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	<title>アラエス &#187; 七年戦争</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>アメリカが独立する時の動きと流れ</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2531</link>
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		<pubDate>Sat, 15 Mar 2014 20:50:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[13植民地]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ合衆国]]></category>
		<category><![CDATA[イギリスとアメリカ]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[ボストン茶会事件]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[先住民]]></category>
		<category><![CDATA[茶法]]></category>
		<category><![CDATA[黒人奴隷]]></category>

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		<description><![CDATA[北アメリカの東海岸に、18世紀半ばまでに、イギリス人による13植民地が成立していた ※その時に、人々が植民地ごとに議会を作って自治を行い、様々な産業を発展させた →イギリスは、自国に必要な原料などの生産を植民地に求め、自 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2531">アメリカが独立する時の動きと流れ</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>北アメリカの東海岸に、18世紀半ばまでに、イギリス人による<strong>13植民地</strong>が成立していた</p>
<p>※その時に、人々が植民地ごとに議会を作って自治を行い、様々な産業を発展させた</p>
<p>→イギリスは、自国に必要な原料などの生産を植民地に求め、自国の利益を損なう産業を禁止した</p>
<p>※ただし、取り締まりは緩く、植民地の人達はイギリスとの通商の間で利益を得ていたために、対立は少なかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、1756年にオーストリアとプロイセンとの間で<strong>七年戦争</strong>が発生した</p>
<p>※この時にイギリスは莫大な戦費に苦しんだ</p>
<p>→そのためイギリスは、植民地の人々にも戦費を負担させようとして、植民地の課税を強化した</p>
<p>＝この課税に対して反対運動が起き、独立運動の起点になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>課税については、植民地の人達がいない状況でイギリスの人達だけで、<strong>印紙法</strong>や<strong>茶法</strong>などを決めた</p>
<p>→この課税に対して、植民地の人々は反対した</p>
<p>※代表的な例として、<strong>ボストン茶会事件</strong>がある</p>
<p>※ボストン茶会事件・・茶法に反対する植民地の人達が、紅茶を港に投げ込んだ事件のこと</p>
<p>→ボストン茶会事件に対して、イギリスが武力で解決しようとした</p>
<p>＝そのため、1774年に13植民地が大陸会議を開いて強く抗議した</p>
<p>※1775年には、独立戦争が始まった</p>
<p>→そして、1776年にジェファソンという人が作った独立宣言で自由と平等の戦いを宣言した</p>
<p>※植民地軍の総司令官は、七年戦争で活躍した<strong>ワシントン</strong>という人が担当した</p>
<p>→ワシントンは、フランクリンという人の協力も得て、独立戦争を勝利させた</p>
<p>＝この結果、1783年の<strong>パリ条約</strong>で独立が認められ、<strong>アメリカ合衆国</strong>が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※アメリカでは、以下のような動きが起きた</p>
<p>・1787年に合衆国憲法が作られた</p>
<p>・1789年に初代大統領としてワシントンが就任した</p>
<p>※合衆国憲法によって、アメリカは共和政、連邦国家、三権分立を採用した</p>
<p>→独立宣言や憲法は、フランス革命などにも影響を与えている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※ただし、独立宣言や憲法で示されている「自由・平等」を実現できたのは白人だけだった</p>
<p>＝<strong>先住民</strong>や<strong>黒人奴隷</strong>は、<span style="text-decoration: underline">独立後も抑圧的</span>だった</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2531">アメリカが独立する時の動きと流れ</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>アメリカの独立について①　－独立前の北アメリカ植民地－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/953</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/953#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:16:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[イギリス13植民地]]></category>
		<category><![CDATA[プランテーション]]></category>
		<category><![CDATA[ボストン茶会事件]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァージニア]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[代表なくして課税なし]]></category>
		<category><![CDATA[茶法]]></category>
		<category><![CDATA[重商主義]]></category>

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		<description><![CDATA[アメリカの独立について、独立前の北アメリカ植民地の様子について考えてみます &#160; &#160; ・独立前の北アメリカ植民地の様子について &#160; &#160; 　・北アメリカ東部にイギリスが持っていた１３の [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/953">アメリカの独立について①　－独立前の北アメリカ植民地－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>アメリカの独立について、独立前の北アメリカ植民地の様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・独立前の北アメリカ植民地の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北アメリカ東部にイギリスが持っていた１３の植民地は、</p>
<p>　　信仰の自由を求めて移住したピューリタンなどのキリスト教徒や、</p>
<p>　　貿易・開拓の利益を求めて渡来した人々によって開かれた</p>
<p>　　→そのため、１６１９年にヴァージニアに最初の植民地議会が設けられるなど、</p>
<p>　　　自治的な組織体制を発展させていた</p>
<p>　　　※当時は、早い段階で大学の設立や新聞の発行が行なわれ、</p>
<p>　　　　豊かな市民層が成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北アメリカ北部では、自営農民による農業や、商工業が発達した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北アメリカ南部では、黒人奴隷を使用し、タバコやお米などを栽培する</p>
<p>　　大農園（プランテーション）が盛んだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・イギリス本国は、重商主義政策によって植民地の商工業の発展をおさえようとした</p>
<p>　　※特に、七年戦争が終わった後は、財政難から脱出するために植民地の支配を強化した</p>
<p>　　　→すると、植民地人の不満は高まり、１７６５年の印紙法に対しては、</p>
<p>　　　　「代表なくして課税なし」という主張が唱えられた</p>
<p>　　　→また、１７７３年の茶法に対して怒りがあった住民は、</p>
<p>　　　　ボストン茶会事件を引き起こした</p>
<p>　　　　※植民地の不満は反抗運動として、どんどん盛んになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　＝上のような動きに対して、イギリス側はボストン港を閉鎖するなど、</p>
<p>　　　強硬な態度を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※代表なくして課税なし</p>
<p>　　→植民地は本国の議会に代表を送っていないから、本国の政府は</p>
<p>　　　植民地に課税する権利を持たないという法理論のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ボストン茶会事件</p>
<p>　　→茶をアメリカに免税で輸出する特権をイギリス政府が東インド会社に認めたことを</p>
<p>　　　植民地自治の侵害と感じた市民が、東インド会社の船を襲い、</p>
<p>　　　積み荷の茶を海に投げ捨てた事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・独立前の北アメリカ植民地の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/953">アメリカの独立について①　－独立前の北アメリカ植民地－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>近代初期のアジア市場の攻防について②　－イギリス・フランス－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/938</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/938#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 18:23:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[アンボイナ事件]]></category>
		<category><![CDATA[イギリス]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[プラッシーの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>

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		<description><![CDATA[近代初期のアジア市場の攻防の様子について、イギリス、フランスを中心に考えてみます &#160; &#160; ・イギリスとフランスについて &#160; &#160; &#160; 　・イギリスは、アンボイナ事件以降、イ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/938">近代初期のアジア市場の攻防について②　－イギリス・フランス－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>近代初期のアジア市場の攻防の様子について、イギリス、フランスを中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリスとフランスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスは、アンボイナ事件以降、インド経営に力を注いだ</p>
<p>　　※中でも、マドラス、ボンベイ、カルカッタを基地として、さかんな通商活動を展開した</p>
<p>　　　→その後、３回の対オランダ戦争を通して、１７世紀の終わりに世界貿易の権力を握った</p>
<p>　　　　＝このイギリスの最後の競争相手になったのがフランスだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※フランス東インド会社は、１７世紀の初めに作られながらも、</p>
<p>　　　すぐに活動を停止してしまった</p>
<p>　　　→その後、フランス東インド会社は１６６４年に再建されて、</p>
<p>　　　　コルベールのもとでインドに進出した</p>
<p>　　　　＝フランスは結果的に、ポンディシェリ、シャンデルナゴルを基地として</p>
<p>　　　　　イギリスと対抗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスとフランスは、ムガル帝国の皇帝や地方政権の許可のもとでインドに進出した</p>
<p>　　※しかし、帝国が内紛になると、地方の豪族も巻き込んだ勢力争いを繰り返していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８世紀にイギリスとフランスは、北アメリカなど世界の他の地域でも</p>
<p>　　衝突を繰り返していた</p>
<p>　　→そのため、ヨーロッパで戦争が起こると、海外にも戦争が広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　※七年戦争の時に、インドでは、以下のようなことが起きていた</p>
<p>　　→・クライヴという人が、イギリス東インド会社の傭兵軍を引き連れていた</p>
<p>　　　・クライヴが、フランスと地方政権の連合軍を</p>
<p>　　　　１７５７年のプラッシーの戦いで打ち破った</p>
<p>　　　　＝結果的に、イギリス領インドの基礎をきずいた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イギリスとフランスの様子をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/938">近代初期のアジア市場の攻防について②　－イギリス・フランス－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>プロイセンとオーストリアの動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/935</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/935#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 14:35:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[オーストリア]]></category>
		<category><![CDATA[オーストリア継承戦争]]></category>
		<category><![CDATA[スペイン継承戦争]]></category>
		<category><![CDATA[フリードリヒ2世]]></category>
		<category><![CDATA[プロイセン]]></category>
		<category><![CDATA[ユンカー]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[啓蒙専制主義]]></category>
		<category><![CDATA[外交革命]]></category>

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		<description><![CDATA[プロイセンとオーストリアの動きについて考えてみます &#160; &#160; ・プロイセンとオーストリアについて &#160; &#160; &#160; 　・ドイツでは、プロイセンがオーストリアにつぐ第２の強国として [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/935">プロイセンとオーストリアの動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>プロイセンとオーストリアの動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・プロイセンとオーストリアについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツでは、プロイセンがオーストリアにつぐ第２の強国として、</p>
<p>　　主権国家体制の一役を担う存在に成長した</p>
<p>　　</p>
<p>　・プロイセンは、スペイン継承戦争で神聖ローマ皇帝を助けて王国に昇格した</p>
<p>　　→プロイセンは、２代目の王であるフリードリヒ＝ヴィルヘルム１世が</p>
<p>　　　財政と行政を整えて軍備を増強した</p>
<p>　　　＝そして、結果的に絶対王政の基礎を作り上げたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オーストリアで、マリア＝テレジアという人がハプスブルク家の</p>
<p>　　全領土を継承するということが起きた</p>
<p>　　→すると、１７４０年に、フリードリヒ２世（大王）という人は、</p>
<p>　　　マリア＝テレジアの全領土の継承に異議を唱えた</p>
<p>　　　＝その結果、フリードリヒ２世は、資源の豊富なシュレジエンを占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、フリードリヒ２世は、自らの継承権を主張するバイエルン公や、</p>
<p>　　　フランス王などとともに、イギリスに支援されたオーストリアと戦った</p>
<p>　　　＝この戦いを、オーストリア継承戦争という</p>
<p>　　　　※この戦争は、１７４０年～４８年に行われ、シュレジエンを獲得した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦争の数年後に、シュレジエンの奪回を目指すマリア＝テレジアは、外交政策を転換した</p>
<p>　　→そこで、長年敵対関係にあったフランスと同盟し、ロシアを味方につけた</p>
<p>　　　※フリードリヒがフランスと同盟を結んだことを、「外交革命」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→これだけ味方につけたため、フリードリヒが１７５６年にはじめた七年戦争では、</p>
<p>　　　プロイセンが苦戦した</p>
<p>　　　※しかし、１７６３年に有利な和平を結んでシュレジエンを確保し、</p>
<p>　　　　ヨーロッパの強国の位置についた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フリードリヒは、「君主は国家第一の僕」と自称していた</p>
<p>　　※フリードリヒなどは、ヴォルテールなどのフランス啓蒙思想を参考にし、</p>
<p>　　　内政面で以下のようなことを行った</p>
<p>　　　→・信教の自由を認めた</p>
<p>　　　　・産業の育成を認めた</p>
<p>　　　　・司法の改革を行った</p>
<p>　　　　　＝以上のような動きによって、国民の福祉の向上を目標にかかげた政策を展開した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・プロイセンなどでは、西ヨーロッパで改革の担い手になった市民層の成長が十分ではなかった</p>
<p>　　→このため、君主主導で改革をすすめる体制（「上からの近代化」）がとられた</p>
<p>　　　＝この体制を、啓蒙専制主義という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※フリードリヒは、啓蒙専制君主の典型とされていた</p>
<p>　　　→しかし、その統治はユンカーを支柱とする非近代的な性格の強いものだった</p>
<p>　　　→そのため、農民の農奴的地位は改善されなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オーストリアでも、マリア＝テレジアがプロイセンとの戦争に備えて、</p>
<p>　　様々な内政の改革を行った</p>
<p>　　→マリア＝テレジアの子どものヨーゼフ２世という人は、啓蒙専制君主として、</p>
<p>　　　宗教面での寛容政策や農奴解放など、上からの近代化につとめた</p>
<p>　　　※しかし、ヨーゼフの中央集権的な改革は、特権を守ろうとする貴族や地域社会から</p>
<p>　　　　強い抵抗を受けた</p>
<p>　　　　＝結果的に改革は、挫折したものが多かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※オーストリアのハプスブルク家は、チェック人の住むベーメン王国、</p>
<p>　　　マジャール人のハンガリー王国、北イタリア地方、ベルギーなどを支配していた</p>
<p>　　　＝そのため、ヨーゼフの画一的な改革は民族の感情の反発を招いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・プロイセンとオーストリアの様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/935">プロイセンとオーストリアの動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/902</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/902#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 07:42:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[アウラングゼーブ帝]]></category>
		<category><![CDATA[インド]]></category>
		<category><![CDATA[オーストリア継承戦争]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[プラッシーの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[マイソール戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ムガル帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァスコ＝ダ＝ガマ]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>

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		<description><![CDATA[西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について考えてみます &#160; &#160; ・西ヨーロッパ勢力の進出について &#160; 　※西欧の国々の進出までの流れについて 　　・西欧の勢力が進出する以前のインド洋世 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/902">西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ヨーロッパ勢力の進出について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※西欧の国々の進出までの流れについて</p>
<p>　　・西欧の勢力が進出する以前のインド洋世界には、港市を結ぶネットワークが形成されていた</p>
<p>　　　→このネットワークでは、ムスリム商人やインド商人が活躍していた</p>
<p>　　・１５世紀の終わりにヴァスコ＝ダ＝ガマという人によってインドへの直接の航路が</p>
<p>　　　発見されるようになった</p>
<p>　　　→すると、ヨーロッパの商業勢力がインド洋世界への新たな参加者として登場した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ヨーロッパ勢力の動きとインドの植民地化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパの商業勢力の活動が本格化する１７世紀から１８世紀にかけてのインドは、</p>
<p>　　商品経済の発展を背景に、各地で政治経済活動が活発化し、</p>
<p>　　地方政権が力をつけていった時期だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・オランダ、イギリス、フランスなど、ヨーロッパ各国の東インド会社が、</p>
<p>　　以下のようなことを行っていた</p>
<p>　　→・ヨーロッパで需要が大きかったインド産の綿布の獲得を目指していた</p>
<p>　　　・そこで、インドに各地に着々と商館を建設し、商業活動を拡大した</p>
<p>　　　・その対価として、インドへ金や銀を大量に持ち込んできた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝このような、綿布を中心の輸出商品とする対外交易の拡大と、大量の金や銀の流入は、</p>
<p>　　　農業生産物を現物で分配するということを基礎として成り立ってきたという</p>
<p>　　　今までのインド経済の構造に大きな変化をもたらす要因になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地方政権の台頭に悩まされていたアウラングゼーブ帝が１８世紀の初めに死去する</p>
<p>　　ということが起きた</p>
<p>　　→すると、ムガル帝国は支配領域をまとめていく政治的な力を急速に失っていった</p>
<p>　　　＝結果的に、ムガル帝国は名目的な存在になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、地方の様々な勢力は、独立性をさらに高めていった</p>
<p>　　※そのため、お互いに軍事的な抗争を繰り返すようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパの国々のうち、イギリスとフランスの両方の東インド会社は、</p>
<p>　　１８世紀にはいってからも活発な商業活動を続けていた</p>
<p>　　→両方の東インド会社は、これらの抗争に関わらないでいつづけることが出来ず、</p>
<p>　　　だんだんと抗争に巻き込まれていった</p>
<p>　　　※さらに、両方の東インド会社は、インドとは無関係のヨーロッパでの対立を</p>
<p>　　　　持ち込むこともあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような対立の例として、以下のようなものがある</p>
<p>　　　・１８世紀のなかばに、インド南部のカーナティックと呼ばれた地域を舞台に、</p>
<p>　　　　オーストリア継承戦争や七年戦争と関連してイギリス、フランス、インドなどの</p>
<p>　　　　地方勢力が入り乱れて繰り広げられた戦争</p>
<p>　　　・インド東部でベンガル地方政権とフランスとの連合勢力がイギリスと抗争した</p>
<p>　　　　１７５７年のプラッシーの戦い</p>
<p>　　　　＝結局、軍事力と資金力が高かったイギリスは、１７６３年のパリ条約で</p>
<p>　　　　　インドでのイギリスとフランスとの戦いに決着をつけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→イギリスは、他のような争いも起きた</p>
<p>　　　・インドの様々な勢力に対して、１７６５年にイギリスは東部でベンガルとビバールの</p>
<p>　　　　両方の地域の徴税権を獲得して、財政基盤を確保した</p>
<p>　　　・南部で４回にわたるマイソール戦争、西部でのマラーター戦争、</p>
<p>　　　　西北部でのシク王国との戦争でイギリスはそれぞれ勝利をおさめた</p>
<p>　　　　＝結果的にイギリスは、１９世紀の半ばにインド全域を支配することに成功した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のような流れを受けてイギリスは、一部は藩王国として間接統治とし、</p>
<p>　　　他は直接支配するという体制を作った</p>
<p>　　　※この体制によって、インドの政治的植民地化を完成させたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・西欧の国々の進出についておさえる</p>
<p>・イギリスがインドを支配するまでの流れをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/902">西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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