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	<title>アラエス &#187; 封建社会</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2465</link>
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		<pubDate>Mon, 03 Feb 2014 22:06:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[レコンキスタ]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[聖職者]]></category>

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		<description><![CDATA[ゲルマン人の一部は、フランク人として大陸西北部に王国を形成した →フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、フランク王国を作った ＝その結果、800年にカール大帝という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ゲルマン人の一部は、<strong>フランク人</strong>として大陸西北部に王国を形成した</p>
<p>→フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、<strong>フランク王国</strong>を作った</p>
<p>＝その結果、800年に<strong>カール大帝</strong>という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>カール大帝は、<strong>ローマ＝カトリック教会</strong>の守護者になった</p>
<p>→カール大帝は守護者として西ヨーロッパを、東ローマ帝国に対抗するための統一した地域としてまとめた</p>
<p>※東ローマ帝国は、後に<strong>ビザンツ帝国</strong>になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→その後、フランク王国は分裂し、別々の国として発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>時代が進むにつれ、西ヨーロッパでは社会での役割に応じた、以下のような身分制度が確立し、はっきり区別された</p>
<p>・神へ奉仕する<strong>聖職者</strong></p>
<p>・土地を支配して、武力を独占する<strong>戦士</strong></p>
<p>・土地の支配者の所有地で働く生産者（領主の荘園で労働する<strong>農奴</strong>）</p>
<p>※戦士は、国王などから土地を授かって騎馬戦士として仕える騎士（<strong>騎馬戦士</strong>）に分かれた</p>
<p>＝このような、身分階層を持った社会を、<strong>封建社会</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方で、東ローマ帝国（ビザンツ帝国）は、西ヨーロッパ帝国が滅亡した後も、皇帝の支配のもとで続いた</p>
<p>→東ローマ帝国のトップだった<strong>ユスティニアヌス帝</strong>は、6世紀の時に東ヨーロッパを大帝国へ復興させた</p>
<p>※ただし、その後はだんだんと領土が縮小した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>東ローマ帝国は、<strong>専制君主</strong>（世俗の支配権と最高の宗教的権威を持つ制度）だった</p>
<p>→東ローマ帝国は、11世紀にローマ＝カトリック教会と完全に分けた<strong>ギリシア正教会</strong>を成立させた</p>
<p>※ギリシア正教会の成立によって、東ローマ帝国はギリシア文化を継承した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※東ヨーロッパでは、ゲルマン人が西側に移動したとき、<strong>スラヴ人</strong>という人達が入ってきた</p>
<p>→スラヴ人は、ビザンツ帝国の影響を受け、ギリシア正教会を受け入れていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>11～12世紀には、ヨーロッパの<strong>封建社会</strong>が大きく発展した</p>
<p>※この時に、ローマ＝カトリック教会の勢いも強まってきていた</p>
<p>→そのため、ローマ＝カトリック教会は、以下のようなことを行った</p>
<p>・教皇や司祭などの強固な階層組織を築いて独立した</p>
<p>・教えを整え、民衆の信仰心をローマ＝カトリック教会の教えの中に取り込んだ</p>
<p>・小さな集落に教会堂という高い塔ができ、民衆に支えられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教皇（ローマ＝カトリック教会のトップ）は、聖地イエルサレムをイスラームから奪うことを考えて、<strong>十字軍</strong>を作った</p>
<p>※十字軍は、何度も作られながらも、結果的に失敗した</p>
<p>→この失敗によって、教皇の権威が衰えた</p>
<p>→一方で、十字軍をきっかけとして東方との交流が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10世紀までのヨーロッパ社会は、自給自足的な農業生活に頼ってきた</p>
<p>→11～12世紀には、農業生産力の上昇、人口増加、ヒトとモノとの活発な移動が起きた</p>
<p>※この移動によって、農村から離れる人達が出てきた</p>
<p>→農村から離れた人たちからは、職人などの専門職や商人などが多く出てきた</p>
<p>＝職人や商人などは、農村とは違う別の生活や仕組みが見られるようになり、<strong>都市</strong>が誕生した</p>
<p>※都市は周囲を巻き込んでどんどん発展し、のちのルネサンス文化の誕生に貢献した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ヨーロッパの中でもイギリスは、国王の力が強かった</p>
<p>→そのため、13世紀に国王の暴走を抑えようと考えた貴族の動きが強まった</p>
<p>＝その結果、<strong>マグナ＝カルタ</strong>が発布された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→さらに、14～15世紀になると、凶作、飢餓、<strong>ペスト</strong>の流行などによる人口の激減、民衆の反乱や百年戦争などの危機的な出来事が起きた</p>
<p>＝この結果、以下の2つの動きが見られた</p>
<p>・弱小の領主が没落した</p>
<p>・国王や大諸侯は軍事力を使って危機を克服し、領地を拡大して富と権威を増やした</p>
<p>→そして、富と権威を増やした国王や大諸侯は、<strong>中央集権的な国家</strong>を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※同時に、イベリア半島で<strong>レコンキスタ</strong>を達成した王権の力が強まった</p>
<p>→その勢いは、海外進出にも向けられた</p>
<p>※レコンキスタ・・イベリア半島からイスラーム王朝を追い出して、国土を再征服しようとした運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>社会契約説・自然法と自然権について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1651</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1651#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 07:04:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[宮下]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[西洋思想]]></category>
		<category><![CDATA[グロティウス]]></category>
		<category><![CDATA[ホッブズ]]></category>
		<category><![CDATA[実定法]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[市民革命]]></category>
		<category><![CDATA[王権神授説]]></category>
		<category><![CDATA[社会契約説]]></category>
		<category><![CDATA[自然権]]></category>
		<category><![CDATA[自然法]]></category>
		<category><![CDATA[自然状態]]></category>

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		<description><![CDATA[社会契約説と自然法、自然権について考えてみます &#160; &#160; ・社会契約説について 　 &#160; 　・社会契約説が誕生するまでの背景 &#160; 　　→・１６世紀以前のヨーロッパ・・分権的な封建社会だ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1651">社会契約説・自然法と自然権について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>社会契約説と自然法、自然権について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・社会契約説について</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・社会契約説が誕生するまでの背景</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・１６世紀以前のヨーロッパ・・分権的な封建社会だった</p>
<p>　　　・１６世紀以降のヨーロッパ・・中央集権的な君主制（絶対主義）だった</p>
<p>　　　・１７、１８世紀のヨーロッパ・・市民革命によって、中央集権的な君主制が崩れた</p>
<p>　　　　→この時に、社会契約説という考え方が生まれた</p>
<p>　　　　　※社会契約説が生まれた時と一緒に、王権神授説という考え方が現れ、対抗した</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・社会契約説と王権神授説の具体的な内容について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・王権神授説－・元々のヨーロッパの考え方で、君主制を正当化した考え方</p>
<p>　　　　　　　　　　・代表的な人にジェームズ１世やボシュエという人達などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・具体的な内容・・王様の権力は神から与えられたものだから、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　人々が王様に逆らうことは神に逆らうことになるので、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　許されないという考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・社会契約説－・当時は新しい考え方で、代表的な人にホッブズ、ロック、ルソーなど</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・具体的な内容・・政治が存在する社会以前の状態（自然状態）や、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　人間が生まれた時から持っている権利（自然権）とは</p>
<p>　　　　　　　　　　　　どのようなものかを考え、自然状態の良くない部分を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　修正するために人々が契約（社会契約）をすることで</p>
<p>　　　　　　　　　　　　国家の権力を作ったとする考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　</p>
<p>　　※社会契約説は、人によって考え方が違ったが、自然権を軸にして</p>
<p>　　　国家の成り立ちを考える、という点は同じだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・自然法と自然権について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※社会契約説は自然状態を考えるが、その背景に自然法の考え方があったと言われている</p>
<p>　</p>
<p>　・自然法とは・・</p>
<p>　　→全ての人が従う基本的な法律のことで、自然の中にあると言われている</p>
<p>　　　※人間が作り、一部の地域だけに使われる法律を実定法と言うが、</p>
<p>　　　　この実定法と自然法は別物だと考えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・近代の自然法について</p>
<p>　　→近代の自然法は、神の考えによるのではなく、</p>
<p>　　　人間の本来あるべき姿を考えながら作られたと言われている</p>
<p>　　　＝近代の自然法は、「人間の権利の実現」を目指そうとしたものとなったと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※中世は、神が定めた法律の中で、人間の理性によって理解できるものが</p>
<p>　　　　自然法だったと言われる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・自然法を考えた人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・グロティウス－・「戦争と平和の法」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　　　　　・もし、神がいないとしても、すでに自然法は</p>
<p>　　　　　　　　　　　存在しているであろうと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ホッブズ－・自然法以前に自然権が考えられ、</p>
<p>　　　　　　　　　自然法は自然権をよりよくするためのものであると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・社会契約説と王権神授説の違いを押さえる</p>
<p>・自然法、実定法、近代の自然法を押さえる</p>
<p>・グロティウスとホッブズの考え方を押さえる</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1651">社会契約説・自然法と自然権について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>中世ヨーロッパの封建社会の衰退について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/851</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/851#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:14:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ジャックリーの乱]]></category>
		<category><![CDATA[ユダヤ人の迫害]]></category>
		<category><![CDATA[ヨーマン]]></category>
		<category><![CDATA[ワット＝タイラーの乱]]></category>
		<category><![CDATA[封建反動]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会の衰退]]></category>
		<category><![CDATA[農奴制]]></category>

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		<description><![CDATA[中世ヨーロッパの封建社会の衰退について考えてみます &#160; &#160; ・封建社会の衰退について &#160; &#160; 　・１３００年ころから、封建社会の仕組みが段々と衰退に向かっていった &#160; &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/851">中世ヨーロッパの封建社会の衰退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世ヨーロッパの封建社会の衰退について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・封建社会の衰退について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１３００年ころから、封建社会の仕組みが段々と衰退に向かっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、商業と都市が発展して貨幣経済が浸透するに連れて、</p>
<p>　　荘園を基盤にした経済体制が崩れ始めた</p>
<p>　　→そこで、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　・領主は貨幣を手に入れるために、賦役をやめて直営地を分割し、農民に貸し与えた</p>
<p>　　　・領主は生産物や貨幣で地代をおさめさせるようになった</p>
<p>　　　・農民は市場で生産物を売り、地代を納めた残りの貨幣を蓄えて経済的に力をつけていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１４世紀に入ると、以下のような理由で農業人口が減少した</p>
<p>　　※理由・・気候の寒冷化、凶作、飢饉、黒死病（ペスト）の流行、あいつぐ戦乱　　など</p>
<p>　　　→人口減少のため、領主は荘園での労働力を確保するために農民の待遇を</p>
<p>　　　　向上させなければいけなくなった</p>
<p>　　　　＝そのため、農民の身分的束縛がますます緩められることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝以上のように、１３～１６世紀の西ヨーロッパでは、農奴が不自由な身分から解放される</p>
<p>　　という動きが見られるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリス、フランス、西南ドイツなどでは、農奴身分の束縛から解放されて、</p>
<p>　　社会的地位を向上させた農民が自営の農民に成長していった</p>
<p>　　※特に貨幣地代が普及したイギリスでは、上のような現象が</p>
<p>　　　はっきりとあらわれるようになってきた</p>
<p>　　　＝結果的に、今までの農奴はヨーマンと呼ばれる独立自営農民になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、経済的に困った領主がもう一度農民への束縛を強めようとする動きが出てきた</p>
<p>　（＝封建反動）</p>
<p>　　→すると、農民たちは封建反動に抵抗して、農奴制の廃止などを要求した</p>
<p>　　　＝その結果、各地で大規模な農民一揆が起きた</p>
<p>　　　　※代表的な一気に、１４世紀後半のイギリスのワット＝タイラーの乱や、</p>
<p>　　　　　フランスのジャックリーの乱がある</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※ワット＝タイラーの乱について</p>
<p>　　　　→乱の思想的指導者だった聖職者のジョン＝ボールは、「アダムが耕しイヴが紡いだとき、</p>
<p>　　　　　だれが貴族であったか」といって説教をし、身分制度を批判した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一揆は、どれも鎮圧された</p>
<p>　　→しかし、鎮圧の裏で領主層がますます貧乏になっていった</p>
<p>　　　※特に、中小の領主である騎士の中には、国王や大諸侯に領地を没収される人も多かった</p>
<p>　　　※さらに、１４～１５世紀に火砲が発明されて戦術が変化するということが起きた</p>
<p>　　　　＝その結果、騎士が必要とされなくなり、騎士は一層没落していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、商業圏が拡大するにつれて、都市の市民たちは市場を統一する</p>
<p>　　中央集権的な政治権力の出現を期待した</p>
<p>　　→そこで国王は、都市の市民と協力して諸侯をおさえ、権力の集中を目指すようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→力を失った諸侯や騎士は国王の宮廷につかえる廷臣となった</p>
<p>　　　※そのため、諸侯や騎士は農民から地代を取り立てるだけの地主になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝以上の流れを受けて、封建社会の政治体制が崩壊に向かい、</p>
<p>　　それぞれの国は近代的中央集権国家に向けて個々に動き始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、一方で飢饉や疫病、戦乱などによって大量の死者が出てきた</p>
<p>　　　→そのため、中世の後期では社会不安が増大してきた</p>
<p>　　　→その結果、人々が社会的な少数派に対して厳しく向き合うようになった</p>
<p>　　　　＝そのため、ユダヤ人などが迫害されるということが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・封建社会の衰退の流れと、当時の社会の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/851">中世ヨーロッパの封建社会の衰退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>封建社会の時の教会について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/836</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/836#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:51:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[インノケンティウス3世]]></category>
		<category><![CDATA[カノッサの屈辱]]></category>
		<category><![CDATA[クリュニー修道院]]></category>
		<category><![CDATA[グレゴリウス7世]]></category>
		<category><![CDATA[ハインリヒ4世]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[教会]]></category>
		<category><![CDATA[教会法]]></category>
		<category><![CDATA[聖職叙任権]]></category>

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		<description><![CDATA[封建社会の時の教会について考えてみます &#160; &#160; ・封建社会の時の教会について &#160; &#160; 　・当時のローマ＝カトリック教会は、西ヨーロッパ全体に普遍的に権威を及ぼしていった &#038;nbsp [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/836">封建社会の時の教会について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>封建社会の時の教会について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・封建社会の時の教会について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のローマ＝カトリック教会は、西ヨーロッパ全体に普遍的に権威を及ぼしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ローマ＝カトリック教会には、教皇を頂点として、大司教、司教、司祭、修道院長など、</p>
<p>　　聖職者の序列を定めたピラミッド型の階層制組織が作られていた</p>
<p>　　※大司教や修道院長国王や貴族から荘園を渡されて大領主になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・教会は、農民から十分の一税を取り立て、教会法にもとづく独自の裁判権を持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・位の高い聖職者が諸侯と並ぶ支配階級になると、皇帝や国王などの世俗権力が、</p>
<p>　　何度か本来聖職者ではない人物（俗人）を聖職者の地位に任命し、</p>
<p>　　教会に介入するようになっていった</p>
<p>　　</p>
<p>　　※以上のような、世俗権力の影響を受けた教会では、聖職売買など様々な弊害が生じていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、１０世紀以降に、フランス中東部のクリュニー修道院というところを中心に、</p>
<p>　　改革の運動が起こった</p>
<p>　　→教皇のグレゴリウス７世という人は、この改革を推し進めるために、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・聖職売買や聖職者の妻帯を禁止した</p>
<p>　　　・聖職叙任権（聖職者を任命する権利）を世俗権力から教会の手に取り戻して、</p>
<p>　　　　教皇権を強化しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような動きに対して、皇帝のハインリヒ４世という人は反発した</p>
<p>　　　＝そのため、教皇のグレゴリウス７世と皇帝のハインリヒ４世との間で、</p>
<p>　　　　叙任権闘争というのが始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※叙任権闘争について</p>
<p>　　　・皇帝（ハインリヒ4世）は、教皇（グレゴリウス7世）の改革を無視しようとした</p>
<p>　　　　→そのため、教皇は皇帝を破門（信者を教会から追放すること）にした</p>
<p>　　　・その裏で、ドイツの諸侯は破門の解除が無ければ皇帝を廃位にすると決議された</p>
<p>　　　　→そのため、１０７７年に皇帝はイタリアのカノッサというところで教皇に謝罪して、</p>
<p>　　　　　許してもらった</p>
<p>　　　　　＝この出来事を、カノッサの屈辱という</p>
<p>　　　　→その後、１１２２年のヴォルムス協約というので、教皇と皇帝の間での妥協が成立した</p>
<p>　　　　　＝結果的に、皇帝はドイツ以外での聖職叙任権を事実上、放棄した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のような流れを受けて、教会の指導権が確立していった</p>
<p>　　　※教皇権が絶頂になったのは、１３世紀のインノケンティウス３世の時だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・教会の仕組みと対立についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/836">封建社会の時の教会について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>封建社会の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/835</link>
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		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:47:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[不輸不入権]]></category>
		<category><![CDATA[封建的主従関係]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[従士制]]></category>
		<category><![CDATA[恩貸地制度]]></category>
		<category><![CDATA[荘園]]></category>
		<category><![CDATA[農奴]]></category>

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		<description><![CDATA[封建社会の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・封建社会の誕生について &#160; 　※封建社会とは・・封建的主従関係と荘園という２つの仕組みを土台として成り立つ社会のこと &#160; 　※封建社会 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/835">封建社会の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>封建社会の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・封建社会の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※封建社会とは・・封建的主従関係と荘園という２つの仕組みを土台として成り立つ社会のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※封建社会誕生までの流れ</p>
<p>　　・民族大移動の後の長い混乱期の間に、西ヨーロッパの商業と都市が衰えていき、</p>
<p>　　　以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　→・社会が自給自足を中心とした農業経済に変わっていった</p>
<p>　　　　・貨幣ではなく、土地や現物が価値を持つようになった</p>
<p>　　　　・度重なる外敵からの侵入が増え、外敵からの生命や財産を守るために、</p>
<p>　　　　　弱者が身近な強者に保護を求めた</p>
<p>　　　　　＝この動きの中で、封建的主従関係と荘園の制度が生まれてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※封建的主従関係とは</p>
<p>　・当時、皇帝、国王、諸侯（大貴族）、騎士（小貴族）、聖職者などの有力者たちは、</p>
<p>　　自分の安全を守るためにお互いに政治的な結びつきを強めるようになっていった</p>
<p>　　→そこで、主君が家臣に封土（領地）を与えて保護をする代わりに、</p>
<p>　　　家臣は主君に忠誠を誓って軍事的奉仕の義務を負うというような、</p>
<p>　　　人と人との結びつきが生まれていった</p>
<p>　　　＝この結びつきの関係を封建的主従関係という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→封建的主従関係は、主君と家臣の個別の契約によって結ばれていたが、</p>
<p>　　　次第に世襲化していった</p>
<p>　</p>
<p>　　→西ヨーロッパの封建的主従関係は、双務的契約（主君と家臣の両方に契約を守る</p>
<p>　　　義務があること）が特徴だった</p>
<p>　　　※もし、主君が契約を違反した場合は、家臣には服従を拒否する権利もあった</p>
<p>　　　※また、一人で複数の主君を持つことも出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　</p>
<p>　・封建的主従関係は、ローマの恩貸地制度とゲルマンの従士制に起源があり、</p>
<p>　　地域防衛の仕組みとして特にフランク王国の分裂以後、本格的に出現してきた</p>
<p>　　※・恩貸地制度・・土地の所有者が自分の土地を有力者に献上して有力者に</p>
<p>　　　　　　　　　　　保護してもらう体制にした後、改めて有力者から</p>
<p>　　　　　　　　　　　土地を恩貸地として貸してもらう制度のこと</p>
<p>　　　・従士制・・貴族や自由民の子弟が、他の有力者に忠誠を誓って従者になる慣習のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　→一般的に、恩貸地制度と従士制にもとづく支配体制は地方分権的だった</p>
<p>　　　※中でも、多くの騎士を家臣として従えた大諸侯は国王に並ぶ権力を持って自立した</p>
<p>　　　　＝そのため、国王は実質的に大諸侯の一人と同じような感じだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・封建的主従関係を持つ有力者たちは、それぞれ大小の領地を所有し、</p>
<p>　　農民を支配する領主でもあった</p>
<p>　　＝領主のそれぞれの所有地を荘園という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※荘園について</p>
<p>　　　・荘園は、村落を中心に領主直営地、農民保有地、共同利用地から成り立つ</p>
<p>　　　・農民は、農奴と呼ばれる不自由身分で、移動の自由がなく、</p>
<p>　　　　結婚や相続の自由も制限された</p>
<p>　　　・農民は、賦役と貢納を領主に負った</p>
<p>　　　　※・賦役・・領主直営地で労働する義務のこと</p>
<p>　　　　　・貢納・・自分の保有地から生産物をおさめる義務のこと</p>
<p>　　　　　　※荘園には手工業者も住み、自給自足的な現物給付が支配的だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※農奴とは</p>
<p>　　　・農奴とは、ローマ帝政末期のコロヌスや、没落したゲルマンの自由農民の子孫で、</p>
<p>　　　　長い混乱期に身分の自由を失って、領主に保護を求めるようになった人々を指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※領主の権利</p>
<p>　　　・不輸不入権（国王の役人が荘園に入ったり課税したりするのを拒む権利）を持っていた</p>
<p>　　　・農民を領主裁判権によって裁いていた</p>
<p>　　　　＝領主は、荘園と農民を自由に支配することが出来ていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝以上のことから封建社会は、荘園を経済的な基盤として、　</p>
<p>　　その上に封建的な主従関係による階層構造を持つ</p>
<p>　　社会であったということが言える</p>
<p>　　※封建社会は、１０～１１世紀に成立して、中世西ヨーロッパの基本的な枠組みになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、封建社会では王権が貧弱で統一的権力になれなかったという特徴もある　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・封建社会の仕組みについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/835">封建社会の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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