<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; フランク王国</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%af%e7%8e%8b%e5%9b%bd/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%af%e7%8e%8b%e5%9b%bd/feed" />
	<item>
		<title>あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2465</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2465#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 03 Feb 2014 22:06:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[レコンキスタ]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[聖職者]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=2465</guid>
		<description><![CDATA[ゲルマン人の一部は、フランク人として大陸西北部に王国を形成した →フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、フランク王国を作った ＝その結果、800年にカール大帝という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ゲルマン人の一部は、<strong>フランク人</strong>として大陸西北部に王国を形成した</p>
<p>→フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、<strong>フランク王国</strong>を作った</p>
<p>＝その結果、800年に<strong>カール大帝</strong>という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>カール大帝は、<strong>ローマ＝カトリック教会</strong>の守護者になった</p>
<p>→カール大帝は守護者として西ヨーロッパを、東ローマ帝国に対抗するための統一した地域としてまとめた</p>
<p>※東ローマ帝国は、後に<strong>ビザンツ帝国</strong>になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→その後、フランク王国は分裂し、別々の国として発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>時代が進むにつれ、西ヨーロッパでは社会での役割に応じた、以下のような身分制度が確立し、はっきり区別された</p>
<p>・神へ奉仕する<strong>聖職者</strong></p>
<p>・土地を支配して、武力を独占する<strong>戦士</strong></p>
<p>・土地の支配者の所有地で働く生産者（領主の荘園で労働する<strong>農奴</strong>）</p>
<p>※戦士は、国王などから土地を授かって騎馬戦士として仕える騎士（<strong>騎馬戦士</strong>）に分かれた</p>
<p>＝このような、身分階層を持った社会を、<strong>封建社会</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方で、東ローマ帝国（ビザンツ帝国）は、西ヨーロッパ帝国が滅亡した後も、皇帝の支配のもとで続いた</p>
<p>→東ローマ帝国のトップだった<strong>ユスティニアヌス帝</strong>は、6世紀の時に東ヨーロッパを大帝国へ復興させた</p>
<p>※ただし、その後はだんだんと領土が縮小した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>東ローマ帝国は、<strong>専制君主</strong>（世俗の支配権と最高の宗教的権威を持つ制度）だった</p>
<p>→東ローマ帝国は、11世紀にローマ＝カトリック教会と完全に分けた<strong>ギリシア正教会</strong>を成立させた</p>
<p>※ギリシア正教会の成立によって、東ローマ帝国はギリシア文化を継承した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※東ヨーロッパでは、ゲルマン人が西側に移動したとき、<strong>スラヴ人</strong>という人達が入ってきた</p>
<p>→スラヴ人は、ビザンツ帝国の影響を受け、ギリシア正教会を受け入れていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>11～12世紀には、ヨーロッパの<strong>封建社会</strong>が大きく発展した</p>
<p>※この時に、ローマ＝カトリック教会の勢いも強まってきていた</p>
<p>→そのため、ローマ＝カトリック教会は、以下のようなことを行った</p>
<p>・教皇や司祭などの強固な階層組織を築いて独立した</p>
<p>・教えを整え、民衆の信仰心をローマ＝カトリック教会の教えの中に取り込んだ</p>
<p>・小さな集落に教会堂という高い塔ができ、民衆に支えられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教皇（ローマ＝カトリック教会のトップ）は、聖地イエルサレムをイスラームから奪うことを考えて、<strong>十字軍</strong>を作った</p>
<p>※十字軍は、何度も作られながらも、結果的に失敗した</p>
<p>→この失敗によって、教皇の権威が衰えた</p>
<p>→一方で、十字軍をきっかけとして東方との交流が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10世紀までのヨーロッパ社会は、自給自足的な農業生活に頼ってきた</p>
<p>→11～12世紀には、農業生産力の上昇、人口増加、ヒトとモノとの活発な移動が起きた</p>
<p>※この移動によって、農村から離れる人達が出てきた</p>
<p>→農村から離れた人たちからは、職人などの専門職や商人などが多く出てきた</p>
<p>＝職人や商人などは、農村とは違う別の生活や仕組みが見られるようになり、<strong>都市</strong>が誕生した</p>
<p>※都市は周囲を巻き込んでどんどん発展し、のちのルネサンス文化の誕生に貢献した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ヨーロッパの中でもイギリスは、国王の力が強かった</p>
<p>→そのため、13世紀に国王の暴走を抑えようと考えた貴族の動きが強まった</p>
<p>＝その結果、<strong>マグナ＝カルタ</strong>が発布された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→さらに、14～15世紀になると、凶作、飢餓、<strong>ペスト</strong>の流行などによる人口の激減、民衆の反乱や百年戦争などの危機的な出来事が起きた</p>
<p>＝この結果、以下の2つの動きが見られた</p>
<p>・弱小の領主が没落した</p>
<p>・国王や大諸侯は軍事力を使って危機を克服し、領地を拡大して富と権威を増やした</p>
<p>→そして、富と権威を増やした国王や大諸侯は、<strong>中央集権的な国家</strong>を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※同時に、イベリア半島で<strong>レコンキスタ</strong>を達成した王権の力が強まった</p>
<p>→その勢いは、海外進出にも向けられた</p>
<p>※レコンキスタ・・イベリア半島からイスラーム王朝を追い出して、国土を再征服しようとした運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/2465/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/2465" />
	</item>
		<item>
		<title>フランク王国の分裂について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/833</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/833#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:18:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア政策]]></category>
		<category><![CDATA[オットー1世]]></category>
		<category><![CDATA[カロリング家]]></category>
		<category><![CDATA[カール大帝]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[メルセン条約]]></category>
		<category><![CDATA[ユーグ＝カペー]]></category>
		<category><![CDATA[ヴェルダン条約]]></category>
		<category><![CDATA[東フランク]]></category>
		<category><![CDATA[神聖ローマ帝国]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=833</guid>
		<description><![CDATA[・フランク王国の分裂について &#160; &#160; 　※カール大帝の帝国は、見た目は中央集権的だったが、実態はカールと伯との 　　個人的な結びつきの上に成り立っているものだった 　　→そのため、カール大帝が死んだ後 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/833">フランク王国の分裂について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>・フランク王国の分裂について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※カール大帝の帝国は、見た目は中央集権的だったが、実態はカールと伯との</p>
<p>　　個人的な結びつきの上に成り立っているものだった</p>
<p>　　→そのため、カール大帝が死んだ後に内紛が起きた</p>
<p>　　　＝そして、８４３年のヴェルダン条約と８７０年のメルセン条約によって、</p>
<p>　　　　帝国は東フランク、西フランク、イタリアの３つに分裂した</p>
<p>　　　　※３つに分裂した帝国は、それぞれドイツ、フランス、イタリアに発展していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・帝国のそれぞれの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東フランク（ドイツ）では、１０世紀の初めにカロリング家の血統が絶えるということが起きた</p>
<p>　　→そこで、各部族を支配する諸侯の選挙で王が選ばれるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→また、ザクセン家の王であったオットー１世は、ウラル語系のマジャール人や</p>
<p>　　　スラヴ人の侵入を退けた</p>
<p>　　　※その後、イタリアを制圧して、９６２年に教皇からローマ皇帝の位を与えられた</p>
<p>　　　　＝これが神聖ローマ帝国の始まりだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→皇帝位はドイツの王が兼ねたが、皇帝はイタリア政策に熱心で本国をおろそかにして、</p>
<p>　　　国内に不統一をもたらした</p>
<p>　　　※イタリア政策・・１０～１３世紀において、神聖ローマ皇帝がイタリア支配に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　積極的に乗り出した政策のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西フランク（フランス）では、１０世紀の終わりにカロリング家の血筋が途絶えてしまった</p>
<p>　　→その後、パリの伯であるユーグ＝カペーという人が王位についてカペー朝を開いた</p>
<p>　　　※しかし、王権はパリの周辺などのせまい領域を支配するだけできわめて弱かった</p>
<p>　　　　＝そのため、王に匹敵する大諸侯が大量に分裂していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イタリアでは、カロリング家が途絶えてしまった</p>
<p>　　→その後は、神聖ローマ帝国の介入やイスラーム勢力の侵入などがあり、</p>
<p>　　　イタリア国内が乱れていった</p>
<p>　　　※ローマを中心にした教皇領とならんで、北イタリアではジェノヴァやヴェネツィアなどの</p>
<p>　　　　都市が独立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・フランク王国の分裂と、３国のそれぞれの動きをおさえる</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/833">フランク王国の分裂について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/833/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>9</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/833" />
	</item>
		<item>
		<title>カール大帝と当時のヨーロッパの様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/832</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/832#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:14:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[カール大帝]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[ザクセン人]]></category>
		<category><![CDATA[シャルルマーニュ]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ皇帝]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[ランゴバルド王国]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[西ローマ帝国]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=832</guid>
		<description><![CDATA[カール大帝とフランク帝国の分裂について考えてみます &#160; &#160; ・カール大帝について &#160; &#160; 　※ローマ教会とフランク王国との関係は、ピピンの子どものカール大帝（シャルルマーニュ）の  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/832">カール大帝と当時のヨーロッパの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>カール大帝とフランク帝国の分裂について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・カール大帝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※ローマ教会とフランク王国との関係は、ピピンの子どものカール大帝（シャルルマーニュ）の</p>
<p>　　時代にもっとも深まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カール大帝は、ランゴバルド王国を征服して北東のザクセン人を服従させた</p>
<p>　　→その結果、大陸における多くのゲルマン部族が統合され、</p>
<p>　　　ローマ＝カトリックに改宗させられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カール大帝は、東ではモンゴルのアヴァール人を、南ではイスラーム教徒を撃退した</p>
<p>　　→そして、西ヨーロッパの主要な部分はフランク王国によって統一された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カールは、広大な領土をまとめて支配するために、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・全国を州に分けた</p>
<p>　　　・地方の有力な豪族を各州の長官である伯に任命した</p>
<p>　　　・巡察使を派遣して伯を監督させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のような流れを受けて、フランク王国はビザンツ帝国に並ぶ強大な国になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、ローマ教会はビザンツ皇帝に匹敵する政治的保護者がカールだと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８００年のクリスマスの日に、教皇のレオ３世はカールにローマ教皇の帝冠を与えて、</p>
<p>　　「西ローマ帝国」の復活を宣言した</p>
<p>　　→カールの戴冠は、西ヨーロッパ世界が政治的、文化的、宗教的に独立したという</p>
<p>　　　重要な歴史的意義がある</p>
<p>　　　＝そして、ローマ以来の古典古代文化、キリスト教、ゲルマン人が融合した</p>
<p>　　　　西ヨーロッパ中世世界が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、ローマ教会はビザンツ皇帝への従属から独立した</p>
<p>　　→そして１１世紀にキリスト教世界は、以下の２つに完全に分裂してしまった</p>
<p>　　　・教皇を首長とするローマ＝カトリック教会</p>
<p>　　　・ビザンツ皇帝を首長とするギリシア正教会</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のように、ローマ帝国以来存続してきた地中海世界は、</p>
<p>　　　西ヨーロッパ世界、東ヨーロッパ世界、イスラーム世界の３つに分かれ、</p>
<p>　　　以後それぞれ独自の歴史を歩むようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・カール大帝を中心としたヨーロッパの動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/832">カール大帝と当時のヨーロッパの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/832/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/832" />
	</item>
		<item>
		<title>ローマ＝カトリック教会の流れについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/831</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/831#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:10:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[カール＝マルテル]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル教会]]></category>
		<category><![CDATA[ピピン]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[ランゴバルド王国]]></category>
		<category><![CDATA[レオ3世]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ教会]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[五本山]]></category>
		<category><![CDATA[聖像禁止令]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=831</guid>
		<description><![CDATA[ローマ＝カトリック教会の流れについて考えてみます &#160; &#160; ・ローマ＝カトリック教会の流れについて &#160; &#160; 　※フランク王国と協同して西ヨーロッパ世界の形成に貢献したのが、 　　ロー [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/831">ローマ＝カトリック教会の流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ローマ＝カトリック教会の流れについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ローマ＝カトリック教会の流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※フランク王国と協同して西ヨーロッパ世界の形成に貢献したのが、</p>
<p>　　ローマ＝カトリック教会だった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ローマ帝政の末期には、五本山と呼ばれるキリスト教会が重要だった</p>
<p>　　→中でも有力だったのはローマ教会とコンスタンティノープル教会だった</p>
<p>　　　※五本山・・ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、イェルサレム、</p>
<p>　　　　　　　　　アレクサンドリアの５教会を指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ローマ帝国が滅亡すると、ローマ教会はしだいにビザンツ皇帝が支配していた</p>
<p>　　コンスタンティノープル教会から分離する傾向を見せ始めて、</p>
<p>　　独自の活動を展開するようになっていった</p>
<p>　　→そして、６世紀末の教皇であるグレゴリウス１世以来、ローマ教会は</p>
<p>　　　ゲルマン人への布教を熱心に行った</p>
<p>　　　※さらに、６世紀から広がった修道院運動は、民衆の教化に貢献していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような流れを受けて、ローマ教会は西ヨーロッパに勢力を拡大していった</p>
<p>　　　※特に、使徒殉教の地だったローマの司教は、教皇（法王）として</p>
<p>　　　　権威を高めるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そして、東西の教会の断絶を深めたのは、聖像をめぐる対立だった</p>
<p>　　※キリスト教徒は以前からキリスト、聖母、聖人の聖像を礼拝していた</p>
<p>　　　→この動きが、偶像崇拝を禁止するキリスト教の初期の教理に反すると考えられた</p>
<p>　　　→さらに、偶像を厳しく否定するイスラーム教と対抗する必要に迫られた</p>
<p>　　　　＝そのため、７２６年にビザンツ皇帝のレオン（レオ）３世が</p>
<p>　　　　　聖像禁止令というルールを出した</p>
<p>　　　　　※聖像禁止令・・聖像崇拝は、９世紀のなかばに復活した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ゲルマン人への布教に聖像を必要としていたローマ教会は聖像禁止令に反発した</p>
<p>　　→そのため、東西の両方の教会が対立と分裂を一層強めていくことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような動き以降、ローマ教会はビザンツ皇帝に対抗できる</p>
<p>　　　強力な政治勢力を保護者として求める必要が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、このころにカール＝マルテルがイスラーム軍を倒して西方キリスト教世界を守った</p>
<p>　　→そこで、ローマ教皇はフランク王国に近づくことを狙った</p>
<p>　　　＝その結果、カール＝マルテルの子どものピピンがフランク王位を継承することを認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのお返しに、ピピンはイタリアのランゴバルド王国を攻め、</p>
<p>　　　奪ったラヴェン地方を教皇に渡した</p>
<p>　　　＝これが教皇領の始まりとなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※利害が一致したローマ教会とフランク王国は、さらに結びつきを強めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ローマ＝カトリック教会の動きと、対立についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/831">ローマ＝カトリック教会の流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/831/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/831" />
	</item>
		<item>
		<title>フランク王国の発展とイスラームとの関係について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/830</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/830#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:06:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[アタナシウス派]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム]]></category>
		<category><![CDATA[カロリング朝]]></category>
		<category><![CDATA[カール＝マルテル]]></category>
		<category><![CDATA[トゥール・ポワティエ間の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[ブルグンド王国]]></category>
		<category><![CDATA[メロヴィング家]]></category>
		<category><![CDATA[地中海]]></category>
		<category><![CDATA[東ゴート王国]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=830</guid>
		<description><![CDATA[フランク王国の発展とイスラームとの関係について考えてみます &#160; &#160; ・フランク王国の発展とイスラームとの関係について &#160; &#160; 　・４８１年に全てのフランク人が、メロヴィング家のクロ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/830">フランク王国の発展とイスラームとの関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランク王国の発展とイスラームとの関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フランク王国の発展とイスラームとの関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・４８１年に全てのフランク人が、メロヴィング家のクローヴィスという人によって統一された</p>
<p>　　→この動きによって、フランク王国はガリア中部を支配下において、</p>
<p>　　　東ゴート王国にならぶ強国になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、他のゲルマン人の多くが異端であるアリウス派キリスト教を信仰していた</p>
<p>　　　→しかし、グローヴィスは正統派のアタナシウス派に改宗した</p>
<p>　　　※この改宗は、後にフランク王国がローマ人貴族を支配層に取り込んで、</p>
<p>　　　　西ヨーロッパの中心勢力になる一因だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・６世紀の半ばに、フランク王国がブルグンド王国などを倒して全てのガリアを統一した</p>
<p>　　※しかし、８世紀になるとメロヴィング朝という王朝の権力が衰えていくようになった</p>
<p>　　　＝その結果、王家の行政と財政の長官である宮宰という役職が</p>
<p>　　　　実権を握るようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でこのころに、アラビア半島から急速に広がって地中海世界に侵入したイスラーム勢力が、</p>
<p>　　フランク王国に近づきつつあった</p>
<p>　　→イスラーム勢力は、ウマイヤ朝時代にアラブ人のイスラーム教徒が北アフリカを西に進み、</p>
<p>　　　イベリア半島に渡って７１１年に西ゴート王国を倒した</p>
<p>　　　※さらに、イスラーム勢力がピレネー山脈を越えてガリアに侵攻しようとしていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→そこで、メロヴィング朝の宮宰であったカール＝マルテルという人が</p>
<p>　　７３２年のトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム軍を倒し、</p>
<p>　　西方キリスト教世界を外敵から守ることに成功した</p>
<p>　　※カール＝マルテルの子どものピピンという人は、</p>
<p>　　　７５１年にメロヴィング朝を廃して王位についた</p>
<p>　　　＝その結果、カロリング朝という王朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・今までの様々なゲルマン国家は、大体は旧西ローマ帝国の統治制度を受け継いだ</p>
<p>　　※さらに、地中海商業と都市生活にもとづく地中海世界も基本的にはまだ残っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、イスラーム勢力の侵入と同時に、地中海世界の統一性が崩れ出してきてしまった</p>
<p>　　　＝その結果、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・地中海がイスラーム勢力に支配された</p>
<p>　　　　・キリスト教徒が自由に交通できなくなった</p>
<p>　　　　・地中海の商業圏が衰退してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・フランク王国の流れをおさえる</p>
<p>・イスラームの侵入によるヨーロッパの変化をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/830">フランク王国の発展とイスラームとの関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/830/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/830" />
	</item>
		<item>
		<title>ゲルマン人の大移動について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/829</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/829#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 12:49:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[アングロ＝サクソン七王国]]></category>
		<category><![CDATA[イベリア半島]]></category>
		<category><![CDATA[カタラウヌムの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[ケルト人]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人の大移動]]></category>
		<category><![CDATA[ドナウ川]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[フン人]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=829</guid>
		<description><![CDATA[ゲルマン人の大移動について考えてみます &#160; &#160; ・ゲルマン人の大移動について &#160; &#160; 　・アルプスより北側の地域には、紀元前６世紀ころからケルト人という人達が住んでいた 　　→一方 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/829">ゲルマン人の大移動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ゲルマン人の大移動について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ゲルマン人の大移動について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アルプスより北側の地域には、紀元前６世紀ころからケルト人という人達が住んでいた</p>
<p>　　→一方で、バルト海沿岸を原住地とするゲルマン人という人達が、</p>
<p>　　　ケルト人を西に追いやりながら勢力を広げていった</p>
<p>　　　＝結果的にゲルマン人は、紀元前後ころにライン川から黒海沿岸にいたるまでの</p>
<p>　　　　広い地域に拡大していった</p>
<p>　　　　※この時に、ローマ帝国と境界が接するまでになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※紀元前後のゲルマン人の社会については、以下のような資料が重要だと言われている</p>
<p>　　　　　・カエサルという人の「ガリア戦記」</p>
<p>　　　　　・タキトゥスという人の「ゲルマニア」　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のゲルマン人には、以下のような特徴があった</p>
<p>　　→・数十の部族に分かれていて、それぞれの部族に１人の王や数人の首長を持っていた</p>
<p>　　　・貴族、平民、奴隷の身分差がすでに発生していた</p>
<p>　　　　※ただし、重要な決定は貴族と平民で構成される成年男性自由人の全体の集会である</p>
<p>　　　　　民会が行なった</p>
<p>　　　・農業が主な生活の手段となり、人口が増えてくると同時に耕地が不足した</p>
<p>　　　　※この耕地不足が民族移動の内的な原因になったと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→以上のような特徴があったため、ローマ帝政後期になるとゲルマン人は</p>
<p>　　　ドナウ川流域にまで広がった</p>
<p>　　→さらに、ローマの下級官吏、傭兵、コロヌスとして、平和的に帝国内に</p>
<p>　　　移住する人も多くなってきた</p>
<p>　　　＝同時に、ゲルマン人の社会では小部族が軍事的指導者である王のもとに</p>
<p>　　　　まとめられて大部族に成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・４世紀の後半に、アジア系のフン人がドン川という川をこえて西に進むということが起きた</p>
<p>　　→その後、フン人がゲルマン人の一派である東ゴート人の大半を征服し、</p>
<p>　　　西ゴート人も圧迫した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、西ゴート人は３７５年に南へ移動を始め、</p>
<p>　　　次の年にドナウ川を渡ってローマ帝国領内に移住した</p>
<p>　　　※この動きをきっかけに、他のゲルマンの様々な部族も</p>
<p>　　　　大規模な移動を開始するようになった</p>
<p>　　　　＝この流れの結果、約２００年におよぶゲルマン人の大移動が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ゴート人は４１０年にローマを略奪した</p>
<p>　　→その後、ガリア西南部とイベリア半島に移動して建国をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・他の民族については、以下のような動きを見せた</p>
<p>　　→・ヴァンダル人は北アフリカに建国した</p>
<p>　　　・ブルグンド人はガリア東南部に建国した</p>
<p>　　　・フランク人はガリア北部に建国した</p>
<p>　　　・アングロ＝サクソン人は大ブリテン島に渡った</p>
<p>　　　　※アングロ＝サクソン人は９世紀までの間に</p>
<p>　　　　　アングロ＝サクソン七王国（ヘプターキー）を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でフン人は、５世紀前半にアッティラ王という人がパンノニア（現在のハンガリー）を</p>
<p>　　中心に大帝国を作った</p>
<p>　　→しかし、４５１年にカタラウヌムの戦いでフン人が西ローマとゲルマンの連合軍に負ける</p>
<p>　　　ということが起きた</p>
<p>　　　＝そのため、アッティラの死後に大帝国が崩壊してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような混乱の中で、４７６年に西ローマ帝国がゲルマン人傭兵隊長の</p>
<p>　　　オドケアルという人に滅ぼされた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東ゴート人は、テオドリック大王という人のもとでフン人の支配から脱出した</p>
<p>　　→その後、東ゴート人はイタリア半島に移動してオドケアルの王国を倒し、</p>
<p>　　　イタリア半島に建国した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝そして、５６８年に北イタリアにランゴバルド王国が作られたのを最後に、</p>
<p>　　　民族大移動の波は一度終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※先住民のケルト人は、現在のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、</p>
<p>　　　ブルターニュ半島に追いやられたが、その後も独自の文化を保ち続けていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→ゲルマンの様々な民族の国家の多くが短命だったのに対して、その後着実に領土を広げ、</p>
<p>　　最有力国として西ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たしたのは、</p>
<p>　　フランク王国というところだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ゲルマン人の大移動とその内容、動きなどについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/829">ゲルマン人の大移動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/829/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/829" />
	</item>
	</channel>
</rss>
