明の後期の社会と文化について
明の後期の社会と文化について考えてみます
・明の後期の社会と文化について
・国際商業の活発化は、中国国内の商工業の発展を促した
※長江の下流域では、綿織物や生糸に代表される家内制手工業が盛んになった
→そのため、家内制手工業のための原料になる綿花や養蚕に必要な桑の栽培が普及した
=すると、明の末期には長江中流域の湖広(現在の湖北・湖南省)が
新しい穀倉地帯になった
※また、景徳鎮というのが代表的になった陶磁器も生産をのばした
=結果的に生糸や陶磁器は、日本やアメリカ大陸、ヨーロッパに輸出される
代表的な国際商品だった
・商業や手工業の発展に伴って、山西商人や徽州(新安)商人など、
明の政府と結びついた特権商人が全国的に活動して、巨大な富を築いていった
※大きな都市には、同郷の出身者や同業者の互助や親睦を深めるための会館や公所も作られた
※税の納入が銀で行われるようになった
→16世紀には、一条鞭法の改革が行なわれた
※一条鞭法・・それぞれの銀や徭役を銀に一本化して納めること
・貨幣経済の発展とともに、都市には商人や郷紳などの富裕な人々が集まった
→このような富裕な人達は、庭園の建設や骨董の収集などを行い、文化的な生活を楽しんだ
※明を代表する画家と書家であった董其昌という人のように、
高級の官僚を経験しながら芸術家として有名になっていった文化人も多かった
・木版印刷による書物の出版も急増した
→そのため、科挙の参考書や小説、商業や技術関係の実用書などが多数出版され、
書物の購買層が広がった
※「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」「金瓶梅」などの小説が多くの読者を得た
※庶民向けの講談や劇も都市のさかり場や農村などでさかんに演じられた
・儒学の中では、16世紀の初めに王守人(王陽明)という人が、心即理を主張した
→そのため、外面的な知識や修養による当時の朱子学の傾向を批判した
※心即理・・勉強をしていない庶民や子どもでも、最初から心のなかに
真正の道徳を持っているという考え方のこと
・さらに、致良知や知行合一を提唱した陽明学が、学者に加えて庶民の間でも広い支持を得た
※致良知・・ありのままの善良な心に戻ること
知行合一・・ありのままの心に合わせて実践を行うこと
・明の末期の文化の一つの特色は、科学技術への関心の高まりだと言われている
→李時珍の「本草綱目」、徐光啓の「農政全書」、宋応星の「天工開物」、
徐光啓などが編集の「崇禎暦書」、などの科学技術書が当時作られた
※この時代の科学技術書は、日本や東アジア諸国などにも影響を与えた
・当時の科学技術の発展には、16世紀半ば以降東アジアに来航したキリスト教宣教師の活動も
重要な役割を果たしたと言われている
※日本でのキリスト教普及の基礎を作ったイエズス会宣教師の
フランシスコ=ザビエルという人は、中国での布教を目指したが実現しなかった
→その後、マテオ=リッチという人などが16世紀の終わりに、中国に入って布教を行った
→日本と中国では、キリスト教の動きについて以下のような違いがあった
・日本・・キリスト教が庶民層に広まった
・中国・・ヨーロッパの天文学や地理学、軍事技術など科学技術に関心を持つ士大夫層が
キリスト教を受け入れた
※リッチなどが作った世界地図の「坤輿万国全図」は、中国に新しい地理知識を広めて、
日本にも伝えられた
ポイント
・明の後期の社会についておさえる
・明の後期の文化についておさえる
このあたりが今回のポイントです