明の初期の政治について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/14 05:12      
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明の初期の政治について考えてみます

 

 

・明の初期の政治について

 

 

 

 ・洪武帝は、元の終わりの混乱をおさめることをめざし、以下のようなことを考えた

  →・皇帝のもとに権力を集中させた

   ・農村の末端まで統制を行ない、秩序の再建と民衆の生活を安定させることを狙った

 

 

 

 

 ・そして、洪武帝は実際に以下のようなことを行った

  →・元の時代に政治の中枢を担当していた中書省という省庁と、

    その長官の丞相(補佐的な地位)を廃止した

   

   ・六部を皇帝に直属させて、ほとんどのことを皇帝が直接決めるという体制を作った

     

   ・農村では、全国的な人口調査をベースに里甲制を行い、租税台帳や土地台帳を整備した

     ※里甲制とは

      →110戸をめやすに1里を構成し、財力のある10戸を里長戸とし、

       残りの100戸の甲首戸を10甲に分け、10年に1巡の輪番で

       里甲内の徴税事務や治安維持にあたらせた制度のことで、

       里内の人望ある長老を里老人といい、里内の裁判や教化を担当させた

     ※租税台帳を賦役黄冊、土地台帳を魚鱗図冊という

     

   ・民衆の教化のために、6カ条の教訓(六諭)を定めて、里ごとに唱えさせた

    ※六諭は、里老人に毎月6回となえさせた

 

   ・官制の面では、朱子学を官学として科挙制を整備した

    

   ・軍制の面では、軍戸の戸籍を設けて衛所制というところを編制した

    ※衛所制・・112人で百戸所、10百戸所で千戸所、5千戸所で1衛を編制した

 

   ・洪武帝の息子たちを王として、北方の辺境に配置して、対モンゴルとの防衛にあたらせた

 

   ・東南沿海では、海禁政策をとった

    →そのため、民間人の海上交易を許さずに、政府の管理する朝貢貿易を推進した

 

 

 

 

 ・洪武帝が死んだ後、位をついだ建文帝という人が様々な王の勢力の削減を目指した

  →すると、北方の防備にあたった様々な王のうち、北平(北京)に

   本拠地をおいた燕王という人は、建文帝という人に対抗して挙兵した

   =この挙兵を、靖難の役という

    →靖難の役で、燕王が勝利したため、燕王は南京を占領して永楽帝という帝位についた

   

 

 ・永楽帝は、首都を北京に移して以下のような、積極的な対外政策を取った

  →・北方では、自ら軍を引き連れてモンゴル高原に遠征した

   ・南方ではベトナムを一時的に占領した

   ・イスラーム教徒の宦官だった鄭和という人に命令して、

    艦隊を連れてインド洋からアフリカ沿岸にまでいたる

    数回の遠征を行わせ、南海諸国に明朝へ対する朝貢を勧誘した

 

 

ポイント

・明の初期の政治についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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