<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; オランダ</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e3%82%aa%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e3%82%aa%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80/feed" />
	<item>
		<title>民族問題の対策と取り組みについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1473</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1473#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 31 Oct 2013 18:49:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[アルコール]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界の民族と領土の問題]]></category>
		<category><![CDATA[アイデンティティ]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ]]></category>
		<category><![CDATA[リベラリズム]]></category>
		<category><![CDATA[同化主義]]></category>
		<category><![CDATA[地方参政権]]></category>
		<category><![CDATA[多文化主義]]></category>
		<category><![CDATA[多文化共生]]></category>
		<category><![CDATA[多民族]]></category>
		<category><![CDATA[自由主義]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1473</guid>
		<description><![CDATA[民族問題の対策と取り組みについて考えてみます &#160; &#160; ・多文化共生について &#160; &#160; 　※現代は、人が移動することで、一国の社会がどんどん多文化かつ多民族化している 　 　・多文化や [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1473">民族問題の対策と取り組みについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>民族問題の対策と取り組みについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・多文化共生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※現代は、人が移動することで、一国の社会がどんどん多文化かつ多民族化している</p>
<p>　</p>
<p>　・多文化や多民族化が進む中で、同化主義が懸念されている</p>
<p>　　※同化主義・・他の民族を受け入れる側の社会の価値観やルールを一方的に</p>
<p>　　　　　　　　　移民に押し付ける主義のこと</p>
<p>　　　→ヨーロッパでは、オランダやイギリスは多文化主義を採用したが、</p>
<p>　　　　フランスなどは同化主義を採用してきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・基本的にどの国でも、外国から来た人に対しては、ある程度の同化を求める動きがある</p>
<p>　　※ただし、同化は本来それぞれの民族が持っている文化的な</p>
<p>　　　帰属意識（アイデンティティ）の否定につながる</p>
<p>　　　→そのため、多文化の共生を難しくすると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、多文化主義を政策として反映させる場合は、後から社会に来た移民との間での</p>
<p>　　摩擦を起こしにくい</p>
<p>　　※多文化主義とは</p>
<p>　　　・異なる文化や異なる価値観を尊重する主義のこと</p>
<p>　　　・多文化主義の政策として、以下のような例がある</p>
<p>　　　　→・移民が母語で教育を受ける権利を認める</p>
<p>　　　　　・宗教的な教えやルールに従って生きる自由を保障する</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、多文化主義を採用すると、移民の人達が文化を守るのはいいが、</p>
<p>　　　受け入れる側の国の社会は相手の文化に適応しにくいという問題もある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・共生のためには、以下のような動きや考えが必要だと言われている</p>
<p>　　→・世界各地で起こる紛争に対して、国連などの各国の協力が解決のための</p>
<p>　　　　有効な手段だとされている</p>
<p>　　　・国民の一人ひとりが、仲間と認識するグループのなかだけで生活するのではなく、</p>
<p>　　　　他の集団に所属する人々とコミュニケーションをとることが必要だと言われている</p>
<p>　　　・現代の世界は、一つの民族が単独で国家を構成することはありえないため、</p>
<p>　　　　他の民族との相互の理解のための努力をして、出来る限り不平等を</p>
<p>　　　　解消していく必要がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・多文化や多民族から見たオランダについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※オランダは、多民族や多文化を受け入れることで有名</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダには、以下のような特徴がある</p>
<p>　　→・リベラリズム（自由主義）の考え方が根強い</p>
<p>　　　　※リベラリズム・・個人が個人として生きたいように生きる権利を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　認める考え方のこと</p>
<p>　　　・昔から貿易が盛んだったこともあって、異文化の受け入れにも</p>
<p>　　　　寛容だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダは、２０世紀の後半からスリナム、トルコ、モロッコなどからの</p>
<p>　　移民が定住した</p>
<p>　　※これに加えて、アフリカや中東からの難民も積極的に受け入れてきた</p>
<p>　　　＝そのため、現在のオランダは多民族や多文化の社会になっている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダは、民族や宗教の違いによる不平等をなくしていくために、</p>
<p>　　以下のような制度が使われている</p>
<p>　　→・１９８０年代の憲法の改正によって、外国人であっても、一定の条件を満たせば</p>
<p>　　　　政治に参加するための地方参政権を持つことが出来るようになった</p>
<p>　　　・自分たちの宗教や価値観に従って、子どもに教育を受けさせる権利が保障されている</p>
<p>　　　・政府の財源で、宗教に関係ない学校、キリスト教徒やムスリムのための</p>
<p>　　　　学校を作ることが出来る　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・多文化共生についておさえる</p>
<p>・多文化や多民族から見たオランダについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1473">民族問題の対策と取り組みについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1473/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1473" />
	</item>
		<item>
		<title>長崎貿易について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1206</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1206#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 07:41:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[江戸時代前期]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ風説書]]></category>
		<category><![CDATA[バダウィア]]></category>
		<category><![CDATA[唐人屋敷]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>
		<category><![CDATA[江戸参府]]></category>
		<category><![CDATA[糸割符制度]]></category>
		<category><![CDATA[銀]]></category>
		<category><![CDATA[長崎貿易]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1206</guid>
		<description><![CDATA[長崎貿易について考えてみます &#160; &#160; ・長崎貿易について &#160; 　※なぜ、長崎貿易を取り上げるのか 　　→鎖国政策の時に、日本に来る船がオランダ船と中国船だけになり、 　　　貿易の港は長崎だけ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1206">長崎貿易について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>長崎貿易について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・長崎貿易について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※なぜ、長崎貿易を取り上げるのか</p>
<p>　　→鎖国政策の時に、日本に来る船がオランダ船と中国船だけになり、</p>
<p>　　　貿易の港は長崎だけになったから</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・長崎貿易の時に、オランダはバダウィア（現在のジャカルタ）というところに</p>
<p>　　東インド会社を置いた</p>
<p>　　→オランダは、東インド会社の支店として、長崎の出島にオランダ商館を置いた</p>
<p>　　　※その時に、オランダは貿易の利益だけを追求した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※オランダは、織物類、砂糖、薬品、書籍、中国産の生糸などを日本に入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・幕府は、長崎を使ってヨーロッパの文物（文化の産物）を輸入した</p>
<p>　　→その時に、オランダ船が来るたびにオランダ商館の商館長が提出していた</p>
<p>　　　オランダ風説書というものによって幕府が海外の状況を知ることが出来た</p>
<p>　　　※１６３３年からオランダ人がオランダ風説書を持って江戸に来ること</p>
<p>　　　　（江戸参府）が制度になった</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、明が１７世紀の半ばに倒れ、新しく清という国が出来るということが起きた</p>
<p>　　※明から清に変わる時の動乱が落ち着いてから、長崎での貿易の額が毎年増えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時中国から輸入したものは、生糸、書籍、絹織物だった</p>
<p>　　　一方で、日本は銀、銅、海産物などを輸出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、輸入が増えたことによって、銀がどんどん出ていった</p>
<p>　　→幕府は、銀の流出をおさえるために、以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１６８５年に、オランダ船と清船から輸入する額を制限した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・１６８８年に、日本に来る清船を、年間７０隻にした</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・１６５５年に、糸割符制度が一度廃止されて、</p>
<p>　　　　相対自由貿易（競争入札で行う貿易）になったが、</p>
<p>　　　　１６８５年に、糸割符制度が復活した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・１６８５年に、年間の貿易額を銀の換算で、オランダ船が３０００貫、</p>
<p>　　　　中国船が６０００貫に限定された</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・長崎の様々な場所に住んでいた清の人の住む場所を限定する目的で、</p>
<p>　　　　唐人屋敷という居留地を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・長崎貿易についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1206">長崎貿易について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1206/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1206" />
	</item>
		<item>
		<title>東南アジアの民族運動について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1010</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1010#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 06:35:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム同盟]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ]]></category>
		<category><![CDATA[ドンズー運動]]></category>
		<category><![CDATA[フィリピン]]></category>
		<category><![CDATA[フィリピン革命]]></category>
		<category><![CDATA[フィリピン＝アメリカ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム]]></category>
		<category><![CDATA[ホセ＝リサール]]></category>
		<category><![CDATA[強制栽培制度]]></category>
		<category><![CDATA[東南アジア]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1010</guid>
		<description><![CDATA[東南アジアの民族運動について、オランダ、フィリピン、ベトナムを中心に考えてみます &#160; &#160; ・東南アジアの民族運動について &#160; &#160; 　・当時の東南アジア地域は、タイ以外の全ての地域が [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1010">東南アジアの民族運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東南アジアの民族運動について、オランダ、フィリピン、ベトナムを中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東南アジアの民族運動について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の東南アジア地域は、タイ以外の全ての地域が植民地支配を受けていた</p>
<p>　　※どの地域でも植民地支配に対する抵抗運動が見られた</p>
<p>　　　→しかし、多くの地域は弾圧されて挫折していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・オランダについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダでは、衰退し続けるインドネシアの状況に対して批判する世論が作られていった</p>
<p>　　→そのため、強制栽培制度の廃止など、植民地政策の根本的な見直しがすぐ必要になった</p>
<p>　　　＝その結果、２０世紀にはいって住民への福祉政策が用いられ、</p>
<p>　　　　現地人での官吏養成政策の一つとして多くの学校を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のオランダでは、貴族の子弟を中心に、オランダ語の教育や専門教育が行なわれた</p>
<p>　　→この時、教育を受けた子弟の間で、しだいに民族的な自覚が生まれてきた</p>
<p>　　　＝このようにして、１９１１年に民族的な組織である</p>
<p>　　　　イスラーム同盟（サレカット＝イスラーム）が結成された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム同盟は、最初はお互いに助け合う性格が強かった</p>
<p>　　※しかし、イスラーム同盟は段々と政治活動も行うようになっていった</p>
<p>　　　→１９１８～２０年の民族運動が盛り上がった時期には、中心的な役割を果たした</p>
<p>　　　　※この時に、イスラーム同盟は民族独立や社会主義を掲げた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※しかし、植民地政庁の弾圧によって、イスラーム同盟の組織が崩壊してしまった</p>
<p>　　　＝そのため、１９２０年代に入ると、急激に衰退していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フィリピンについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フィリピンでは、教育を受けた新しい世代のフィリピン人が、１９世紀の後半から、</p>
<p>　　スペインの支配を批判して、民衆の啓蒙活動を始めるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８０年代に入ると、ホセ＝リサールなどが民族意識を目覚めさせる言論活動を始めた</p>
<p>　　→その結果、１８９６年にフィリピン革命が始まった</p>
<p>　　　※このフィリピン革命に、アメリカ合衆国が介入した</p>
<p>　　　　→すると、アギナルドという人を中心とするフィリピンの革命軍が</p>
<p>　　　　　自分達の力で解放を目指した</p>
<p>　　　　　＝その結果、日本に武器の援助を求めるなどして運動を進め、共和国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ところが、アメリカ＝スペイン戦争後に、スペインとの条約によってアメリカは</p>
<p>　　フィリピンの領有権を得ていた</p>
<p>　　→そこでアメリカは、フィリピンに侵攻し、フィリピンに侵攻して、</p>
<p>　　　フィリピン＝アメリカ戦争を起こした</p>
<p>　　　＝この時に、共和国側は敗北し、アメリカは１９０２年から本格的な統治を始めた</p>
<p>　　　　※しかし、その後もムスリムを中心に各地で反乱が続いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ベトナムについて</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナムでは、明治維新以降、近代化して強国になった日本の姿に刺激されて、</p>
<p>　　ファン＝ボイ＝チャウという人を中心に、１９０４年にフランスからの独立と立憲君主制の</p>
<p>　　樹立を目指す維新会が組織された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・維新会は、日本へ留学生を送って新しい学問や技術を学ばせようとする</p>
<p>　　ドンズー（東遊）運動を組織した</p>
<p>　　※この時に、武力闘争の準備も行われた</p>
<p>　　　→しかし、ベトナムは日本とフランスの両方の弾圧を受けた</p>
<p>　　　　＝そのため、ドンズ―運動は１９１２年に広東で組織された</p>
<p>　　　　　ベトナム光復会に引き継がれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東南アジアの民族運動についておさえる</p>
<p>・オランダについておさえる</p>
<p>・フィリピンについておさえる</p>
<p>・ベトナムについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1010">東南アジアの民族運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1010/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1010" />
	</item>
		<item>
		<title>近代初期のアジア市場の攻防について①　－ポルトガル・オランダ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/937</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/937#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 15:02:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[アンボイナ事件]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ]]></category>
		<category><![CDATA[スペイン]]></category>
		<category><![CDATA[バタヴィア]]></category>
		<category><![CDATA[フェリペ2世]]></category>
		<category><![CDATA[ポルトガル]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>
		<category><![CDATA[鎖国]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=937</guid>
		<description><![CDATA[近代初期のアジア市場の攻防の様子について、ポルトガル、オランダを中心に考えてみます &#160; &#160; &#160; ・アジア市場の攻防の様子について    &#160; 　・ヨーロッパ人がアジアに進出した当初は [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/937">近代初期のアジア市場の攻防について①　－ポルトガル・オランダ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>近代初期のアジア市場の攻防の様子について、ポルトガル、オランダを中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・アジア市場の攻防の様子について</p>
<p>  </p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパ人がアジアに進出した当初は、既存のアジア内貿易に参加する形が中心だった</p>
<p>　　※領土の支配が重視されるようになったのは、１８世紀以降だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ポルトガルについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・インド航路を開拓したポルトガルは、１５１０年にインドのゴアを占領した</p>
<p>　　※ポルトガルは、ゴアをアジア貿易の根拠地とした</p>
<p>　　　→そしてポルトガルは、それまで香辛料貿易を独占していたムスリム商人と競合しつつ、</p>
<p>　　　　スリランカ、マラッカ、モルッカ諸島なども支配下においた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１５１７年に、ポルトガルは広州で明と通商を開いた</p>
<p>　　→その後、１５５７年にはマカオに居住権を得て、</p>
<p>　　　マカオを拠点に対中国貿易を繰り広げていった</p>
<p>　　</p>
<p>　・１５４３年にポルトガル人の乗った船が種子島に着いたのをきっかけに、</p>
<p>　　ポルトガル人が平戸に来航した</p>
<p>　　※ポルトガル人は、１７世紀の初めまで日本と通商関係を持っていた</p>
<p>　　　→しかし、アジアにおけるポルトガルの勢力は、</p>
<p>　　　　その貿易が王室の独占事業で国内産業の発展につながらなかった</p>
<p>　　　　＝そのため、長続きしなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、スペインは、フェリペ２世の時代にフィリピンを領有した</p>
<p>　　→その後、フィリピンをメキシコと結んで、マニラを拠点としたアジアの貿易を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・オランダについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・オランダは、１６０２年に東インド会社を設立してアジアに進出した</p>
<p>　　→その後、ジャワ島のバタヴィア（現在のジャカルタ）を根拠地に、</p>
<p>　　　ポルトガル人を排除しつつ、香辛料貿易の実験を握っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、アンボイナ事件をきっかけに、イギリスの勢力をインドネシアから締め出した</p>
<p>　　→さらに、後のオランダ領東インドの基礎を固めた</p>
<p>　　→そして、１６５２年にアジアへの中継地として南アフリカにケープ植民地をきずいた</p>
<p>　　　※アンボイナ事件・・１６２３年に、インドメシア東部のモルッカ諸島のアンボイナ島で、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　オランダ商館襲撃の陰謀を理由にして、雇用日本人を含む</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　イギリス商館員の多くをオランダ人が殺害した事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１６３９年に日本の「鎖国」の体制が完成した後も、日本との貿易を許されたオランダは、</p>
<p>　　一時的に台湾も占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・アジア市場について、ポルトガルとオランダをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/937">近代初期のアジア市場の攻防について①　－ポルトガル・オランダ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/937/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/937" />
	</item>
		<item>
		<title>独立するオランダについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/925</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/925#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 12:10:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[アルコール]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近世・近代ヨーロッパ史初期]]></category>
		<category><![CDATA[アムステルダム]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ独立戦争]]></category>
		<category><![CDATA[オレンジ公ウィリアム]]></category>
		<category><![CDATA[ネーデルラント]]></category>
		<category><![CDATA[バルト海]]></category>
		<category><![CDATA[フェリペ2世]]></category>
		<category><![CDATA[ユトレヒト同盟]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>
		<category><![CDATA[無敵艦隊]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=925</guid>
		<description><![CDATA[独立するオランダについて考えてみます &#160; &#160; ・独立するオランダについて &#160; &#160; 　・商業の発達したネーデルラントには、カルヴァン派の新教徒が多かった 　　※ネーデルラントを支配し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/925">独立するオランダについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>独立するオランダについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・独立するオランダについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・商業の発達したネーデルラントには、カルヴァン派の新教徒が多かった</p>
<p>　　※ネーデルラントを支配したスペインの王のフェリペ２世はカトリック化政策を強めた</p>
<p>　　　→この政策に乗っかって、今まで大幅に認められていた自治権を奪おうとした</p>
<p>　　　　＝その結果、１５６８年に様々な州の激しい反乱を招いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・南部のフランドル地方の１０州は、スペインの支配下にとどまった</p>
<p>　　→一方で、北部の７州については、１５７９年にユトレヒト同盟を結んで、</p>
<p>　　　オラニエ公ウィレム（オレンジ公ウィリアム）のもとに抵抗を続けた</p>
<p>　　　＝その結果、１５８１年にネーデルラント連邦共和国の独立を宣言した</p>
<p>　　　　※ネーデルラント連邦共和国は、オランダとも言われる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・豊かなオランダが反乱を起こしたことは、スペインにとって大きな打撃となった</p>
<p>　　→そこでスペインは、オランダの独立を支援したイギリスを攻撃することを考えた</p>
<p>　　→そのため、スペインはイギリスに１５８８年に無敵艦隊（アルマダ）を送った</p>
<p>　　　＝しかし、スペインは結果的にイギリス海軍に敗れて、制海権を失うことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※その後もスペインはオランダを奪い返そうとして努力していた</p>
<p>　　　→一方でオランダは、バルト海での中継貿易で富を蓄えた</p>
<p>　　　→そして、１６０２年に東インド会社を設立して</p>
<p>　　　　東南アジアにまで貿易網を広げ、国力を強めた</p>
<p>　　　→結果的に、１６０９年の休戦条約で独立を事実上勝ち取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　＝これら一連の流れを、オランダ独立戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→その後は、オランダのアムステルダムが、フランドルの</p>
<p>　　　アントウェルペン（アントワープ）にかわって国際金融の中心となった</p>
<p>　　　※１７世紀の前半には、オランダで学芸も盛んになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・独立するオランダについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/925">独立するオランダについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/925/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/925" />
	</item>
		<item>
		<title>東南アジアの植民地化の動きについて①　－オランダ・マレー半島－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/905</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/905#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 08:04:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[アンボイナ事件]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ]]></category>
		<category><![CDATA[ジャワ島]]></category>
		<category><![CDATA[プランテーション]]></category>
		<category><![CDATA[マタラム王国]]></category>
		<category><![CDATA[マレー半島]]></category>
		<category><![CDATA[マレー連合州]]></category>
		<category><![CDATA[一次産品]]></category>
		<category><![CDATA[強制栽培制度]]></category>
		<category><![CDATA[東南アジア]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=905</guid>
		<description><![CDATA[東南アジアの植民地化の動きについて、オランダとマレー半島を中心に考えてみます &#160; &#160; &#160; ・東南アジアの植民地化について &#160; &#160; 　・東南アジアでも、西欧の国々の動きは、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/905">東南アジアの植民地化の動きについて①　－オランダ・マレー半島－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東南アジアの植民地化の動きについて、オランダとマレー半島を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東南アジアの植民地化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東南アジアでも、西欧の国々の動きは、初期の香辛料獲得などの商業権益の拡大を</p>
<p>　　目指すものから、しだいに領土の獲得へ移っていった</p>
<p>　　※獲得された領土では、一次産品の生産が積極的に進められた</p>
<p>　　　＝一次産品の生産物は、世界市場に直接的に結び付けられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・オランダの動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダは、香辛料の確保を狙って、１６世紀の終わりに初めてジャワ島に到達した</p>
<p>　　</p>
<p>　・オランダは、１６２３年のアンボイナ事件をきっかけに、イギリスへの優越を決定的にし、</p>
<p>　　領土の獲得に取りかかっていった</p>
<p>　　→一方で、ジャワの様々な勢力は抵抗したものの、だんだんと圧倒されていった</p>
<p>　　　＝そして、１８世紀の半ばにはマタラム王国が滅ぼされ、オランダはジャワ島の大半を</p>
<p>　　　　直接支配下に置いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９世紀に入って、オランダ政庁による直接の支配のもとで、</p>
<p>　　コーヒーや藍などの商品作物が導入された</p>
<p>　　※この時、政庁は買い上げ価格を一方的に定めたため、生産者は圧倒的に不利な立場だった</p>
<p>　　　→ジャワ島を舞台にして発生したオランダ支配への大規模な反乱である</p>
<p>　　　　ジャワ戦争などによって財政が悪化した</p>
<p>　　　　＝そこでオランダは強制栽培制度という制度を導入した</p>
<p>　　　　　→オランダは、この制度によって莫大な利益をあげたが、一方でジャワの農村で飢饉が反発し</p>
<p>　　　　　　しだいに衰退していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※強制栽培制度とは</p>
<p>　　　・政庁が栽培すべき作物の種類と土地、生産量、必要な労働者の数などを指示して、</p>
<p>　　　　生産物を低い指示価格で徴収するという制度のこと</p>
<p>　　　・この制度によって、ジャワ村落は食料の自給が何度か出来なくなり、大きな困難を負わされた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・マレー半島について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・マレー半島とミャンマーに、イギリスが進出するということが起きた</p>
<p>　　→イギリスは、東南アジアから中国への貿易活動の拡大を狙った</p>
<p>　　　＝そのため、１８世紀の終わりから１９世紀の初めにかけて、</p>
<p>　　　　マレー半島のペナン、マラッカ、シンガポールを入手し、ジャワを占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダと協定を結んでマラッカ海峡を境界とする支配権の分割が取り決められた</p>
<p>　　→すると、イギリスがジャワを返還し、１８２６年にマレー半島の残り３都市を</p>
<p>　　　海峡植民地として成立させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスは、１８７０年代になると、今までの港市だけの支配から</p>
<p>　　領域的な支配に乗り出すようになった</p>
<p>　　→イギリスは、錫の利権をめぐる中国人やマレー人スルタンの争いに介入して</p>
<p>　　　支配地域を広げた</p>
<p>　　　＝そして、１８９５年にマレー連合州を結成させてマレー半島の支配を確立していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・２０世紀に入ると、インドから大量の移民を導入した</p>
<p>　　→そして、広大な未開地をゴムのプランテーションとしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・オランダとマレー半島の植民地化の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/905">東南アジアの植民地化の動きについて①　－オランダ・マレー半島－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/905/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>2</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/905" />
	</item>
	</channel>
</rss>
