明の初期の政治について
明の初期の政治について考えてみます
・明の初期の政治について
・洪武帝は、元の終わりの混乱をおさめることをめざし、以下のようなことを考えた
→・皇帝のもとに権力を集中させた
・農村の末端まで統制を行ない、秩序の再建と民衆の生活を安定させることを狙った
・そして、洪武帝は実際に以下のようなことを行った
→・元の時代に政治の中枢を担当していた中書省という省庁と、
その長官の丞相(補佐的な地位)を廃止した
・六部を皇帝に直属させて、ほとんどのことを皇帝が直接決めるという体制を作った
・農村では、全国的な人口調査をベースに里甲制を行い、租税台帳や土地台帳を整備した
※里甲制とは
→110戸をめやすに1里を構成し、財力のある10戸を里長戸とし、
残りの100戸の甲首戸を10甲に分け、10年に1巡の輪番で
里甲内の徴税事務や治安維持にあたらせた制度のことで、
里内の人望ある長老を里老人といい、里内の裁判や教化を担当させた
※租税台帳を賦役黄冊、土地台帳を魚鱗図冊という
・民衆の教化のために、6カ条の教訓(六諭)を定めて、里ごとに唱えさせた
※六諭は、里老人に毎月6回となえさせた
・官制の面では、朱子学を官学として科挙制を整備した
・軍制の面では、軍戸の戸籍を設けて衛所制というところを編制した
※衛所制・・112人で百戸所、10百戸所で千戸所、5千戸所で1衛を編制した
・洪武帝の息子たちを王として、北方の辺境に配置して、対モンゴルとの防衛にあたらせた
・東南沿海では、海禁政策をとった
→そのため、民間人の海上交易を許さずに、政府の管理する朝貢貿易を推進した
・洪武帝が死んだ後、位をついだ建文帝という人が様々な王の勢力の削減を目指した
→すると、北方の防備にあたった様々な王のうち、北平(北京)に
本拠地をおいた燕王という人は、建文帝という人に対抗して挙兵した
=この挙兵を、靖難の役という
→靖難の役で、燕王が勝利したため、燕王は南京を占領して永楽帝という帝位についた
・永楽帝は、首都を北京に移して以下のような、積極的な対外政策を取った
→・北方では、自ら軍を引き連れてモンゴル高原に遠征した
・南方ではベトナムを一時的に占領した
・イスラーム教徒の宦官だった鄭和という人に命令して、
艦隊を連れてインド洋からアフリカ沿岸にまでいたる
数回の遠征を行わせ、南海諸国に明朝へ対する朝貢を勧誘した
ポイント
・明の初期の政治についておさえる
このあたりが今回のポイントです