明の朝貢体制について② -朝貢体制の動揺-
明の朝貢体制について、朝貢体制の動揺の様子を考えてみます
・朝貢体制の動揺について
・16世紀になると、大航海時代によって世界的な商業の活発化が進んだ
→この商業の活発化が明を中心とする朝貢体制を動揺させたと言われている
・東南アジアでは、コショウなどの香辛料の輸出が大幅に伸びた
→そのため、貿易の利益をめぐって、ヨーロッパの勢力や新興の交易国家が
争いを繰り広げ始めた
・イスラームに改宗していたマラッカ王国が、16世紀の初めにポルトガルに占領される
ということが起きた
→すると、スマトラ島のアチェ王国やジャワ島のマタラム王国などのイスラーム国家が
勢力を伸ばして諸島部の新しい貿易の中心地になり、ポルトガルに対抗した
・インドシナ半島では、タイのアユタヤ朝やミャンマーのトゥングー朝などの仏教の国が、
米や獣皮などの産物を利用して、貿易の利益を出すことで繁栄した
・16世紀からは、中国の周辺でも国際商業が繁栄した
→特に、16世紀のなかばには、北方のモンゴルや、東南海岸の倭寇の活動が激しくなって、
明を圧迫した
=この出来事を、北虜南倭という
※当時のモンゴルを統合していたアルタン=ハンという人は、何度か長城を超えて侵入し、
1550年には北京を包囲した
→北虜南倭は、貿易の利益を求める人々が明の統制政策を打破しようとする動きだった
※北虜南倭には、多くの中国人も加わっていた
=北虜南倭の結果、以下のようなことが起きた
・明は海禁政策を弱めざるを得なくなった
・当時急速に生産をのばした日本の銀や、アメリカ大陸のスペイン植民地で
採掘された銀が大量に中国に流入した
・中国の貿易商人たちが、東南アジア各地に進出して、中国人町を作った
ポイント
・明の朝貢体制の動揺についておさえる
このあたりが今回のポイントです