近世・近代ヨーロッパのフランスの様子について
近世・近代ヨーロッパのフランスの様子について考えてみます
・フランスの宗教による内乱と絶対王政について
・フランスは百年戦争の結果、国内のイギリス領をほぼ一掃して、
中央集権国家への道を進んでいった
※しかし、旧教国のフランスでも、16世紀のなかばからユグノーと呼ばれる
カルヴァン派の新教徒勢力が無視できなくなってしまった
=その結果、シャルル9世と母親の摂政カトリーヌ=ド=メディシスのもとで、
ユグノー戦争というのが起きた
※ユグノー戦争について
・この内乱は、新旧の両方の宗派の対立が貴族間の党派争いと結びついたものだった
→この内乱は、サンバルテルミの虐殺などの事件もありながら、30年以上続いた
・この内乱では、外国勢力の介入も認められた
→そのため、フランスには、ボーダンなど、宗教の問題以上に国家の統一を
優先する人々が増えていった
・この内乱の時に、ブルボン家のアンリ4世という人は、
王位についた時に新教から旧教に改宗した
※この後、1598年にナントの王令(勅令)で、ユグノーにも大幅な
信教の自由を与えた
=このようにして自由を与えたことで、ユグノー戦争を終わらせた
→ユグノー戦争の後で、フランスの国家としてのまとまりが維持されるようになった
※フランスは、旧教国にとどまったが、教皇権に対してフランスの教会の独立性を
主張する考え方が強くなっていった
・アンリ4世に始まるブルボン朝のもとで、フランスは絶対王政の全盛期を迎えた
→当時、ルイ13世の宰相のリシュリーという人は、以下のようなことを行った
・王権に抵抗する貴族やユグノーをおさえて、三部会を開かなかった
・国際政治の面で、三十年戦争の時に、新教勢力の立場に立って、
ハプスブルク家の皇帝権力をくじこうとつとめていった
・幼少のルイ14世が即位した後、1648年高等法院や貴族が
フロンドの乱という反乱を起こした
※しかし、この反乱があっても宰相のマザランという人による王権強化の政策は
継続されていった
ポイント
・フランスの宗教の対立による内部の様子をおさえる
・フランスの絶対王政の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです