中世ヨーロッパの封建社会の衰退について
中世ヨーロッパの封建社会の衰退について考えてみます
・封建社会の衰退について
・1300年ころから、封建社会の仕組みが段々と衰退に向かっていった
・当時は、商業と都市が発展して貨幣経済が浸透するに連れて、
荘園を基盤にした経済体制が崩れ始めた
→そこで、以下のようなことが起きた
・領主は貨幣を手に入れるために、賦役をやめて直営地を分割し、農民に貸し与えた
・領主は生産物や貨幣で地代をおさめさせるようになった
・農民は市場で生産物を売り、地代を納めた残りの貨幣を蓄えて経済的に力をつけていった
・14世紀に入ると、以下のような理由で農業人口が減少した
※理由・・気候の寒冷化、凶作、飢饉、黒死病(ペスト)の流行、あいつぐ戦乱 など
→人口減少のため、領主は荘園での労働力を確保するために農民の待遇を
向上させなければいけなくなった
=そのため、農民の身分的束縛がますます緩められることになった
=以上のように、13~16世紀の西ヨーロッパでは、農奴が不自由な身分から解放される
という動きが見られるようになった
・イギリス、フランス、西南ドイツなどでは、農奴身分の束縛から解放されて、
社会的地位を向上させた農民が自営の農民に成長していった
※特に貨幣地代が普及したイギリスでは、上のような現象が
はっきりとあらわれるようになってきた
=結果的に、今までの農奴はヨーマンと呼ばれる独立自営農民になっていった
・その後、経済的に困った領主がもう一度農民への束縛を強めようとする動きが出てきた
(=封建反動)
→すると、農民たちは封建反動に抵抗して、農奴制の廃止などを要求した
=その結果、各地で大規模な農民一揆が起きた
※代表的な一気に、14世紀後半のイギリスのワット=タイラーの乱や、
フランスのジャックリーの乱がある
※ワット=タイラーの乱について
→乱の思想的指導者だった聖職者のジョン=ボールは、「アダムが耕しイヴが紡いだとき、
だれが貴族であったか」といって説教をし、身分制度を批判した
・一揆は、どれも鎮圧された
→しかし、鎮圧の裏で領主層がますます貧乏になっていった
※特に、中小の領主である騎士の中には、国王や大諸侯に領地を没収される人も多かった
※さらに、14~15世紀に火砲が発明されて戦術が変化するということが起きた
=その結果、騎士が必要とされなくなり、騎士は一層没落していった
・一方で、商業圏が拡大するにつれて、都市の市民たちは市場を統一する
中央集権的な政治権力の出現を期待した
→そこで国王は、都市の市民と協力して諸侯をおさえ、権力の集中を目指すようになった
→力を失った諸侯や騎士は国王の宮廷につかえる廷臣となった
※そのため、諸侯や騎士は農民から地代を取り立てるだけの地主になった
=以上の流れを受けて、封建社会の政治体制が崩壊に向かい、
それぞれの国は近代的中央集権国家に向けて個々に動き始めた
※しかし、一方で飢饉や疫病、戦乱などによって大量の死者が出てきた
→そのため、中世の後期では社会不安が増大してきた
→その結果、人々が社会的な少数派に対して厳しく向き合うようになった
=そのため、ユダヤ人などが迫害されるということが起きた
ポイント
・封建社会の衰退の流れと、当時の社会の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです