<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 内陸アジア史</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/category/world-history/inner-asian-history/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/category/world-history/inner-asian-history/feed" />
	<item>
		<title>内陸アジア史を時系列でまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/811</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/811#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:18:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[まとめさん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内陸アジア史]]></category>
		<category><![CDATA[まとめ]]></category>
		<category><![CDATA[世界史]]></category>
		<category><![CDATA[内陸アジア]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=811</guid>
		<description><![CDATA[まとめてみました &#160; &#160; ・遊牧民とオアシス民の社会と生活について &#160; &#160; ・トルコの社会について &#160; &#160; ・モンゴルの民族と帝国について &#160; &#038;nb [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/811">内陸アジア史を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>まとめてみました</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/806" target="_blank">遊牧民とオアシス民の社会と生活について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/807" target="_blank">トルコの社会について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/808" target="_blank">モンゴルの民族と帝国について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/809" target="_blank">元の東アジア支配について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/810" target="_blank">モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について</a></p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/811">内陸アジア史を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/811/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/811" />
	</item>
		<item>
		<title>モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/810</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/810#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 14:02:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内陸アジア史]]></category>
		<category><![CDATA[イスラム教]]></category>
		<category><![CDATA[イル＝ハン国]]></category>
		<category><![CDATA[キプチャク＝ハン国]]></category>
		<category><![CDATA[チャガタイ＝ハン国]]></category>
		<category><![CDATA[パスパ文字]]></category>
		<category><![CDATA[マルコ＝ポーロ]]></category>
		<category><![CDATA[モスクワ大公国]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル]]></category>
		<category><![CDATA[ルイ9世]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ教皇]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=810</guid>
		<description><![CDATA[モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について考えてみます &#160; &#160; ・モンゴル時代のヨーロッパとの交流の様子について &#160; &#160; 　・モンゴル帝国が出来たことで、東西の交通網が整 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/810">モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・モンゴル時代のヨーロッパとの交流の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル帝国が出来たことで、東西の交通網が整備されたことがあり、</p>
<p>　　東西の文化の交流が盛んになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、西ヨーロッパは、イスラーム地域を占領したモンゴル帝国に関心を持っていた</p>
<p>　　→そのため、西ヨーロッパの人達は、以下のような動きをおこした</p>
<p>　　　・ローマ教皇・・プラノ＝カルピエという人を使節としてモンゴル高原に送った</p>
<p>　　　・フランスの王であったルイ９世・・ルブルックという人を使節として</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　モンゴル高原に送った</p>
<p>　　　　※イタリアの商人だったマルコポーロという人は、大都に来て元につかえ、</p>
<p>　　　　　その様子をまとめた「世界の記述」（「東方見聞録」）という作品を書いた</p>
<p>　　　</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の宗教と文化の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル帝国は、一時期イスラーム教を圧迫するということが起きた</p>
<p>　　→その後、キプチャク＝ハン国が、さらにその後イル＝ハン国が、</p>
<p>　　　イスラーム教を保護するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、元に来た色目人にイスラーム教徒が多かった</p>
<p>　　→そのため、中国にもイスラーム教が広がっていった</p>
<p>　　　※イスラームの天文学を取り入れて、郭守敬という人が作った授時暦というのは、</p>
<p>　　　　後に日本にも取り入れられた</p>
<p>　　　　＝授時暦は、江戸時代の貞享暦を指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・元からイル＝ハン国に中国絵画が伝えられた</p>
<p>　　→この中国絵画が、イランで発達した細密画（ミニチュアール）というのに</p>
<p>　　　大きな影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イル＝ハン国は、初期にネストリウス派という派閥のキリスト教を保護していた</p>
<p>　　※イル＝ハン国は、このキリスト教をヨーロッパのキリスト教諸国や</p>
<p>　　　ローマ教皇庁と使節を交換した</p>
<p>　　　＝この交換がきっかけになって、１３世紀の末にモンテ＝コルヴィノという人が派遣され、</p>
<p>　　　　大都の大司教になった</p>
<p>　　　　→この動きによって、初めて中国でカトリックが布教された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル支配下の地域では、漢語、チベット語、トルコ語、ペルシア語、ロシア語、</p>
<p>　　ラテン語など、様々な言語が使われていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、モンゴル語を表記するパスパ文字という文字もあった</p>
<p>　　※パスパ文字は、フビライの師匠だったチベット仏教の教主であるパスパという人が</p>
<p>　　　作ったものだった</p>
<p>　　　＝しかし、結果的にパスパ文字は廃れ、ウイグル文字でモンゴル語で表記することが</p>
<p>　　　　普通になった　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・モンゴル帝国の解体について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１４世紀に入ると、以下の大きな２つのことが起きた</p>
<p>　　→・ユーラシア全域で天災が続いた</p>
<p>　　　・モンゴル支配下の各地で、内紛によって政権が揺らぎ始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この時期に、以下のような様々な争いと動きが見られるようになった</p>
<p>　　→・チャガタイ＝ハン国では、分裂争いの中から、ティムールというところが出てきた</p>
<p>　　　　※この動きは、イル＝ハン国の支配していたイラン・イラクにまでいたる広大な地域に</p>
<p>　　　　　領土を広げていった</p>
<p>　　　・キプチャク＝ハン国では、１４世紀なかばころから内紛によって</p>
<p>　　　　政権のつながりが緩んできた</p>
<p>　　　　※この時に、モスクワ大公国が段々と勢力を伸ばしていった</p>
<p>　　　・中国では、放漫な財政や内紛などの影響で、元の統治が揺らぎ始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※さらに、この時期は交鈔の大量発行や専売制度の強化による飢饉などによって、</p>
<p>　　民衆が苦しめられていた</p>
<p>　　→そのため、紅巾の乱などを始めとして各地で反乱が起きるようになった</p>
<p>　　　＝結果的に、１３６８年に元は明軍に大都を奪われて、</p>
<p>　　　　モンゴル高原に退くことになってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・モンゴル時代のヨーロッパとの交流の様子についておさえる</p>
<p>・当時の宗教と文化の様子についておさえる</p>
<p>・モンゴル帝国の解体についておさえる</p>
<p>　</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/810">モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/810/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/810" />
	</item>
		<item>
		<title>元の東アジア支配について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/809</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/809#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 11:04:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内陸アジア史]]></category>
		<category><![CDATA[フビライ]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル帝国]]></category>
		<category><![CDATA[元]]></category>
		<category><![CDATA[北京]]></category>
		<category><![CDATA[官僚制]]></category>
		<category><![CDATA[東アジア]]></category>
		<category><![CDATA[漢人]]></category>
		<category><![CDATA[貨幣経済]]></category>
		<category><![CDATA[遠征軍]]></category>
		<category><![CDATA[駅伝制]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=809</guid>
		<description><![CDATA[元の東アジア支配について考えてみます &#160; &#160; ・元の東アジア支配について &#160; &#160; ・フビライの動きについて &#160; 　・モンゴル帝国で、相続争いの末に、第５代にフビライという [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/809">元の東アジア支配について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>元の東アジア支配について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・元の東アジア支配について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フビライの動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル帝国で、相続争いの末に、第５代にフビライという人が即位した</p>
<p>　　※フビライは、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　→・自分の勢力の強かった東方に支配への気持ちを向けた</p>
<p>　　　　・大都（現在の北京）に都を定めた</p>
<p>　　　　・１２７１年に、国名を中国風に元とした</p>
<p>　　　　・南宋を滅ぼして中国全土を支配した</p>
<p>　　　　・モンゴル高原と中国を領有した</p>
<p>　　　　・チベットや高麗を属国にした</p>
<p>　　　　・南方に進出し、日本、ベトナム、ミャンマー、ジャワ、チャンパーに遠征軍を送った</p>
<p>　　　　　※ただし、この遠征は強い抵抗にあって、多くの場合目的を達成できなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※遠征軍を送られた地域では、以下のようなことが起きていた</p>
<p>　　　→・ミャンマー・・パガン朝を滅亡させた</p>
<p>　　　　・タイ・・モンゴル人の雲南の侵入に押されて南下したタイ人が</p>
<p>　　　　　　　　　スコータイ朝とアユタヤ朝という王朝を作った</p>
<p>　　　　・ジャワ・・元軍が攻めてきたことをきっかけに、マジャパヒト王国というのが誕生した</p>
<p>　　　　　※全体的には、インド洋地域との交易も活発に行われ、</p>
<p>　　　　　　東南アジアのイスラーム化が進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・元の社会の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・元は、中国の統治の時に、中国の伝統的な官僚制を採用していた</p>
<p>　　→ただし、実質的な政策の決定は、中央政府の上層部を独占する</p>
<p>　　　モンゴル人によって行われていた</p>
<p>　　　※また、色目人と呼ばれる中央アジアや西アジアの出身の様々な民族が、</p>
<p>　　　　財務官僚として使われていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、金の支配下にあった人々は漢人、南宋の支配下にあった人々は南人と呼ばれていた</p>
<p>　　　※漢人は、華北の漢人の他に、契丹人や女真人などを指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そして、武人や実務官僚が重視され、科挙が行なわれた回数も少なかった</p>
<p>　　　＝結果的に、儒学の古典に通じた士大夫が官界で活躍することは少なかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・元の地理的な様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・元の時代には、中国もモンゴル帝国の広い範囲での交易網の中に組み込まれていた</p>
<p>　　＝そのため、長距離の商業が活発になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル帝国は初期から、交通路の安全の重視、交通路の整備や治安の維持、</p>
<p>　　駅伝制の施行などを行った</p>
<p>　　＝その結果、おもにムスリム商人の隊商によって、東アジアからヨーロッパまでの</p>
<p>　　　陸路貿易が盛んに行われた</p>
<p>　　　※駅伝制・・大都を中心とする道路にそって駅を作って、</p>
<p>　　　　　　　　　駅に周辺の住民から馬や食料などを提供させる制度のこと</p>
<p>　　　　　　　　　駅伝は、モンゴル語でジャムチという</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→この後、海上貿易が宋代に引き続いて発展していった</p>
<p>　　　※この時に、杭州、泉州、広州などの港市が栄えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、江南と大都を結ぶ南北の交通として、以下のような挙げられる</p>
<p>　　　・大運河が補修され、新運河が開かれるようになった</p>
<p>　　　・長江下流から山東半島をまわって大都に着くという海運も発達した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・元の文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・元の貨幣としては、銅銭、金、銀が使われていた</p>
<p>　　→後になって、交鈔というものが政府から発行された</p>
<p>　　　※交鈔は、多くの取引や輸送に便利だったため、元の基本的な通貨になった</p>
<p>　　　※使われなくなった銅銭は、日本などに流出して、</p>
<p>　　　　日本の貨幣経済を発達させることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※元の政府は、支配下の地域の社会や文化については基本的に放任的な態度を取っていた</p>
<p>　　→そのため、大土地所有が宋代から引き続いて発展していった</p>
<p>　　→同時に、都市の庶民文化も発展していった</p>
<p>　　　※中でも、戯曲は元曲として中国文学史上に重要な地位を占めていた</p>
<p>　　　　＝代表的な作品に「西廂記」や「琵琶湖」などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・フビライの動きをおさえる</p>
<p>・この当時の元の社会の様子についておさえる</p>
<p>・元の地理的な要素をおさえる</p>
<p>・元の文化についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/809">元の東アジア支配について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/809/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/809" />
	</item>
		<item>
		<title>モンゴルの民族と帝国について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/808</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/808#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 10:00:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内陸アジア史]]></category>
		<category><![CDATA[ウイグル人]]></category>
		<category><![CDATA[オゴダイ]]></category>
		<category><![CDATA[チンギス＝ハン]]></category>
		<category><![CDATA[テムジン]]></category>
		<category><![CDATA[ハイドゥ]]></category>
		<category><![CDATA[ホラズム]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル]]></category>
		<category><![CDATA[ワールシュタットの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[千戸制]]></category>
		<category><![CDATA[遼]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=808</guid>
		<description><![CDATA[モンゴルの民族と帝国について考えてみます &#160; &#160; &#160; ・モンゴルの民族と帝国について &#160; &#160; 　・モンゴル高原では、９世紀なかごろにウイグル人が滅亡した後は、統一勢力が出 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/808">モンゴルの民族と帝国について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>モンゴルの民族と帝国について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・モンゴルの民族と帝国について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル高原では、９世紀なかごろにウイグル人が滅亡した後は、統一勢力が出てこなかった</p>
<p>　　※このとき、様々な部族の多くは遼（契丹）に服従していた</p>
<p>　　　→その後、１２世紀初めに遼が滅ぶということが起きた</p>
<p>　　　　＝その結果、モンゴル高原の様々な部族の間で統合の動きが強まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらにその後、高原東北部のモンゴル部族の間で、テムジンという人が勢力をのばしてきた</p>
<p>　　→テムジンは、１２０６年のクリルタイでハンという位についた</p>
<p>　　　※このときに位についたテムジンを、チンギス＝ハン（成吉思汗）という</p>
<p>　　　　＝チンギス＝ハンは、モンゴル系、トルコ系の様々な部族を統一してモンゴル帝国を作った</p>
<p>　　　　　※・クリルタイ・・モンゴル語で集会という意味</p>
<p>　　　　　　・ハン・・遊牧民の間で使われていた、君主の称号のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　→チンギス＝ハンは、千戸制を採用した</p>
<p>　　　※千戸制・・帝国の軍事や行政の組織として、全部の遊牧民を１０００戸単位で</p>
<p>　　　　　　　　　編成する制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チンギス＝ハンを中心としたモンゴルの騎馬軍は、草原やオアシス地帯に支配を広げていった</p>
<p>　　→その後、騎馬軍はホラズムという国家を倒して、西北インドに侵入していった</p>
<p>　　　＝そして、結果的に西夏を滅ぼした</p>
<p>　　　　※ホラズム・・西遼を奪ったナイマン、西トルキスタン、イランなどの方面に</p>
<p>　　　　　　　　　　　誕生した新興国家のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チンギス＝ハンの死後に、オゴダイという人が即位した</p>
<p>　　→オゴダイは、金を滅ぼして華北を占拠すると同時に、カラコルムというところに都をおいた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、バトゥという人が連れていた軍が、西北ユーラシアの草原を制圧して</p>
<p>　　東欧に侵入するということが起きた</p>
<p>　　→その後バトゥは、１２４１年のワールシュタットの戦いという戦いで</p>
<p>　　　ドイツとポーランドの連合軍を倒してヨーロッパに驚きを与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そして、西アジアでフラグという人がバグダードというところを占領して、</p>
<p>　　アッバース朝という王朝を倒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のような動きの結果、１３世紀のなかばまでにモンゴルの支配が、</p>
<p>　　　東は中国北部から、西はロシアやイランにいたるほどの広大な領域に広がっていった</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→モンゴルの支配していた広大な領土の中には、チンギス＝ハンの子孫達が</p>
<p>　　統治する地方的な政権が作られた</p>
<p>　　※当時、チンギス＝ハンの子孫達が統治していたものには、以下のようなものがある</p>
<p>　　　・イランやイラクの方面にあったイル＝ハン国</p>
<p>　　　・南ロシアにあったキプチャク＝ハン国</p>
<p>　　　・中央アジアにあったチャガタイ＝ハン国　　など</p>
<p>　　　　＝当時のモンゴルは、これらの国が大ハンを中心にして緩やかに連合するという形だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、上のような勢力の間では、大ハン位をめぐる相続争いもしばしば起きていた</p>
<p>　　　→代表的なものに、ハイドゥという人とフビライという人との争いがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・モンゴルの民族と帝国についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/808">モンゴルの民族と帝国について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/808/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/808" />
	</item>
		<item>
		<title>トルコの社会について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/807</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/807#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 09:53:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内陸アジア史]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム王朝]]></category>
		<category><![CDATA[サーマーン朝]]></category>
		<category><![CDATA[ソグド商人]]></category>
		<category><![CDATA[タラス河畔の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[トルキスタン]]></category>
		<category><![CDATA[トルコ]]></category>
		<category><![CDATA[パミール高原]]></category>
		<category><![CDATA[ムスリム商人]]></category>
		<category><![CDATA[ムスリム群]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=807</guid>
		<description><![CDATA[トルコの社会について考えてみます &#160; &#160; ・トルコ民族の進出について &#160; 　・オアシス都市を結ぶ東西交易路に沿う地域の住民は、多くはイラン系だった &#160; 　・６世紀に突厥が誕生し、モ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/807">トルコの社会について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>トルコの社会について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・トルコ民族の進出について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オアシス都市を結ぶ東西交易路に沿う地域の住民は、多くはイラン系だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・６世紀に突厥が誕生し、モンゴル高原と中央アジアを統合する国家が誕生した</p>
<p>　　→すると、トルコ系の要素が加わるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８世紀ころから、突厥に代わって、ウイグル人がモンゴル高原に進出した</p>
<p>　　→ウイグル人は、ソグド商人の協力を得て、豊かな遊牧国家を作っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・９世紀に、ウイグル人の国家が、同じトルコ系遊牧民の攻撃を受けて滅び、</p>
<p>　　住民が四散してしまった</p>
<p>　　→その後、ウイグル人の一部は南下して唐の領域内に移住した</p>
<p>　　→また、他の一部は西に向かって天山山脈の東に着いた</p>
<p>　　　※ウイグル人の西方への移住は、はやい段階から天山山脈西方に進出していた</p>
<p>　　　　別のトルコ人集団を圧迫した</p>
<p>　　　　＝そのため、トルコ人集団をさらに西方に向かわせるきっかけになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・トルキスタンの成立について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※トルキスタンとは・・ペルシア語で「トルコ人の地域」という意味のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ウイグル人の国家が崩壊した後、トルコ系の遊牧民は天山山脈の南側や</p>
<p>　　中央アジアのオアシス都市へ移住した</p>
<p>　　※移住した人たちの多くが、定住生活に入っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・定住生活の人数が増えると、オアシスに住むイラン系の住民もトルコ語を習得して、</p>
<p>　　トルコ風の生活文化に親しんでいくようになった</p>
<p>　　＝トルキスタンの名称が使われるようになったのは、</p>
<p>　　　上のような数世紀間のトルコ化へ向かった結果だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・トルキスタンは、パミール高原というところを境にして、大きく東西に分けられた</p>
<p>　　→トルキスタンは、西と東で以下のような特徴がある</p>
<p>　　　・西トルキスタン・・イスラーム化以前は、ソグド人を中心として、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　ゾロアスター教が信仰されていた</p>
<p>　　　・東トルキスタン・・トルコ系のウイグル人を中心に、マニ教や仏教の信仰が盛んだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・トルコ人とイスラームとの関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８世紀の初め以降に、アラブのムスリム軍がトルキスタン地方に進出して、</p>
<p>　　支配しようとするということが起きた</p>
<p>　　</p>
<p>　・７５１年には、タラス河畔の戦いというのが起き、アラブのムスリム軍が</p>
<p>　　唐の軍隊を倒すということが起きた</p>
<p>　　→その結果、アラブ人の進出はさらに活発になり、ムスリム商人の活動も活発になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝９世紀ころ、アラル海というところの周辺まで進出していたトルコ人が、</p>
<p>　　　ムスリム商人と出会うことで、トルコ人は初めてイスラームに触れることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、イラン系のイスラーム国家であるサーマーン朝というのが西トルキスタンに作られた</p>
<p>　　→すると、サーマーン朝政権のもとで、トルコ人のイスラームへの改宗が著しく進んでいった</p>
<p>　　　※トルコ人のイスラーム化は、１０世紀にトルコ系イスラーム王朝である</p>
<p>　　　　カラ＝ハン朝という王朝がサーマーン朝を倒し、東トルキスタンと西トルキスタンを</p>
<p>　　　　合体させたことで、さらに進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム化したトルコ人は、その後も西方への移住を続けた</p>
<p>　　※その時にトルコ人は、西アジアの中心部にセルジューク朝やオスマン朝などの王朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・トルコ民族の進出について</p>
<p>・トルキスタンの成立について</p>
<p>・トルコ人とイスラームとの関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/807">トルコの社会について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/807/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/807" />
	</item>
		<item>
		<title>遊牧民とオアシス民の社会と生活について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/806</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/806#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 09:51:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内陸アジア史]]></category>
		<category><![CDATA[オアシス民]]></category>
		<category><![CDATA[スキタイ]]></category>
		<category><![CDATA[内陸アジア]]></category>
		<category><![CDATA[冒頓単于]]></category>
		<category><![CDATA[匈奴]]></category>
		<category><![CDATA[氏族集団]]></category>
		<category><![CDATA[遊牧民]]></category>
		<category><![CDATA[隊商交易]]></category>
		<category><![CDATA[騎馬遊牧民]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=806</guid>
		<description><![CDATA[遊牧民とオアシス民の社会と生活について考えてみます &#160; &#160; ・遊牧民の生活と国家について &#160; &#160; 　・遊牧民は、内陸アジアの草原地帯に住んでいた 　　→内陸アジアは、乾燥した気候な [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/806">遊牧民とオアシス民の社会と生活について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>遊牧民とオアシス民の社会と生活について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・遊牧民の生活と国家について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・遊牧民は、内陸アジアの草原地帯に住んでいた</p>
<p>　　→内陸アジアは、乾燥した気候なので、農耕が難しかった</p>
<p>　　　＝そのため、羊、牛、馬などの家畜を主な財産とする遊牧民は、</p>
<p>　　　　草地を求めて定期的に移動した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・遊牧民の特徴として、以下のようなことが挙げられる</p>
<p>　　→・遊牧と狩猟の生活を送っていた　</p>
<p>　　　・主な食料は、乳製品や肉類だった</p>
<p>　　　・衣服は、毛皮などだった</p>
<p>　　　・住居は、フェルトでおおう組み立て式のものだった</p>
<p>　　　　＝そのため、家畜は衣食住全てをカバーできるという点からも大変貴重だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・紀元前９世紀～８世紀ころに、銅製の馬具や武器を持った騎馬遊牧民だった</p>
<p>　　→騎馬の技術は、後に遊牧民が軍事面で圧倒的に優位になることとなった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※当時、男性一人ひとりが小さい頃から騎兵としての訓練を積んだ騎馬遊牧民は、</p>
<p>　　　　その機動力を生かして何度か定住農耕地帯に侵入した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・遊牧民の社会の特徴として、以下のようなことが挙げられる</p>
<p>　　→・遊牧民は、基本的に血縁的なまとまりを持つ集団を単位として行動していた</p>
<p>　　　　→それらの集団は、必要に応じて手を組んで、統率力のある指導者を中心に、</p>
<p>　　　　　大きな国家を作り上げた</p>
<p>　　　　　※ただし、指導者が死んだり連合の必要性が無くなったりすると、分裂もはやかった</p>
<p>　　　・遊牧民の作った国家を地図上で見てみると、その領域は急速に</p>
<p>　　　　拡大や縮小、移動を続けていた</p>
<p>　　　　※これは、遊牧国家がもともと機動力のある氏族集団が集まって出来ているから</p>
<p>　　　　　だといわれている</p>
<p>　　　・特定の名前がある国家でも、以下のような特徴がある</p>
<p>　　　　→・その支配下に他の遊牧部族を従えていた</p>
<p>　　　　　・オアシス民や農耕民など、混合的な構成を持っていることも多かった</p>
<p>　　　・能力があれば、血統や種族に関係なく、登用する実力主義だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・スキタイと匈奴について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※スキタイとは・・紀元前６世紀ころの南ロシアの草原地帯を支配した最初の遊牧国家のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※スキタイの特徴として、以下のようなことが挙げられる</p>
<p>　　→・特有の動物文様を持つ馬具や武器を使っている</p>
<p>　　　・よく似た遺物は、スキタイの活動地域のみだけでなく、</p>
<p>　　　　ユーラシア東部の草原や森林地帯にも分布している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>　・スキタイの影響を受けて、内陸アジア東部でも、紀元前４世紀ころから</p>
<p>　　騎馬遊牧民の活動が活発になった</p>
<p>　　→その結果、以下のような人達が出てきた</p>
<p>　　　・匈奴・・陰山山脈を中心としていた人たち</p>
<p>　　　・烏孫・・天山山脈方面を中心としていた人たち</p>
<p>　　　・月氏・・甘粛やタリム盆地東部を中心とした人たち</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・匈奴の動きと流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・匈奴は、単于と呼ばれる統率者のもとで強力な遊牧国家を作っていた</p>
<p>　　　※特にすごかったのは、紀元前３世紀末ころに即位した冒頓単于という人だった</p>
<p>　　　　→冒頓単于は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　　　・中継貿易で利益を上げていた月氏を攻撃して、オアシス地帯を勢力下にした</p>
<p>　　　　　・成立後間もない漢を圧迫していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→高祖は、匈奴に敗れて和親策をとった</p>
<p>　　　　→武帝は、匈奴を北にしりぞけ、西域にも進出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝結果的に、匈奴は内陸貿易の利益を失って、紀元前１世紀ころに東西に分裂した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・４世紀には、草原地帯の東西で遊牧民の活動が活発になった</p>
<p>　　※その時に、鮮卑など「五胡」の華北侵入と、フン人の西進とが前後して始まった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→この動きは、農耕地帯に大きな衝撃を与えた</p>
<p>　　　＝そのため、ヨーロッパでも東アジアでも、統一帝国の解体とともに、</p>
<p>　　　　動乱の時代を迎えることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・オアシスの生活について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※オアシスとは・・乾燥した砂漠や草原地帯のなかでも、</p>
<p>　　　　　　　　　　雪解け水による河川や地下水を利用出来た場所のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オアシスには、以下のような特徴がある</p>
<p>　　→・オアシスでは、定住生活が行われていた</p>
<p>　　　・オアシスは、市場や寺院を持つ市街地と、集約的な農業の営まれる周辺の農村部とが</p>
<p>　　　　ある場所だった</p>
<p>　　　・孤立した生活圏だった</p>
<p>　　　・長距離交易の補給の拠点としても重要な場所だった</p>
<p>　　　・タリム盆地の周辺では、敦煌、クチャ、ホータン、カシュガルなど、</p>
<p>　　　　数多くのオアシス都市が点在していた</p>
<p>　　　　→上のようなオアシス都市は、隊商交易の中継地として、重要な役割を果たしていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オアシス都市は、自分たちで連合して大きな国家を作ることはほとんどなかった</p>
<p>　　→そのため、周辺の大規模国家の支配下に入ることが多かった</p>
<p>　　　※中国の王朝や、草原地帯の遊牧国家は、オアシスの様々な都市の</p>
<p>　　　　支配をめぐって争っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・遊牧民の生活と国家についておさえる</p>
<p>・スキタイと匈奴についておさえる</p>
<p>・オアシスの生活についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/806">遊牧民とオアシス民の社会と生活について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/806/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/806" />
	</item>
	</channel>
</rss>
