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	<title>アラエス &#187; 孫文</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2474</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2474#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 07 Feb 2014 06:05:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[三・一独立運動]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[中国国民党]]></category>
		<category><![CDATA[五・四運動]]></category>
		<category><![CDATA[同化]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[封建主義]]></category>
		<category><![CDATA[帝国主義]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>

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		<description><![CDATA[大戦後の朝鮮と中国の民族運動について →代表的なものとして、三・一独立運動と五・四運動があげられる &#160; &#160; 日本の植民地とされた朝鮮の人たちは、1919年3月1日に、ソウルなどの都市で朝鮮の独立を宣言 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2474">第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大戦後の朝鮮と中国の民族運動について</p>
<p>→代表的なものとして、<strong>三・一独立運動</strong>と<strong>五・四運動</strong>があげられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本の植民地とされた朝鮮の人たちは、1919年3月1日に、<strong>ソウル</strong>などの都市で朝鮮の独立を宣言した</p>
<p>※運動自体は、平和的に非暴力で進められた</p>
<p>→日本は、軍隊や警察の力で運動を弾圧した</p>
<p>→日本の弾圧に対して、朝鮮の人々は各地で立ち上がり、独立運動が朝鮮全体に広がっていった</p>
<p>※日本が朝鮮をおさえつけていたため、多くの犠牲者が出た</p>
<p>→結果的に、運動は3カ月にわたって続けられ、約200万人が参加し、自由と独立を求める朝鮮の力を内外に示した</p>
<p>＝これら一連の独立運動を、三・一独立運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※三・一独立運動の後、学校での朝鮮語の授業がだんだん少なくなり、<strong>日本への同化</strong>が進められた</p>
<p>※1929年に朝鮮で、日本人の中学生が朝鮮人の女学生を侮辱した、という出来事によって、争いが起きたが、結果的に朝鮮人学生ばかりが非難された</p>
<p>→この非難をきっかけに、再び日本の支配に反対する運動が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1919年5月4日に中国で、<strong>ペキン</strong>の学生が日本の侵略に反対する運動を起こした</p>
<p>※この時に、労働者や商人もストライキで参加した</p>
<p>→結果的にこの運動は、外国の<strong>帝国主義</strong>と国内の<strong>封建主義</strong>に反対する革命運動になって、各地に広がった</p>
<p>＝これら一連の運動を、五・四運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※この時に<strong>孫文</strong>が<strong>中国国民党</strong>を作って、革命運動を進めた</p>
<p>→この勢いもあって、労働者や農民の運動も高まり、1921年に<strong>中国共産党</strong>が作られた</p>
<p>＝孫文は結果的に、ソ連や中国共産党と手を結んで、革命運動を発展させた</p>
<p>※ただし、孫文が死ぬということが起きた</p>
<p>→その後、<strong>国民党</strong>の<strong>蒋介石</strong>は、資本家や地主、外国の勢力などと手を結んだ</p>
<p>＝結果的に1927年に、ナンキンに国民政府を作って、中国共産党と対立した</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2474">第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日露戦争後の東アジアの様子をまとめてみた　（韓国併合と辛亥革命）</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2466</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2466#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 05 Feb 2014 01:19:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[三民主義]]></category>
		<category><![CDATA[中華民国]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[統監府]]></category>
		<category><![CDATA[総督府]]></category>
		<category><![CDATA[義兵]]></category>
		<category><![CDATA[袁世凱]]></category>
		<category><![CDATA[辛亥革命]]></category>
		<category><![CDATA[韓国併合]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争後の東アジアの様子 &#160; &#160; 日露戦争後の日本 ・日本は武力を使って、韓国を保護国として統監府を置き、韓国の外交権を奪った →その後勢いにのって、日本は韓国の内政をコントロールし、軍隊を解散させ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2466">日露戦争後の東アジアの様子をまとめてみた　（韓国併合と辛亥革命）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争後の東アジアの様子</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日露戦争後の日本</p>
<p>・日本は武力を使って、韓国を保護国として<strong>統監府</strong>を置き、韓国の外交権を奪った</p>
<p>→その後勢いにのって、日本は韓国の内政をコントロールし、軍隊を解散させた</p>
<p>※解散させられた軍隊の兵士は、農民と一緒に武器を持って、日本と戦った（＝<strong>義兵</strong>）</p>
<p>＝しかし、結局は1910年に韓国を日本の植民地とした（＝<strong>韓国併合</strong>）</p>
<p>※日本は、朝鮮に<strong>総督府</strong>を置いて、朝鮮を支配した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→その後日本は、朝鮮人を日本に同化させようとした</p>
<p>※同化の時に、以下のようなことを行った</p>
<p>・朝鮮学校で、日本語を「国語」として強制した</p>
<p>・朝鮮の歴史や地理よりも、日本の歴史や地理を教えた</p>
<p>・多くの朝鮮人から土地を奪った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→多くの朝鮮人は、上のような影響によって生活に困り、中国東北部や日本に移住した</p>
<p>※ただし朝鮮人は、様々な差別を受けた</p>
<p>＝結果的に日本は、<strong>朝鮮人を軽蔑し、差別する</strong>という考えが広まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>アヘン戦争</strong>後、清は列強の植民地に近い状態となった</p>
<p>→そこで、孫文という人は、東京で中国同盟会を作って、<strong>三民主義</strong>を提唱した</p>
<p>→中国では、孫文の影響を受けて、1911年に多くの地方が清からの独立を宣言した</p>
<p>※そのため、1912年に<strong>孫文</strong>を臨時大統領とする<strong>中華民国</strong>が作られ、清は倒された</p>
<p>＝これを<strong>辛亥革命</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→中華民国は、帝国主義勢力と結んだ軍閥の<strong>袁世凱</strong>が実権を握った</p>
<p>＝そのため、袁世凱が革命勢力をおさえた</p>
<p>※だから、孫文は革命運動を続けた</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2466">日露戦争後の東アジアの様子をまとめてみた　（韓国併合と辛亥革命）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>社会主義の展開と各国の動きについて　－社会主義はどのように考えられていったのか－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1659</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1659#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 07:54:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[宮下]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[西洋思想]]></category>
		<category><![CDATA[ウェッブ夫妻]]></category>
		<category><![CDATA[ゴルバチョフ]]></category>
		<category><![CDATA[バーナード＝ショウ]]></category>
		<category><![CDATA[フェビアン協会]]></category>
		<category><![CDATA[ベルンシュタイン]]></category>
		<category><![CDATA[レーニン]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[帝国主義]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義]]></category>

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		<description><![CDATA[社会主義の展開について考えてみます &#160; &#160; &#160; ※社会主義が様々な形になっていくまでの背景について 　・１９世紀後半に、社会主義は世界的に広まっていった 　・一方で、資本主義が新しくなってい [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1659">社会主義の展開と各国の動きについて　－社会主義はどのように考えられていったのか－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>社会主義の展開について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※社会主義が様々な形になっていくまでの背景について</p>
<p>　・１９世紀後半に、社会主義は世界的に広まっていった</p>
<p>　・一方で、資本主義が新しくなっていき、資本主義の中でも「帝国主義」が展開されていった</p>
<p>　　※帝国主義・・各国が市場を得るために、植民地を取る争いをする、という動きのこと</p>
<p>　・労働運動が活発になり、言論の自由や選挙権の拡大など、</p>
<p>　　労働者の環境が少しずつ変わるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような状況で、社会主義が様々な形になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリスの社会主義</p>
<p>　→代表的な人達として、ウェッブ夫妻やバーナード＝ショウなどが挙げられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ウェッブ夫妻やバーナード＝ショウについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ウェッブ夫妻が中心となり、バーナード＝ショウがサポートする形で、</p>
<p>　　　フェビアン協会というものが作られた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　→フェビアン協会は、功利主義の影響を受け、利潤の再分配、福祉の充実、</p>
<p>　　　　重要な産業の国有化などを行って</p>
<p>　　　　資本主義の良くない部分を少しずつ改善していこうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※フェビアン協会は、マルクスの革命の理論に対して、</p>
<p>　　　　知識のある人による指導を受けつつ、議会を使って平和に社会を変えていく、</p>
<p>　　　　という考え方の立場に立った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような、フェビアン協会のような考え方をフェビアニズムと言い、</p>
<p>　　イギリスの労働党に受け継がれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ドイツの社会主義について</p>
<p>　→代表的な人にベルンシュタインという人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベルンシュタインは、マルクス主義を発展させていくためには、</p>
<p>　　マルクスの考え方を修正していくべきだと考えた</p>
<p>　　＝このような考え方を修正マルクス主義という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベルンシュタインは、政治の仕組みが民主的になり、労働者の地位が上がった国では、</p>
<p>　　突然の革命ではなく、労働者階級の人達が議会で多くを得ることで、</p>
<p>　　着実に社会主義へと向かっていくのが良いと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような、ベルンシュタインの考え方は、ドイツ社会民主党に受け継がれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ロシアの社会主義について</p>
<p>　→代表的な人に、レーニンとゴルバチョフという人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・レーニンについて</p>
<p>　　・レーニンは、資本主義の社会でどれだけ民主化が進んでも階級による対立が</p>
<p>　　　無くならなければ、社会主義になることは無理だと考えた</p>
<p>　　　→そこでレーニンは、労働者階級の代表だった共産党に独裁をさせることによって</p>
<p>　　　　社会主義にしていこうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ゴルバチョフについて</p>
<p>　　・ゴルバチョフは、自分を中心に１９８５年にペレストロイカを行った</p>
<p>　　　→しかし、ペレストロイカは、結果的に社会主義体制を</p>
<p>　　　　根本から崩すことになってしまった</p>
<p>　　　　※ペレストロイカ・・ゴルバチョフを中心にして行われた社会主義の立て直しのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝結果的に、１９８９年から９１年にかけて、東欧とソ連の社会主義体制が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国の社会主義について</p>
<p>　→代表的な人に孫文と毛沢東という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・孫文は三民主義を提唱し、「革命、いまだ成らず」という言葉を残して亡くなった</p>
<p>　　→その後、毛沢東が革命運動の中心になり、毛沢東の指導によって</p>
<p>　　　１９４９年に中華人民共和国が作られ、中国が独自の社会主義へと向かって行った</p>
<p>　　</p>
<p>　　※三民主義・・民族主義（民族の自覚を高めること）、民権主義（人民主権にすること）、</p>
<p>　　　　　　　　　民生主義（人々の生活を向上させるために社会主義的な政策を行うこと）の</p>
<p>　　　　　　　　　３つをまとめた呼び方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ウェッブ夫妻とバーナード＝ショウらによって、フェビアン協会が作られ、</p>
<p>　少しずつ社会主義にしようと考えた</p>
<p>　→この考え方は、イギリスの労働党に受け継がれた</p>
<p>・ベルンシュタインは、修正マルクス主義を提唱し、革新的ではなく、</p>
<p>　着実に社会主義へ向かっていくべきだと考えた</p>
<p>　→この考え方は、ドイツ社会民主党に受け継がれた</p>
<p>・レーニンは、階級の対立が無くなれば資本主義から社会主義になると考えた</p>
<p>　→そこで、労働者階級の共産党に独裁をさせた</p>
<p>・ゴルバチョフらは、ペレストロイカを行ったが、社会主義を崩すまでのものになってしまった</p>
<p>・孫文が三民主義を提唱し、その後毛沢東が革命運動の中心になって、中華人民共和国を作った</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1659">社会主義の展開と各国の動きについて　－社会主義はどのように考えられていったのか－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>中国の国民党と共産党について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1032</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1032#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 08:15:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[中華ソヴィエト共和国臨時政府]]></category>
		<category><![CDATA[五・三〇運動]]></category>
		<category><![CDATA[北伐]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[山東出兵]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[第1次国共合作]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>
		<category><![CDATA[軍閥打倒]]></category>

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		<description><![CDATA[中国の国民党と共産党について考えてみます &#160; &#160; ・中国の国民党と共産党について &#160; &#160; 　・１９１９年に、ソヴィエト政府が中国に対して、外務人民委員代理の 　　カラハンという人の [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1032">中国の国民党と共産党について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中国の国民党と共産党について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国の国民党と共産党について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１９年に、ソヴィエト政府が中国に対して、外務人民委員代理の</p>
<p>　　カラハンという人の名前で、旧ロシア政府が中国に対して持っていた</p>
<p>　　全ての帝国主義的特権の放棄を宣言した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２１年に、コミンテルンの支援によって、陳独秀を指導者とする</p>
<p>　　中国共産党が結成された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国民党の教化を目指していた孫文が、ソ連の援助を受けて顧問を招き、</p>
<p>　　１９２４年に国民党を改組して党の組織の近代化を狙った</p>
<p>　　※これに加えて、共産党員が個人の資格で国民党に入党することを認めた</p>
<p>　　　＝これを、第１次国共合作という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・孫文は、「連ソ・容共・扶助工農」をかかげて、打倒軍閥、打倒帝国主義の</p>
<p>　　路線を打ち出した</p>
<p>　　※孫文は１９２５年に病死した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年に、上海の日本人経営の紡績工場での労働争議をきっかけとして、</p>
<p>　　五・三○運動が起きた</p>
<p>　　※この運動は、中国で打倒帝国主義運動の盛り上がりを示したと言われている</p>
<p>　　</p>
<p>　　※五・三〇運動とは</p>
<p>　　　・会社側によるスト労働者の射殺に抗議するデモ隊が、５月３０日に</p>
<p>　　　　上海の租界警察に弾圧され、数十名の死傷者を出した事件のこと</p>
<p>　　　・五・三〇運動は、全国的に拡大していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年７月に、国民党が広州で国民政府を誕生させた</p>
<p>　　→次の年に、蒋介石を中心とした国民政府軍が中国の統一を目指して北伐を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・軍閥打倒は、共産党員の指導する農民運動に支援されて、順調に進んだ</p>
<p>　　※１９２７年３月には、南京と上海を占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国民政府の内部では、大衆運動の拡大を目指す共産党員などの左派と、</p>
<p>　　左派を警戒する右派とが対立を深めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・蒋介石は、１９２７年４月に、上海クーデタを起こして、共産党を弾圧した</p>
<p>　　→その後蒋介石は、南京に国民政府を作って主席になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２８年に、北伐が再開された</p>
<p>　　※その後すぐに、北京にせまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、国民政府の全国統一を妨害するために山東出兵を繰り返した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、今まで日本が支援していた奉天軍閥の張作霖という人が北伐軍に負けて、</p>
<p>　　北京から東北へ引き上げるということを行った</p>
<p>　　→日本軍は、張作霖が東北に引き上げる途中に、列車を爆破して張作霖を死亡させ、</p>
<p>　　　東北の支配を狙った</p>
<p>　　　※しかし、この戦略は失敗に終わった</p>
<p>　　　※さらに、張作霖の子どもの張学良という人が、日本に対抗するために</p>
<p>　　　　国民政府の東北の支配を認めた</p>
<p>　　　　＝そのため、国民政府の全国統一が一応達成された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・蒋介石は、上海を中心に銀行資本を通して中国の経済界を支配していた</p>
<p>　　浙江財閥と手を組んだ</p>
<p>　　→蒋介石は、この行動によって、アメリカやイギリスの支配のもとに</p>
<p>　　　国民党一党独裁体制による統一政権を目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で中国共産党は、１９２７年に国共分裂が起きてから、数回の蜂起を狙った</p>
<p>　　※しかし、この蜂起は失敗に終わった</p>
<p>　　　＝そこで中国共産党は、農村でソヴィエト政権を作る方針に変えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・毛沢東を中心とした紅軍（共産党軍）が、井崗山で作った根拠地が</p>
<p>　　しだいに広がっていった</p>
<p>　　＝その結果、１９３１年に、江西省瑞金に毛沢東を主席とする</p>
<p>　　　中華ソヴィエト共和国臨時政府が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※国民政府はソヴィエト政権に対して包囲戦を繰り返した</p>
<p>　　　→しかし、これを消滅させることができなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中国の国民党と共産党についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1032">中国の国民党と共産党について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>辛亥革命について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1008</link>
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		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 06:24:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[三民主義]]></category>
		<category><![CDATA[中国同盟会]]></category>
		<category><![CDATA[光緒新政]]></category>
		<category><![CDATA[北洋軍]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[溥儀]]></category>
		<category><![CDATA[第二革命]]></category>
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		<category><![CDATA[袁世凱]]></category>
		<category><![CDATA[辛亥革命]]></category>

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		<description><![CDATA[辛亥革命について考えてみます &#160; &#160; ・辛亥革命について &#160; &#160; 　・義和団事件後の清朝は、以下のような動きを見せることで、 　　近代国家の建設に向けて改革を行った 　　→・１９０ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1008">辛亥革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>辛亥革命について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・辛亥革命について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・義和団事件後の清朝は、以下のような動きを見せることで、</p>
<p>　　近代国家の建設に向けて改革を行った</p>
<p>　　→・１９０５年に科挙を廃止した</p>
<p>　　　・１９０８年に立憲制へ向けて憲法大綱を発表し、国会開設を公約した</p>
<p>　　　　＝この改革のことを、光緒新政という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、清朝の新政は、改革のために増税をしたり、中央集権的な性格が強かった</p>
<p>　　　＝そのため、地方の有力者や民衆の反発を招くことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、海外では、華僑や留学生を中心に、漢族が清朝を倒すことを目指す</p>
<p>　　革命運動が盛んになっていった</p>
<p>　　</p>
<p>　・興中会を指導した孫文という人は、バラバラであった様々な革命の団体の結集を行い、</p>
<p>　　１９０５年に日本の東京で中国同盟会を作った</p>
<p>　　※興中会・・孫文が、１８９４年にハワイで華僑を中心に組織した政治的秘密結社のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国同盟会は、三民主義をかかげて、革命宣伝や武装蜂起を行った</p>
<p>　　※三民主義とは</p>
<p>　　　→満州王朝の打倒、共和国の建設、貧富の差の抑制を内容とする</p>
<p>　　　　「民族、民権、民生」という主義のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１１年に中国で、満州皇族を中心として内閣が成立した</p>
<p>　　→内閣は、幹線鉄道を国有化し、それを担保に外国からの借款を得ようとした</p>
<p>　　　※しかし、外国から利権を回収して民営の鉄道建設を進めようとしていた</p>
<p>　　　　民族資本家や地方の有力者は幹線鉄道の国有化に猛反対した</p>
<p>　　　　＝結果的に、四川で暴動が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、四川での暴動をきっかけに、１９１１年１０月に武昌（湖北省）の軍隊の</p>
<p>　　　中にいた革命派が蜂起した</p>
<p>　　　＝その結果、辛亥革命が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→辛亥革命による蜂起は、すぐにそれぞれの省に広まった</p>
<p>　　　※そのため、１か月のうちに大半の省が独立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→革命軍は、帰国した孫文を臨時大統領に選出した</p>
<p>　　　＝そこで孫文は、１９１２年１月に、南京で中華民国の建国を宣言した</p>
<p>　　　　※結果的に、アジアで初めての共和国が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→清側は、北洋軍を握る実力者であった袁世凱という人を起用して、</p>
<p>　　　革命側との交渉に当たらせた</p>
<p>　　　※北洋軍・・李鴻章が、淮軍を基盤として洋務運動の時期に作り上げた近代的軍隊のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、袁世凱は清朝を見捨てたため、清帝の退位と共和政の維持を条件に、</p>
<p>　　　孫文から臨時大統領の地位を譲り受けて、北京で就任した</p>
<p>　　　※その後、１９１２年２月の宣統帝（溥儀）という人が退位した</p>
<p>　　　　＝その結果、二千年以上にわたる中国の皇帝政治が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ただし、皇帝政治の終了後も、共和政が安定しなかった</p>
<p>　　　　→そのため、議会の力をおさえようとする袁世凱と、袁世凱に抵抗する孫文などの</p>
<p>　　　　　国民党と激しく対立した</p>
<p>　　　　　＝この時の、孫文たちの武装蜂起を第二革命という</p>
<p>　　　　　　　※国民党について</p>
<p>　　　　　　　　・中国同盟会を中心として作られた政党</p>
<p>　　　　　　　　・国民党は１９１３年に解散させられた</p>
<p>　　　　　　　　・その後、孫文などが秘密結社の中華革命党を結成した</p>
<p>　　　　　　　　・そして、１９１９年に中華革命党を改組して、大衆政党の中国国民党にした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→第二革命の時に、袁世凱は孫文などを鎮圧して正式に大統領の座についた</p>
<p>　　　※この時に袁世凱は独裁を進め、自ら帝位につこうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、国民党系の地方の軍人が第三革命を起こしたり、</p>
<p>　　　外国が支持をしなかったりしたため、帝政の復活は失敗した</p>
<p>　　　※そして、１９１６年に袁世凱が病死した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝袁世凱が亡くなってからは、列強の支援を受けた軍閥が各地に分立して</p>
<p>　　　互いに抗争するという不安定な軍閥政権が十数年間続いた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　　※軍閥とは</p>
<p>　　　　　→中央の統制に従わず、自ら財源を確保して個人的に軍隊をやしない、</p>
<p>　　　　　　政治を左右するようになった軍人を軍閥という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中華民国は、清が領有していた漢、満、モンゴル、ウイグル、チベットなどの</p>
<p>　　様々な民族が住む地域を領土にした</p>
<p>　　※しかし、辛亥革命をきっかけに、周辺の地域で独立に向かう動きが出てきた</p>
<p>　　　＝結果的に以下のような動きが出てきた</p>
<p>　　　　・１９１１年に外モンゴルが独立を宣言した</p>
<p>　　　　　→外モンゴルは、１９２４年にソヴィエト連邦の影響によって</p>
<p>　　　　　　モンゴル人民共和国を成立させた</p>
<p>　　　　・１９１３年にチベットで、ダライ＝ラマ１３世という人が独立を</p>
<p>　　　　　主張する布告を出した</p>
<p>　　　　　＝しかし、外モンゴル以外の地域は中華民国の中にとどまって、独立しなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・辛亥革命についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
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