社会主義の展開と各国の動きについて -社会主義はどのように考えられていったのか-
社会主義の展開について考えてみます
※社会主義が様々な形になっていくまでの背景について
・19世紀後半に、社会主義は世界的に広まっていった
・一方で、資本主義が新しくなっていき、資本主義の中でも「帝国主義」が展開されていった
※帝国主義・・各国が市場を得るために、植民地を取る争いをする、という動きのこと
・労働運動が活発になり、言論の自由や選挙権の拡大など、
労働者の環境が少しずつ変わるようになっていった
→このような状況で、社会主義が様々な形になっていった
・イギリスの社会主義
→代表的な人達として、ウェッブ夫妻やバーナード=ショウなどが挙げられる
・ウェッブ夫妻やバーナード=ショウについて
・ウェッブ夫妻が中心となり、バーナード=ショウがサポートする形で、
フェビアン協会というものが作られた
→フェビアン協会は、功利主義の影響を受け、利潤の再分配、福祉の充実、
重要な産業の国有化などを行って
資本主義の良くない部分を少しずつ改善していこうとした
※フェビアン協会は、マルクスの革命の理論に対して、
知識のある人による指導を受けつつ、議会を使って平和に社会を変えていく、
という考え方の立場に立った
→このような、フェビアン協会のような考え方をフェビアニズムと言い、
イギリスの労働党に受け継がれていった
・ドイツの社会主義について
→代表的な人にベルンシュタインという人がいる
・ベルンシュタインは、マルクス主義を発展させていくためには、
マルクスの考え方を修正していくべきだと考えた
=このような考え方を修正マルクス主義という
・ベルンシュタインは、政治の仕組みが民主的になり、労働者の地位が上がった国では、
突然の革命ではなく、労働者階級の人達が議会で多くを得ることで、
着実に社会主義へと向かっていくのが良いと考えた
→このような、ベルンシュタインの考え方は、ドイツ社会民主党に受け継がれていった
・ロシアの社会主義について
→代表的な人に、レーニンとゴルバチョフという人がいる
・レーニンについて
・レーニンは、資本主義の社会でどれだけ民主化が進んでも階級による対立が
無くならなければ、社会主義になることは無理だと考えた
→そこでレーニンは、労働者階級の代表だった共産党に独裁をさせることによって
社会主義にしていこうとした
・ゴルバチョフについて
・ゴルバチョフは、自分を中心に1985年にペレストロイカを行った
→しかし、ペレストロイカは、結果的に社会主義体制を
根本から崩すことになってしまった
※ペレストロイカ・・ゴルバチョフを中心にして行われた社会主義の立て直しのこと
=結果的に、1989年から91年にかけて、東欧とソ連の社会主義体制が終了した
・中国の社会主義について
→代表的な人に孫文と毛沢東という人がいる
・孫文は三民主義を提唱し、「革命、いまだ成らず」という言葉を残して亡くなった
→その後、毛沢東が革命運動の中心になり、毛沢東の指導によって
1949年に中華人民共和国が作られ、中国が独自の社会主義へと向かって行った
※三民主義・・民族主義(民族の自覚を高めること)、民権主義(人民主権にすること)、
民生主義(人々の生活を向上させるために社会主義的な政策を行うこと)の
3つをまとめた呼び方のこと
ポイント
・ウェッブ夫妻とバーナード=ショウらによって、フェビアン協会が作られ、
少しずつ社会主義にしようと考えた
→この考え方は、イギリスの労働党に受け継がれた
・ベルンシュタインは、修正マルクス主義を提唱し、革新的ではなく、
着実に社会主義へ向かっていくべきだと考えた
→この考え方は、ドイツ社会民主党に受け継がれた
・レーニンは、階級の対立が無くなれば資本主義から社会主義になると考えた
→そこで、労働者階級の共産党に独裁をさせた
・ゴルバチョフらは、ペレストロイカを行ったが、社会主義を崩すまでのものになってしまった
・孫文が三民主義を提唱し、その後毛沢東が革命運動の中心になって、中華人民共和国を作った