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	<title>アラエス &#187; ベトナム</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>戦後の世界の様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1316</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1316#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 09:38:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[インドネシア]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム]]></category>
		<category><![CDATA[北緯38度線]]></category>
		<category><![CDATA[国際連合]]></category>
		<category><![CDATA[安全保障理事会]]></category>
		<category><![CDATA[常任理事国]]></category>
		<category><![CDATA[戦後]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮]]></category>
		<category><![CDATA[民族解放運動]]></category>
		<category><![CDATA[米ソ対立]]></category>

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		<description><![CDATA[戦後の世界の様子について考えてみます &#160; &#160; ・戦後の世界の様子について &#160; &#160; 　※戦後の世界を作る時に、第一次世界大戦が終わって約２０年で第二次世界大戦が 　　起きたことに対し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1316">戦後の世界の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦後の世界の様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦後の世界の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※戦後の世界を作る時に、第一次世界大戦が終わって約２０年で第二次世界大戦が</p>
<p>　　起きたことに対して反省することが、大前提となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカ、イギリス、ソ連の３カ国が、第二次世界大戦の時から、戦争が終わった後の</p>
<p>　　世界をどうしていくかということについて、議論を進めていた</p>
<p>　　→その時に、国際連盟が戦争を防げなかったことを反省して、国際連盟に代わる</p>
<p>　　　新しい組織ということで、国際連合という組織を作ることが決められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１０月に、連合国５１カ国が参加して、国際連合が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※国際連合について</p>
<p>　　　・アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国の５つの国を常任理事国とする</p>
<p>　　　　安全保障理事会という組織を国際連合の重要な機関の一つとして作った</p>
<p>　　　　→安全保障理事会は、どこかの国が平和を壊すような行動を取った場合、</p>
<p>　　　　　軍事を使ってでも平和を守るための行動を取って良いということになり、</p>
<p>　　　　　それくらいに大きな権力を安全保障理事会は持った</p>
<p>　</p>
<p>　　※安全保障理事会について</p>
<p>　　　・安全保障理事会は、常任理事国５カ国と、非常任理事国１０カ国の</p>
<p>　　　　１５の理事国が担当している</p>
<p>　　　・話し合われている内容を許可する場合、９カ国以上の賛成が必要</p>
<p>　　　・ただし、常任理事国には拒否権という権利があり、常任理事国のうち</p>
<p>　　　　１カ国でも反対したら、話し合われている内容は却下になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・連合国は、大きな額の賠償金を負けた国に払わせたベルサイユ条約の反省から、</p>
<p>　　負けた国が復讐という意図で２度と戦争を起こさないようにすることを目標に考えた</p>
<p>　　→そのため、連合国は負けた国を長い間占領し続けて、占領した国と世界を</p>
<p>　　　同時に平和にしていくための仕組みのために改革していく</p>
<p>　　　という方針を取ることを決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のようにして、国際連合と戦争で勝った国の負けた国に対する努力の２つで、</p>
<p>　　国際社会を安定したものに出来ると思われていた</p>
<p>　　→しかし、米ソ対立によって、安定したものにできなくなってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※どういうことか・・</p>
<p>　　　・２つの世界大戦を終わって、ヨーロッパの国々がものすごく衰えた</p>
<p>　　　　→一方で、アメリカとソ連が優れた軍事力と経済力を背景に、</p>
<p>　　　　　世界で圧倒的な力を持つようになった</p>
<p>　　　・すると、アメリカとソ連との間で、終戦の後からお互いに牽制し合うようになり、</p>
<p>　　　　利害が対立することになった</p>
<p>　　　　＝そのため、アメリカとソ連が対立するという、米ソ対立の状態になってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※戦後は、米ソ対立を中心に動いていったと言われることもある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、ヨーロッパの国々に支配されていた多くの植民地は、以下のような状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・戦争に協力したことと引き換えに、戦後に独立することが保障された</p>
<p>　　　・世界大戦の時に、生活のインフラ自体が根本的に壊されていた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　＝このような状況だったので、多くの植民地で民族解放運動が起きるようになった</p>
<p>　　　　　※民族解放運動・・民族の独立のために行う運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本が占領していた地域でも、インドネシアとベトナムが独立を宣言した</p>
<p>　　→しかし、元々インドネシアとベトナムを占領していたオランダとフランスが、</p>
<p>　　　独立について武力を使って阻止しようとした</p>
<p>　　　＝そのため、独立を目指す国と、独立を阻止しようとする国との間で激しい戦いが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮でも独立に対する動きが起きた</p>
<p>　　→しかし、日本が負けを認めた時に、朝鮮では以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　・米ソ対立が影響したため、北緯３８度線を境にして、北側をソ連が、南側をアメリカが、</p>
<p>　　　　それぞれ分割した状態で占領し、それぞれに軍備を用意した</p>
<p>　　　　＝そのため、朝鮮がそのまま独立を果たすということが出来なかった</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦後の世界の動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1316">戦後の世界の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>ベトナム戦争とインドシナ半島について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1063</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1063#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 17:31:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後世界史・冷戦・第三世界]]></category>
		<category><![CDATA[ゴ＝ディン＝ジエム政権]]></category>
		<category><![CDATA[パテト＝ラオ]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム]]></category>
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		<category><![CDATA[北爆]]></category>
		<category><![CDATA[民主カンボジア]]></category>

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		<description><![CDATA[ベトナム戦争とインドシナ半島について考えてみます &#160; &#160; ・ベトナム戦争について &#160; &#160; 　・ベトナム共和国（南ベトナム）では、１９５５年にアメリカ合衆国の 　　支援を受けたゴ＝デ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1063">ベトナム戦争とインドシナ半島について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ベトナム戦争とインドシナ半島について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ベトナム戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナム共和国（南ベトナム）では、１９５５年にアメリカ合衆国の</p>
<p>　　支援を受けたゴ＝ディン＝ジエム政権が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６０年に、ベトナム統一をめざす南ベトナム解放民族戦線が結成された</p>
<p>　　→この戦線は、ベトナム民主共和国（北ベトナム）と手を組んで</p>
<p>　　　ゲリラ戦を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６３年に、ジエム政権が軍のクーデタによって倒されるということが起きた</p>
<p>　　※この後、解放民族戦線の攻撃が激しくなった</p>
<p>　　　→すると、アメリカがこの動きを共産主義勢力の侵略だとして</p>
<p>　　　　本格的に軍事援助を始めた</p>
<p>　　　　＝結果的に、１９６５年から北ベトナムへの爆撃（北爆）を行い始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、北ベトナムと解放戦線はソ連と中国の援助を受けたこともあり</p>
<p>　　持ちこたえた</p>
<p>　　＝そのため、戦いの状況が泥沼化することになった</p>
<p>　　　※この時に、アメリカの軍事的な介入に対して、アメリカ国内で</p>
<p>　　　　意見が二つに分かれた</p>
<p>　　　※また、この行動に対して国際的にも多くの批判を受けていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６８年にアメリカは、北爆を停止した</p>
<p>　　→その後、パリで北ベトナム側と和平交渉に入っていった</p>
<p>　　　＝結果的に、１９７３年１月にベトナム（パリ）和平協定に調印することで</p>
<p>　　　　南ベトナムから撤退した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、１９７５年４月に、北ベトナム軍と解放戦線が</p>
<p>　　サイゴンというところを占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝そして、１９７６年に南北を統一したベトナム社会主義共和国が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カンボジアでは、１９７０年に以下の２つの勢力がぶつかっていた</p>
<p>　　→・クーデタでシハヌーク元首を追放した親米右派　</p>
<p>　　　・ポル＝ポトという人が指導する赤色クメールなどの解放勢力</p>
<p>　　　　＝この争いは、１９７５年に解放勢力が勝利して、</p>
<p>　　　　　民主カンボジア（民主カンプチア）を名乗った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ラオスでは、１９６０年代の前半から、政権を握る右派と、</p>
<p>　　左派のラオス愛国戦線（パテト＝ラオ）の間で内戦が続いていた</p>
<p>　　＝結果的に、愛国戦線が勝利し、１９７５年にラオス人民民主共和国が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ベトナムの様子についておさえる</p>
<p>・カンボジアとラオスの様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1063">ベトナム戦争とインドシナ半島について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>東南アジアの民族運動について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1010</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1010#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 06:35:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム同盟]]></category>
		<category><![CDATA[オランダ]]></category>
		<category><![CDATA[ドンズー運動]]></category>
		<category><![CDATA[フィリピン]]></category>
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		<category><![CDATA[ベトナム]]></category>
		<category><![CDATA[ホセ＝リサール]]></category>
		<category><![CDATA[強制栽培制度]]></category>
		<category><![CDATA[東南アジア]]></category>

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		<description><![CDATA[東南アジアの民族運動について、オランダ、フィリピン、ベトナムを中心に考えてみます &#160; &#160; ・東南アジアの民族運動について &#160; &#160; 　・当時の東南アジア地域は、タイ以外の全ての地域が [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1010">東南アジアの民族運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東南アジアの民族運動について、オランダ、フィリピン、ベトナムを中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東南アジアの民族運動について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の東南アジア地域は、タイ以外の全ての地域が植民地支配を受けていた</p>
<p>　　※どの地域でも植民地支配に対する抵抗運動が見られた</p>
<p>　　　→しかし、多くの地域は弾圧されて挫折していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・オランダについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダでは、衰退し続けるインドネシアの状況に対して批判する世論が作られていった</p>
<p>　　→そのため、強制栽培制度の廃止など、植民地政策の根本的な見直しがすぐ必要になった</p>
<p>　　　＝その結果、２０世紀にはいって住民への福祉政策が用いられ、</p>
<p>　　　　現地人での官吏養成政策の一つとして多くの学校を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のオランダでは、貴族の子弟を中心に、オランダ語の教育や専門教育が行なわれた</p>
<p>　　→この時、教育を受けた子弟の間で、しだいに民族的な自覚が生まれてきた</p>
<p>　　　＝このようにして、１９１１年に民族的な組織である</p>
<p>　　　　イスラーム同盟（サレカット＝イスラーム）が結成された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム同盟は、最初はお互いに助け合う性格が強かった</p>
<p>　　※しかし、イスラーム同盟は段々と政治活動も行うようになっていった</p>
<p>　　　→１９１８～２０年の民族運動が盛り上がった時期には、中心的な役割を果たした</p>
<p>　　　　※この時に、イスラーム同盟は民族独立や社会主義を掲げた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※しかし、植民地政庁の弾圧によって、イスラーム同盟の組織が崩壊してしまった</p>
<p>　　　＝そのため、１９２０年代に入ると、急激に衰退していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フィリピンについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フィリピンでは、教育を受けた新しい世代のフィリピン人が、１９世紀の後半から、</p>
<p>　　スペインの支配を批判して、民衆の啓蒙活動を始めるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８０年代に入ると、ホセ＝リサールなどが民族意識を目覚めさせる言論活動を始めた</p>
<p>　　→その結果、１８９６年にフィリピン革命が始まった</p>
<p>　　　※このフィリピン革命に、アメリカ合衆国が介入した</p>
<p>　　　　→すると、アギナルドという人を中心とするフィリピンの革命軍が</p>
<p>　　　　　自分達の力で解放を目指した</p>
<p>　　　　　＝その結果、日本に武器の援助を求めるなどして運動を進め、共和国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ところが、アメリカ＝スペイン戦争後に、スペインとの条約によってアメリカは</p>
<p>　　フィリピンの領有権を得ていた</p>
<p>　　→そこでアメリカは、フィリピンに侵攻し、フィリピンに侵攻して、</p>
<p>　　　フィリピン＝アメリカ戦争を起こした</p>
<p>　　　＝この時に、共和国側は敗北し、アメリカは１９０２年から本格的な統治を始めた</p>
<p>　　　　※しかし、その後もムスリムを中心に各地で反乱が続いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ベトナムについて</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナムでは、明治維新以降、近代化して強国になった日本の姿に刺激されて、</p>
<p>　　ファン＝ボイ＝チャウという人を中心に、１９０４年にフランスからの独立と立憲君主制の</p>
<p>　　樹立を目指す維新会が組織された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・維新会は、日本へ留学生を送って新しい学問や技術を学ばせようとする</p>
<p>　　ドンズー（東遊）運動を組織した</p>
<p>　　※この時に、武力闘争の準備も行われた</p>
<p>　　　→しかし、ベトナムは日本とフランスの両方の弾圧を受けた</p>
<p>　　　　＝そのため、ドンズ―運動は１９１２年に広東で組織された</p>
<p>　　　　　ベトナム光復会に引き継がれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東南アジアの民族運動についておさえる</p>
<p>・オランダについておさえる</p>
<p>・フィリピンについておさえる</p>
<p>・ベトナムについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1010">東南アジアの民族運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>東南アジアの植民地化の動きについて②　－ミャンマー・フィリピン・ベトナム・清・タイ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/906</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/906#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 08:09:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[タイ]]></category>
		<category><![CDATA[ビルマ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[フィリピン]]></category>
		<category><![CDATA[フランス領インドシナ連邦]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム]]></category>
		<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[ユエ条約]]></category>
		<category><![CDATA[大土地所有制]]></category>
		<category><![CDATA[清]]></category>
		<category><![CDATA[清仏戦争]]></category>

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		<description><![CDATA[東南アジアの植民地化の動きについて、ミャンマー、フィリピン、ベトナム、清、タイの それぞれについて考えてみます &#160; &#160; &#160; &#160; 　・ミャンマーでは、イギリスはアッサムに進出したコン [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/906">東南アジアの植民地化の動きについて②　－ミャンマー・フィリピン・ベトナム・清・タイ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東南アジアの植民地化の動きについて、ミャンマー、フィリピン、ベトナム、清、タイの</p>
<p>それぞれについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ミャンマーでは、イギリスはアッサムに進出したコンバウン朝を３次にわたる</p>
<p>　　ビルマ戦争をへてインドに併合した</p>
<p>　　→そして、ミャンマー南部のデルタ地帯の水田稲作開発をすすめて</p>
<p>　　　世界市場に組み込んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フィリピンには、スペインが進出した</p>
<p>　　</p>
<p>　・スペインは、メキシコ銀をマニラに運んだ</p>
<p>　　→そして、マニラに集まってきた中国の商船や中国人在住者を仲介した</p>
<p>　　→そして、中国産の絹織物や陶磁器などを得てアメリカ大陸へ運ぶ太平洋ルートを確立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、支配地では政教一致体制を取り、住民をカトリックに強制的に改宗させた</p>
<p>　　→この時に、新しく統治組織を作ってフィリピン人をトップにした</p>
<p>　　　※しかし、スペイン人である教区司祭が、信仰から行政まで絶大な権限をふるった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・スペインは、今までは欧米の勢力に対して鎖国政策を取ってきた</p>
<p>　　→しかし、自由貿易を求める圧力を受けたために、１８３４年にマニラを正式に開港した</p>
<p>　　　＝その結果、砂糖、マニラ麻、タバコなどの商品作物の生産が一気に進み、</p>
<p>　　　　世界市場に組み込まれていった</p>
<p>　　　　※この時に、商人や高利貸しによる土地の集積が始まった</p>
<p>　　　　　→そして、プランテーション開発が進んで大土地所有制が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナムには、フランスが介入した</p>
<p>　　</p>
<p>　・阮福映という人は、フランス人宣教師のピニョーが本国から連れてきたフランス義勇兵と</p>
<p>　　タイ軍の援助で１８０２年に全土を統一し、阮朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８０４年に、清朝からベトナム（越南）国王に封ぜられた</p>
<p>　　＝その結果、清の制度を導入し、行政制度を整備した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９世紀の半ばになると、フランスはカトリック教徒の迫害を理由にして</p>
<p>　　強引に軍事介入をし始めた</p>
<p>　　→その後、１８６２年にメコン川流域を奪って、領土拡大の動きを見せた</p>
<p>　　→この動きに対して、劉永福という人が組織した黒旗軍という軍は、</p>
<p>　　　ベトナム北部に根拠を置いて抵抗した</p>
<p>　　　※この動きを口実にフランスは北部に進出した</p>
<p>　　　　＝結果的に、１８８３年のユエ条約によって北部と中部を支配下に置いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、清朝はベトナムへの宗主権を主張して派兵したことで、清仏戦争が起きた</p>
<p>　　→この戦争で清は敗れた</p>
<p>　　　＝その結果、１８８５年の天津条約でベトナムへのフランスの保護権を</p>
<p>　　　　承認することになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ベトナムの植民地化に成功したフランスは、１８６３年以来</p>
<p>　　　保護国としていたカンボジアとベトナムを合わせた</p>
<p>　　　＝その結果、１８８７年にフランス領インドシナ連邦を成立させた</p>
<p>　　　　※１８９９年には、ラオスも編入した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・唯一植民地化の圧力を回避したのはタイだった</p>
<p>　　→タイでは、伝統的に閉鎖的な政策が西ヨーロッパの国々に対してとられていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９世紀になると、門戸開放の圧力が強まり、１９世紀の後半になって</p>
<p>　　　政策の転換が行なわれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→王室による貿易独占が解除され、自由貿易の原則が確認された</p>
<p>　　　※すると、次々と先進諸国と外交関係が結ばれた</p>
<p>　　　　＝その結果、お米の商品化が進み、デルタ地帯の開発が進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チュラコロン（ラーマ５世）という人は、イギリスとフランスとの勢力均衡策を取った</p>
<p>　　→この政策の裏で、外国への留学や外国人専門家の導入化を進めた</p>
<p>　　　＝その結果、近代化に成功し、植民地化への危機を回避した　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>ポイント</p>
<p>・植民地化を中心に、東南アジアの動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/906">東南アジアの植民地化の動きについて②　－ミャンマー・フィリピン・ベトナム・清・タイ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>清朝の支配の拡大と周辺地域との関係について②　－清朝と東アジア・東南アジアとの関係－</title>
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		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 20:55:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[足利]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近世・近代アジア史前期]]></category>
		<category><![CDATA[インドシナ半島]]></category>
		<category><![CDATA[コンバウン朝]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム]]></category>
		<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[ラタナコーシン朝]]></category>
		<category><![CDATA[両班]]></category>
		<category><![CDATA[東アジア]]></category>
		<category><![CDATA[東南アジア]]></category>
		<category><![CDATA[清]]></category>
		<category><![CDATA[琉球]]></category>

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		<description><![CDATA[清朝の支配の拡大と周辺地域との関係について、東アジアと東南アジアとの関係を考えてみます &#160; &#160; ・清朝と東アジアとの関係について &#160; &#160; 　・清朝の勢いがあった時には、直轄地や藩部 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/888">清朝の支配の拡大と周辺地域との関係について②　－清朝と東アジア・東南アジアとの関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>清朝の支配の拡大と周辺地域との関係について、東アジアと東南アジアとの関係を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・清朝と東アジアとの関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・清朝の勢いがあった時には、直轄地や藩部の他に、東アジアやインドシナ半島の国々も</p>
<p>　　清朝に朝貢を行った　　</p>
<p>　　※この時に、清朝はこれらの国々を属国とみなしていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１６世紀以降の朝鮮では、科挙制度の中で両班と言われる有力な家柄が</p>
<p>　　官僚の大部分を占めるようになった</p>
<p>　　→そのため、政治上の実権や学問上の指導権をめぐって争いを繰り返した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→朝鮮は、明の滅亡の後、清朝の侵略を受けてこれに従って朝貢関係に入った</p>
<p>　　　※しかし、清朝に対する対抗意識は強く、朝鮮こそが正統な中国文化の継承者である</p>
<p>　　　　という意識があった</p>
<p>　　　　＝そのため、両班層の間では儒教の考え方が、中国以上に厳格に守られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・琉球は、１７世紀の初めに薩摩の島津氏の攻撃を受けて、島津氏に従うようになった</p>
<p>　　※しかし、中国への朝貢は続いていた</p>
<p>　　　＝そのため、日本と中国の両方に従うという「両属」の状態になった</p>
<p>　　　　→その中で、中国と日本の両方の要素を含む琉球独特の文化が、首里城を中心に作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本では、１６３０年の鎖国の後に、江戸幕府が対外関係を厳しく統制した</p>
<p>　　→しかし、長崎における中国やオランダとの交易、対馬を通しての朝鮮との関係、</p>
<p>　　　琉球を通じての中国との関係など、近くの国々との交流は江戸時代でも続いていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・清朝と東南アジアとの関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・インドシナ半島では、１８世紀の後半に大きな変動が起きた</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・１６世紀以降、ベトナムが黎朝の名目的な支配のもとで政治勢力が南北に分裂していた</p>
<p>　　　　→その後、西山党が反乱を起こし、黎朝が滅ぼされるということが起きた</p>
<p>　　　　→さらにその後、フランスの支援を受けた阮福暎が西山朝を倒して、</p>
<p>　　　　　１８０２年にベトナムを統一した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・ミャンマーでは、トゥングー朝が中国人の反乱をきっかけに倒れるということが起きた</p>
<p>　　　　→すると、コンバウン朝という王朝が誕生して、ミャンマーを支配下に入れた</p>
<p>　　　　　※この時にタイのアユタヤ朝も倒した</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・ミャンマー軍の撤退後のタイでは、チャクリ（ラーマ１世）が</p>
<p>　　　　今日まで続くラタナコーシン（チャクリ）朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝以上のような流れを受けて、１８世紀の終わりから１９世紀の初めに、</p>
<p>　　今日のインドシナ半島の様々な国家の領域に大体重なる形で、国家の枠組みが定まってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※インドシナ半島の王朝は、どれも清朝に朝貢してその支持を得ようとしていたい</p>
<p>　　　→しかし、服属の関係は名目的なもので、清朝の実質的な支配は</p>
<p>　　　　これらの国々には及んでいなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・清朝と東アジアの国々との関係についておさえる</p>
<p>・清朝と東南アジアの国々との関係についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/888">清朝の支配の拡大と周辺地域との関係について②　－清朝と東アジア・東南アジアとの関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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