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	<title>アラエス &#187; エジプト</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>本当に「昔はよかった」のか？</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1971</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1971#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 19 Nov 2013 03:04:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[社会科コラム全般]]></category>
		<category><![CDATA[いい時代]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[昔]]></category>
		<category><![CDATA[若者]]></category>
		<category><![CDATA[高齢者]]></category>

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		<description><![CDATA[「昔はいい時代だった。」 &#160; よく、年配の人たちが口にするセリフです。 &#160; でも、若い人たちってこれを聞いても案外しっくりこないです。 &#160; 昔をそこまで知らないですからね。 &#160; 昔 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1971">本当に「昔はよかった」のか？</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>「昔はいい時代だった。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>よく、年配の人たちが口にするセリフです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>でも、若い人たちってこれを聞いても案外しっくりこないです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>昔をそこまで知らないですからね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>昔を知ってるとしても、教科書で勉強したり、高齢者から話を聞いたり、</p>
<p>興味を持っている人が、資料館に行ったり、本を読んで知識を獲得したりするくらいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>高度成長の時代はすばらしいって言われても、</p>
<p>それは知ってるけど、若い人たちは「ふーん。」で終わっちゃう気がします。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その点、昔の人たちは、「昔」を体で体験してるわけですからね。</p>
<p>若い人たちよりかは昔に対して愛着もあるでしょうし、昔がよかったって感じるのかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まあ、個人的には、今は今なりにいいと思っています。</p>
<p>確かに、就職難の時代だとか、人間関係が希薄化してるとか、不景気とか</p>
<p>難しいことは言われていますが、</p>
<p>今は、いろんな種類の食事もできますし、情報化社会が進んで便利な世の中になりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これを前提とした上で、個人的な疑問を。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なぜ、昔の人達は、昔と今を比較するのか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>比較することがダメなわけではないですが、</p>
<p>何かにつけて、年配の人達って「昔は～、でも今は～」って話をする人が多いです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>昔を振り返ることは確かに必要です。</p>
<p>昔から得られることも多いですし。</p>
<p>歴史的な事実は繰り返している部分も多いです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>でも、昔のことを出して話をされても、若い人達は理解しきれないです。</p>
<p>「確かに昔はよかったね。」なんて会話をする若者は少ないでしょうし、</p>
<p>今を生きることに一生懸命で、昔を振り返ることってそう多くは無いと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに、</p>
<p>エジプトのピラミッドの壁画に「今のやつらは・・・」みたいな、</p>
<p>その当時の年配の方々がご立腹している文章が刻まれています。</p>
<p>これ、逆を返せば、昔がよかったってことでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>年配の方々に聞きたいです。</p>
<p>この当時のエジプトをどれくらい知ってますか？</p>
<p>昔のエジプトのどこが良かったのですか？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>戦争みたいな辛いことはやめにして、歴史を繰り返さないようにしようとかは必要だと思いますが、</p>
<p>昔と今を比べて、昔がよかったからって</p>
<p>じゃあ、若い人たちも、昔を目指しましょう。なんてことにはならないと思うんですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして、昔はよかったって言う人って、結構今に否定的だったりします。</p>
<p>まあ、今に否定的だから、昔を推奨するのかもしれませんが。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>でも、今だって、日本は平和で良い国じゃないですか。</p>
<p>衣食住のクオリティーも高くないですか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>昔はよかったって言う人は、どうしてほしいんですかね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>昔もよかったかもしれないけど、</p>
<p>今もいいと思います。</p>
<p>今もいいから、文句を言いつつも多種多様な人達が生活してるんじゃないですかね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これで自分が年配になったら、「昔はよかった」って言ってたら笑っちゃいますが。</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1971">本当に「昔はよかった」のか？</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>近代のアラブ民族の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/900</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/900#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 07:31:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[アラブ民族]]></category>
		<category><![CDATA[ウラービー]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト総督]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト＝トルコ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[オスマン帝国]]></category>
		<category><![CDATA[シリア]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[ムハンマド＝アリー]]></category>
		<category><![CDATA[ワッハーブ派]]></category>

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		<description><![CDATA[近代のアラブ民族の動きについて &#160; &#160; ・アラブ民族の動きについて &#160; 　 　・１８世紀の半ばころに、イブン＝アブドゥル＝ワッハーブという人が、 　　アラビア半島でイスラーム教の改革を唱える [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/900">近代のアラブ民族の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>近代のアラブ民族の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・アラブ民族の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１８世紀の半ばころに、イブン＝アブドゥル＝ワッハーブという人が、</p>
<p>　　アラビア半島でイスラーム教の改革を唱えるという、ワッハーブ派の運動を起こした</p>
<p>　　</p>
<p>　　→ワッハーブ派は、以下のような運動を起こした</p>
<p>　　　・ワッハーブ派は、中央アラビアの豪族であるサウード派と結んで</p>
<p>　　　　ワッハーブ王国を建設した</p>
<p>　　　　※ワッハーブ派は、のちにリヤドに首都を定めた</p>
<p>　　　・ワッハーブ派は、イラン人やトルコ人がもたらした神秘主義と聖者崇拝によって、</p>
<p>　　　　イスラーム教は堕落したとみなした</p>
<p>　　　　＝そのため、預言者ムハンマドの最初の教えに帰れと説いた</p>
<p>　　　　　※この考え方は、現代まで続くイスラーム改革運動の始まりであり、</p>
<p>　　　　　　トルコ支配に反抗するアラブ民衆の間に受け入れられた</p>
<p>　　　　　　→結果的に、アラブ民族のめざめをうながすきっかけとなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・シリアでは、１９世紀の初めにアラブのキリスト教徒知識人の間に、</p>
<p>　　アラブ文化の復興運動というのが起こった</p>
<p>　　→この活動は、言語を通じてアラブの民族意識を高めることになった</p>
<p>　　　＝結果的に、１９世紀の終わり以降に展開するアラブ民族主義運動への道を</p>
<p>　　　　開いたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７９８年に、フランスがナポレオンの遠征によってエジプトを占領するということが起きた</p>
<p>　　→しかし、その後にフランスがイギリスとオスマン帝国の連合軍に負けるということが起きた</p>
<p>　　　＝そのため、オスマン帝国の主権がここで回復した</p>
<p>　　　　※しかし、１８０５年にこの混乱に乗っかってムハンマド＝アリーという人が</p>
<p>　　　　　エジプトの支配者になった</p>
<p>　　　　　＝そして、１８０６年にムハンマド＝アリーはエジプト総督としての地位を</p>
<p>　　　　　　オスマン帝国から獲得した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　※ムハンマド＝マリーが行なったことについて</p>
<p>　　・旧勢力のマムルークを一掃した</p>
<p>　　・フランスの援助によって近代的な陸海軍を創設した</p>
<p>　　・造船所、官営工場、印刷所を建設と、教育制度の改革を行った</p>
<p>　　　＝上の３つのようなことを行って、エジプトの近代化を強力に推し進めていった</p>
<p>　　・オスマン帝国の求めに応じてアラビア半島に出兵し、</p>
<p>　　　１８１８年に一時ワッハーブ王国を倒した</p>
<p>　　・シリアの領有を求めたが、それが拒否された</p>
<p>　　　→すると、２度にわたってオスマン帝国とたたかい勝利をおさめた</p>
<p>　　　　＝この戦いをエジプト＝トルコ戦争という</p>
<p>　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※エジプト＝トルコ戦争について</p>
<p>　　・この戦いで、フランスがエジプトを、ロシアがオスマン帝国を援助した</p>
<p>　　　→そのため、この戦いにイギリスが関わるようになってきた</p>
<p>　　　　＝結果的に１８４０年のロンドン会議で、ムハンマド＝アリーは、</p>
<p>　　　　　オスマン帝国スルタンの宗主権のもとにエジプト・スーダンの総督の地位を</p>
<p>　　　　　世襲することを認められるにとどまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプトが、近代化を急ぎ、戦争によって莫大な債務を抱えるということが起きた</p>
<p>　　→そこで、１８６０年代からイギリスとフランスの財務管理下に置かれ、</p>
<p>　　　内政の支配も受けるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプトが外国に支配されることに対して、ウラービー（オラービー）という人が</p>
<p>　　１８８１～８２年に反乱した</p>
<p>　　→すると、イギリスは単独でエジプトを軍事占領して、事実上これを保護下においた</p>
<p>　　　※しかし、立憲制の確立を求めて、ウラービー運動は</p>
<p>　　　　「エジプト人のためのエジプト」をスローガンにした</p>
<p>　　　　＝結果的にウラービー運動は、その後のエジプト民族主義運動の原点になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・近代のアラブ民族の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/900">近代のアラブ民族の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>東地中海世界について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/657</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/657#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Sep 2013 11:10:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オリエント地中海古代史]]></category>
		<category><![CDATA[アラム人]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト]]></category>
		<category><![CDATA[カナーン人]]></category>
		<category><![CDATA[バビロン捕囚]]></category>
		<category><![CDATA[フェニキア人]]></category>
		<category><![CDATA[ヘブライ人]]></category>
		<category><![CDATA[メソポタミア]]></category>
		<category><![CDATA[ユダヤ教]]></category>
		<category><![CDATA[出エジプト]]></category>
		<category><![CDATA[東地中海]]></category>

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		<description><![CDATA[東地中海世界について考えてみます &#160; &#160; ・東地中海世界について &#160; &#160; 　・地中海東岸のシリア・パレスチナ地方は、海陸交通として、以下のような役割があった 　　→・エジプトとメソ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/657">東地中海世界について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東地中海世界について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東地中海世界について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地中海東岸のシリア・パレスチナ地方は、海陸交通として、以下のような役割があった</p>
<p>　　→・エジプトとメソポタミアを結ぶ通路</p>
<p>　　　・地中海への出入り口</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・シリア・パレスチナ地方では、紀元前１５００年前ころからセム語系のカナーン人が活躍した</p>
<p>　　→この後にギリシア・エーゲ海方面から「海の民」と呼ばれる人たちが出てきた</p>
<p>　　→そのため、シリア・パレスチナ地方を支配していたエジプト・ヒッタイトの勢力が弱まった</p>
<p>　　　＝結果的に、セム語系３民族のアラム人、フェニキア人、ヘブライ人が活躍し始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・それぞれの民族について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アラム人について</p>
<p>　　</p>
<p>　　→・シリアに多くの都市国家を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・紀元前１２００年ころからダマスクスというところを中心に</p>
<p>　　　　内陸の都市を結ぶ中継貿易に活躍した</p>
<p>　　　　→そのため、アラム語が国際商業語として、広く使われるようになっていった</p>
<p>　　　　　※アラム文字は、オリエント世界で使われる多くの文字の土台となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　※アラム文字から派生した文字として、</p>
<p>　　　　　　ヘブライ文字、シリア文字、アラビア文字、ソグド文字、</p>
<p>　　　　　　モンゴル文字、ウイグル文字、満州文字などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フェニキア人について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・シドンやティルスなどの都市国家を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・クレタ文明やミケーネ文明が衰えた後に、フェニキア人が地中海貿易を独占した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・カルタゴをはじめとして多くの植民地となる都市（植民都市）を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・フェニキア人は、カナーン人が使っていた表音文字という文字から</p>
<p>　　　　線状のフェニキア文字という文字を作った</p>
<p>　　　　※フェニキア文字は、フェニキア人がギリシア人に伝え、アルファベットの起源を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヘブライ人について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・ヘブライ人は他の民族から呼ばれていた呼びかたで、</p>
<p>　　　　自分たちではイスラエル人と名乗っていた</p>
<p>　　　　※ただし、バビロン捕囚後はヘブライ人ではなく、ユダヤ人と呼ばれることが多い</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・ヘブライ人は遊牧民だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・紀元前１５００年ころからパレスチナに定住して、その一部がエジプトに移住した</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　・エジプトでは、新王国の圧政（権力などで人々を押さえつける政治）に苦しんだ</p>
<p>　　　　→そこで、紀元前１３世紀ころに指導者のモーセという人に連れられて</p>
<p>　　　　　パレスチナに脱出した</p>
<p>　　　　　＝この出来事を出エジプトという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・紀元前１０００年ころにヘブライ人が王国を作った</p>
<p>　　　　→王国は、ダヴィデ王とその子供であるソロモン王のもとで栄えていった</p>
<p>　　　　→しかし、ソロモン王が死んだ後に、国は北のイスラエル王国と、</p>
<p>　　　　　南のユダ王国に分裂してしまった</p>
<p>　　　　　※イスラエル王国は、紀元前７２２年にアッシリアに滅ぼされた</p>
<p>　　　　　※ユダ王国は、新バビロニアに征服され、紀元前５８６年に住民の多くが</p>
<p>　　　　　　新バビロニアの都だったバビロンというところに連れ去られてしまった</p>
<p>　　　　　　＝この出来事をバビロン捕囚という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・ヘブライ人は、唯一の神であるヤハウェへの信仰を守っていた</p>
<p>　　　　→この後に、選民思想や救世主（メシア）の出現を待ち望む信仰が生まれた</p>
<p>　　　　　※選民思想・・自分は神から選ばれた特別な人間であると考える思想のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・ユダヤ人は約５０年後にバビロンから解放されて帰国した</p>
<p>　　　　→その後、イェルサレムというところにヤハウェの神殿を再興して、ユダヤ教を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※ユダヤ教の信仰が後に形式化すると、</p>
<p>　　　　　イエスという人がユダヤ教を土台にキリスト教を作った</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　＝そのため、ユダヤ教の「旧約聖書」という教典は、</p>
<p>　　　　　イエスの教えを伝える「新約聖書」という教典にならんで、キリスト教の教典になった</p>
<p>　　　　　→これらは、ヨーロッパ人による思想や芸術活動の重要な基礎となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東地中海の概要についておさえる</p>
<p>・当時活躍した民族についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/657">東地中海世界について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>エジプトの統一国家について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/656</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/656#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Sep 2013 10:59:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オリエント地中海古代史]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト]]></category>
		<category><![CDATA[テル＝エル＝アマルナ]]></category>
		<category><![CDATA[テーベ]]></category>
		<category><![CDATA[ナイル川]]></category>
		<category><![CDATA[ノモス]]></category>
		<category><![CDATA[メンフィス]]></category>
		<category><![CDATA[ロゼッタ＝ストーン]]></category>
		<category><![CDATA[太陽暦]]></category>
		<category><![CDATA[死者の書]]></category>
		<category><![CDATA[王（ファラオ）]]></category>

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		<description><![CDATA[エジプトの統一国家について考えてみます &#160; &#160; ・エジプトの統一国家について &#160; &#160; 　・エジプトには、「ナイルのたまもの」という言葉があり、ナイル川の増水と減水を利用して、 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/656">エジプトの統一国家について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>エジプトの統一国家について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・エジプトの統一国家について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプトには、「ナイルのたまもの」という言葉があり、ナイル川の増水と減水を利用して、</p>
<p>　　豊かな農業が行なわれた</p>
<p>　　→エジプトは、メソポタミアとともに、最も古く文明が誕生していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※「ナイルのたまもの」という言葉について</p>
<p>　　　・この言葉は、ギリシアの歴史家のヘロドトスという人の言葉だった</p>
<p>　　　・ナイル川は毎年７～１０月に増水や氾濫があり、</p>
<p>　　　　川の上流から栄養が豊富な土を運んでいたため、</p>
<p>　　　　他の地域に比べて、豊かな農業が行なわれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ナイル川流域では、はやくから多くの村落（ノモスという）が形成された</p>
<p>　　※しかし、ナイル川の治水には住民の共同の労働と、</p>
<p>　　　住民をまとめる強力な指導者が必要だった</p>
<p>　　　＝そのため、エジプトはしだいに統合へ向かっていき、</p>
<p>　　　　全国を統治するための政治組織も作られていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・紀元前３０００年ころのエジプトでは、メソポタミアよりはやく、</p>
<p>　　王（ファラオ）による統一国家が作られた</p>
<p>　　→その後、基本的に国内の統一を保つ時代が続いた</p>
<p>　　　※しかし、一時的に周辺の民族の侵入や外国の支配を受けることもあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→国内の統一を保っている時に、約３０の王朝が交代している</p>
<p>　　　※そのなかで、特に反映した時代を古王朝、中王朝、新王朝の３期に分けることが出来る</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・エジプトの社会と政治の様子について</p>
<p>　</p>
<p>　・エジプトでは、王様が生きている神として王様を中心とした神権政治を行った</p>
<p>　　</p>
<p>　・国土の所有者は王であり、少数の神官や役人などは王から土地を与えられた</p>
<p>　　</p>
<p>　・しかし、住民のほとんどは農民だった</p>
<p>　　※農民には、生産物への税金と無償の労働が課せられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプトで繁栄した時代について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・古王国が、ナイル下流域のメンフィスというところを中心に栄えた</p>
<p>　　　→古王国では、クフ王などがたぶん自分の墓として、大きなピラミッドを作らせた</p>
<p>　　　　※ピラミッドは、神様である王の絶大な権力を示している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・中王国が、上エジプトのテーベに移って、テーベを中心に栄えた</p>
<p>　　　※しかし、中王国の末期にシリアから遊牧民であるヒクソスが侵入してきて、</p>
<p>　　　　国内が一時的に混乱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・新王国が、紀元前１６世紀に栄えた</p>
<p>　　　※新王国はヒクソスを追放して、シリアに進出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・紀元前１４世紀に、アメンホテプ４世（イクナートン）が</p>
<p>　　　テル＝エル＝アマルナというところに都を定めた</p>
<p>　　　→この時に、今までのような神々の崇拝を禁止して、</p>
<p>　　　　一つの神（アトン）だけを信仰するという改革を行った</p>
<p>　　　　＝この改革は王が死んだことによって終わった</p>
<p>　　　　　※この時に、信仰改革の影響で古い伝統にとらわれない写実的な美術（アマルナ美術）が</p>
<p>　　　　　　生み出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・エジプトの文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプト人の宗教は太陽神のラーを中心とする多神教だった</p>
<p>　　※新王国時代には、首都テーベの守護神であるアモンの信仰と結びついた</p>
<p>　　　＝その結果、アモン＝ラーの信仰が盛んになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプト人は霊魂の不滅と死後の世界を信じてミイラを作って、</p>
<p>　　「死者の書」というものを残した</p>
<p>　　※死者の書・・エジプト人が来世にいった死者の幸福を祈って</p>
<p>　　　　　　　　　　　ミイラと一緒に埋葬した絵文書のこと。</p>
<p>　　　　　　　　　　　新王国時代のもので、冥界の王オシリスの前で死者が</p>
<p>　　　　　　　　　　　最後の審判を受けている様子などが描かれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプト人が使っていたエジプト文字には、</p>
<p>　　神聖文字（ヒエログリフ）と民用文字（デモティック）がある</p>
<p>　　※神聖文字・・碑文や墓室、石棺などに刻まれる象形文字のこと</p>
<p>　　※民用文字・・パピルス草というものから作った一種の紙（パピルス）に</p>
<p>　　　　　　　　　　　書かれる文字のこと</p>
<p>　　　→これらの文字が使われていた資料として代表的なものに、</p>
<p>　　　　ロゼッタ＝ストーンというものがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ロゼッタ＝ストーンについて</p>
<p>　　　→・ナポレオンのエジプト遠征中に、アレクサンドリア東方のロゼッタ（ラシード）というところで</p>
<p>　　　　　発見された資料のこと</p>
<p>　　　　・上段に神聖文字、中段に民用文字、下段にギリシア文字の３種類で書かれている</p>
<p>　　　　・フランスのシャンポリオンという人が、この資料のギリシア文字を手掛かりに、</p>
<p>　　　　　神聖文字の解読に成功した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプトで測地術が発達した</p>
<p>　　→測地術は、ギリシアの幾何学（図形に関する数学）の土台になった</p>
<p>　　</p>
<p>　・太陰暦と一緒に太陽暦が用いられた</p>
<p>　　→太陽暦は、後にローマで採用されてユリウス暦という暦になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・エジプトの統一国家についておさえる</p>
<p>・エジプトの社会と政治についておさえる</p>
<p>・エジプトの文化についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/656">エジプトの統一国家について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>オリエント世界の概要について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/654</link>
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		<pubDate>Fri, 27 Sep 2013 10:03:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オリエント地中海古代史]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト]]></category>
		<category><![CDATA[オリエント世界]]></category>
		<category><![CDATA[ナイル川]]></category>
		<category><![CDATA[メソポタミア]]></category>
		<category><![CDATA[中東]]></category>
		<category><![CDATA[神様]]></category>
		<category><![CDATA[神権政治]]></category>

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		<description><![CDATA[オリエント世界の概要について考えてみます &#160; &#160; ・オリエント世界の概要について &#160; &#160; 　※オリエントとは・・ヨーロッパから見た「日ののぼるところ、東方」という意味があり、 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/654">オリエント世界の概要について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>オリエント世界の概要について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・オリエント世界の概要について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※オリエントとは・・ヨーロッパから見た「日ののぼるところ、東方」という意味があり、</p>
<p>　　　　　　　　　　　今日では「中東」と呼ばれる地域を指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オリエント地方は、雨が少なく気温が高いため、砂漠、草原、岩山などがある地域が多い</p>
<p>　　→そこでは、以下のような環境や生活があった</p>
<p>　　　・羊やラクダを飼育する遊牧生活</p>
<p>　　　・沿海や河川流域の平野</p>
<p>　　　・点在するオアシス</p>
<p>　　　・麦や豆類、オリーブやナツメヤシなどを栽培する農業</p>
<p>　　　　※特に、ティグリス川・ユーフラテス川、ナイル川などの大河の流域では、</p>
<p>　　　　　定期的な増水を利用して、早い時期から灌漑農業が行われた</p>
<p>　　　　　＝そのため、多くの人が定住するようになり、高い文明が発達した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・メソポタミアについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ティグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアという地域では、</p>
<p>　　　紀元前３０００年ころから都市文明が栄えた</p>
<p>　　　→メソポタミア地域には、アラビア半島やその周辺の高原から</p>
<p>　　　　セム語系やインド＝ヨーロッパ語系の遊牧民が、</p>
<p>　　　　豊かな富を求めて移住して、複雑な歴史を繰り広げていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプトについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ナイル川の影響を受けていたエジプトは、一時は異民族に侵入されるということがあった</p>
<p>　　　→しかし、エジプトはメソポタミアと違い、砂漠と海に囲まれていた</p>
<p>　　　　＝そのため、エジプト語系の人々が長い期間をかけて高度な文明を発達させていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　※メソポタミアとエジプトを結ぶ交通路の部分にシリア・パレスチナ地方という地方があった</p>
<p>　　→シリア・パレスチナ地方では、セム語系の人々が地中海の交流に活躍していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オリエント社会では、大河を利用した治水や灌漑の目的で、</p>
<p>　　早い段階から強力な神権政治が行われていた</p>
<p>　　※神権政治・・宗教の権威によって統治するという政治のこと</p>
<p>　　　→この時に、神様としての王様の権力や信仰する生活の様子を表現するという</p>
<p>　　　　独特の文化が生まれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・オリエント世界の概要についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/654">オリエント世界の概要について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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