辛亥革命について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/17 15:24      
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辛亥革命について考えてみます

 

 

・辛亥革命について

 

 

 ・義和団事件後の清朝は、以下のような動きを見せることで、

  近代国家の建設に向けて改革を行った

  →・1905年に科挙を廃止した

   ・1908年に立憲制へ向けて憲法大綱を発表し、国会開設を公約した

    =この改革のことを、光緒新政という

 

  →しかし、清朝の新政は、改革のために増税をしたり、中央集権的な性格が強かった

   =そのため、地方の有力者や民衆の反発を招くことになった

 

 

 

 

 ・一方で、海外では、華僑や留学生を中心に、漢族が清朝を倒すことを目指す

  革命運動が盛んになっていった

  

 ・興中会を指導した孫文という人は、バラバラであった様々な革命の団体の結集を行い、

  1905年に日本の東京で中国同盟会を作った

  ※興中会・・孫文が、1894年にハワイで華僑を中心に組織した政治的秘密結社のこと

 

 ・中国同盟会は、三民主義をかかげて、革命宣伝や武装蜂起を行った

  ※三民主義とは

   →満州王朝の打倒、共和国の建設、貧富の差の抑制を内容とする

    「民族、民権、民生」という主義のこと

 

 

 

 

 ・1911年に中国で、満州皇族を中心として内閣が成立した

  →内閣は、幹線鉄道を国有化し、それを担保に外国からの借款を得ようとした

   ※しかし、外国から利権を回収して民営の鉄道建設を進めようとしていた

    民族資本家や地方の有力者は幹線鉄道の国有化に猛反対した

    =結果的に、四川で暴動が起きた

 

  →その後、四川での暴動をきっかけに、1911年10月に武昌(湖北省)の軍隊の

   中にいた革命派が蜂起した

   =その結果、辛亥革命が始まった

 

  →辛亥革命による蜂起は、すぐにそれぞれの省に広まった

   ※そのため、1か月のうちに大半の省が独立した

 

  →革命軍は、帰国した孫文を臨時大統領に選出した

   =そこで孫文は、1912年1月に、南京で中華民国の建国を宣言した

    ※結果的に、アジアで初めての共和国が誕生した

 

  →清側は、北洋軍を握る実力者であった袁世凱という人を起用して、

   革命側との交渉に当たらせた

   ※北洋軍・・李鴻章が、淮軍を基盤として洋務運動の時期に作り上げた近代的軍隊のこと

 

  →しかし、袁世凱は清朝を見捨てたため、清帝の退位と共和政の維持を条件に、

   孫文から臨時大統領の地位を譲り受けて、北京で就任した

   ※その後、1912年2月の宣統帝(溥儀)という人が退位した

    =その結果、二千年以上にわたる中国の皇帝政治が終了した

 

   ※ただし、皇帝政治の終了後も、共和政が安定しなかった

    →そのため、議会の力をおさえようとする袁世凱と、袁世凱に抵抗する孫文などの

     国民党と激しく対立した

     =この時の、孫文たちの武装蜂起を第二革命という

       ※国民党について

        ・中国同盟会を中心として作られた政党

        ・国民党は1913年に解散させられた

        ・その後、孫文などが秘密結社の中華革命党を結成した

        ・そして、1919年に中華革命党を改組して、大衆政党の中国国民党にした

 

  →第二革命の時に、袁世凱は孫文などを鎮圧して正式に大統領の座についた

   ※この時に袁世凱は独裁を進め、自ら帝位につこうとした

 

  →しかし、国民党系の地方の軍人が第三革命を起こしたり、

   外国が支持をしなかったりしたため、帝政の復活は失敗した

   ※そして、1916年に袁世凱が病死した

 

  =袁世凱が亡くなってからは、列強の支援を受けた軍閥が各地に分立して

   互いに抗争するという不安定な軍閥政権が十数年間続いた

  

    ※軍閥とは

     →中央の統制に従わず、自ら財源を確保して個人的に軍隊をやしない、

      政治を左右するようになった軍人を軍閥という

 

 

 

 

 ・中華民国は、清が領有していた漢、満、モンゴル、ウイグル、チベットなどの

  様々な民族が住む地域を領土にした

  ※しかし、辛亥革命をきっかけに、周辺の地域で独立に向かう動きが出てきた

   =結果的に以下のような動きが出てきた

    ・1911年に外モンゴルが独立を宣言した

     →外モンゴルは、1924年にソヴィエト連邦の影響によって

      モンゴル人民共和国を成立させた

    ・1913年にチベットで、ダライ=ラマ13世という人が独立を

     主張する布告を出した

     =しかし、外モンゴル以外の地域は中華民国の中にとどまって、独立しなかった

 

 

ポイント

・辛亥革命についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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