度による回数や規制の制限が不満だったので、
北方のモンゴル民族は何度か中国に侵入した
・15世紀半ばに西北モンゴルのオイラトという勢力がエセン=ハンという人のもとで
強くなっていった
→そして、明の正統帝を土木堡というところでとらえ、北京を包囲した
=明の正統帝をとらえたこの出来事を、土木の変という
※土木の変あたりから、明は海外に対して保守的な体制に転じ、
北方の長城を改修してモンゴルの侵入に備えた
ポイント
・明の朝貢体制の流れと内容、各地域との対応についておさえる
このあたりが今回のポイントです