イタリア戦争と主権国家体制・絶対王政について
イタリア戦争と主権国家体制・絶対王政について考えてみます
・イタリア戦争と主権国家体制・絶対王政について
・1494年に、フランスがイタリアに侵入するということが起きた
→すると、神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)・スペイン王家などがこれに対抗した
=その結果、イタリア戦争が起こった
→イタリア戦争は、神聖ローマ皇帝カール5世とフランス王フランソワ1世との間で
ヨーロッパの覇権をめぐる争いに発展していった
=この戦争は、イギリスなど多くの国を巻き込みながら、16世紀のなかばまで続いた
※その後も、フランス王家とハプスブルク家の対立は、18世紀のなかばまで
ヨーロッパの国家関係の重要な対立の視点になった
・また、ヨーロッパの国々はこの時期、東方からオスマン帝国の圧力を受けた
→さらに、新大陸やアジアへと海外進出を競い合った
→そして、お互いに領土の獲得や宗教の政策をめぐって対立した
=その結果、戦争と妥協を繰り返す恒常的な緊張状態になった
※しかも、イタリア戦争以後に、戦争が長期化かつ大規模化して、
兵器や防護技術も進歩した
→この時に、今までの技術とは違う新しい戦争のスタイルが生み出されたので、
軍事革命とも言われた
→当時は、多くの兵員と莫大な軍事費を調達するために、それぞれの国は
以下のような動きを見せた
・徴税機構を中心に行政組織を整備して、国内の統一的な支配を強めた
・統一的な支配の過程で、多くの国は自己の支配領域を明確な国境で囲い込んだ
・外に対して君主だけが国を代表する国内秩序を築くようになった
=このような国家を主権国家という
※主権国家は、近代国家の原型になった
・スペイン、フランス、イギリスなどでは、主権国家が出来ていた時期に、
絶対王政という国王統治体制が出来た
→絶対王政のもとでは、社会は今までの身分制度が残っていた
※その中で領主である貴族や聖職者たちは免税などの特権を持つ中間団体を形成した
→そうすることで、国王による国民の直接支配をさまたげた
=このような状況のため、国王は以下のようなことを行った
・商人や金融業者などの有産市民層(ブルジョワジー)を社会的に上昇させた
・ブルジョワジーに経済上の独占権を与えるなどして、協力関係を強めていった
・当時は、西ヨーロッパで経済活動に対する規制が緩んだ
→その結果、問屋制が広まっていった
※問屋制について
・問屋制・・商人が手工業生産者に道具や原料を前貸しして生産を支配する制度のこと
・当時の工業は、マニュファクチュア(工場制手工業)という形態も見られた
※マニュファクチュア・・資本家が労働者を仕事場に集め、
分業の方式で生産を行う方式のこと
→問屋制の動きは、資本家が賃金労働者を雇って、市場向けの生産を行う資本主義的生産の
始まりを示すものだったと言われている
→その後、商工業者がさらに発達していった
=すると、商工業を担った市民層のなかには、より自由な経済活動と政治への参加を求めて
王権に批判的になる勢力も出てきた
ポイント
・イタリア戦争についておさえる
・主権国家体制と絶対王政についておさえる
このあたりが今回のポイントです