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	<title>アラエス &#187; 幣原喜重郎</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>日本国憲法について　－出来るまでの流れと内容－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1320</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1320#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 10:54:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[地方自治法]]></category>
		<category><![CDATA[姦通罪]]></category>
		<category><![CDATA[幣原喜重郎]]></category>
		<category><![CDATA[平和主義]]></category>
		<category><![CDATA[憲法問題調査委員会]]></category>
		<category><![CDATA[新民法]]></category>
		<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[警察法]]></category>
		<category><![CDATA[象徴天皇制]]></category>
		<category><![CDATA[ＧＨＱ]]></category>

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		<description><![CDATA[日本国憲法の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・日本国憲法の誕生について &#160; &#160; 　・１９４５年１０月に、幣原喜重郎内閣はＧＨＱに憲法の改正を命令された 　　→そこで幣原喜重郎内閣 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1320">日本国憲法について　－出来るまでの流れと内容－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日本国憲法の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本国憲法の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１０月に、幣原喜重郎内閣はＧＨＱに憲法の改正を命令された</p>
<p>　　→そこで幣原喜重郎内閣は、松本烝治という人をトップに置いた、</p>
<p>　　　憲法問題調査委員会という組織を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・憲法問題調査委員会が、一応だが憲法の改正案を作った</p>
<p>　　※しかし、改正した憲法の内容が、結局天皇の権力を認めるというような</p>
<p>　　　以前と変わらないものだった</p>
<p>　　　→そのため、ＧＨＱは極東委員会の活動が始まる前に、</p>
<p>　　　　自分達で英文の改正案（マッカーサー草案）を緊急で作って、</p>
<p>　　　　１９４６年の２月に日本政府に見せた</p>
<p>　　　　＝日本政府は、マッカーサー原案に少しだけ手を加えて和訳したものを、</p>
<p>　　　　　日本政府の原案として発表した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※高野岩三郎という人などが所属していた民間の憲法研究会というところは、</p>
<p>　　　１９４５年１２月に国民主権の原則と立憲君主制（天皇が権力を持っているが、</p>
<p>　　　その権力は憲法に従って使うこと）を土台にした「憲法草案要綱」というものを</p>
<p>　　　作って、ＧＨＱや日本政府にも提出をしていた</p>
<p>　　　→ＧＨＱは、マッカーサー草案を作った時に、「憲法草案要綱」も参考にしていた</p>
<p>　　　　と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・新しい憲法の制定は手続きの都合上、大日本帝国憲法を改正する形となった</p>
<p>　　→この時に、衆議院と貴族院で内容を修正して、新しい憲法が制定された</p>
<p>　　　＝このようにしてできた新しい憲法を日本国憲法といい、１９４６年１１月３日に公布、</p>
<p>　　　１９４７年５月３日に施行された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※GHQの案がどのように修正されて日本国憲法になったのか</p>
<p>　　　・GHQの案は、国会は衆議院だけの一院制を採用するつもりだったが、</p>
<p>　　　　日本政府の希望で参議院を取り入れた二院制を採用するようになった</p>
<p>　　　・芦田均という人の意見によって、戦力不保持に関する第９条第２項に、</p>
<p>　　　　「前項の目的を達成するため」という文章が加えられた</p>
<p>　　　　→この文章の追加は、自分の国を守るための軍隊を持つことが少し考えられていた</p>
<p>　　　　　と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・新しくできた日本国憲法は、主権在民（国民主権）、基本的人権の尊重、平和主義の</p>
<p>　　３つが大きな原則だった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→国民主権によって、象徴天皇制が採用されている</p>
<p>　　　※象徴天皇制</p>
<p>　　　　・天皇が政治的な権力を持たないで、「日本国民統合の象徴」として</p>
<p>　　　　　存在することになった制度のこと</p>
<p>　　　　　＝この制度ができたことで、国民が直接選挙をする国会が「国権の最高機関」となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→平和主義によって、戦争を放棄すること、戦力は持たないこと、交戦権を認めないこと</p>
<p>　　　などが決められた</p>
<p>　　　※交戦権・・国家が戦争を行う権利のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・新しい憲法ができたことで、以下のようにして多くの法律が作られたり改正されたりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→日本国憲法によって、作られたり改正されたりした法律の例</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９４７年に民法が改正され、新民法が誕生した</p>
<p>　　　　→新民法によって、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　　・家を中心とした戸主制度を廃止して、男女に同じ権利を与えるという</p>
<p>　　　　　　新しい家族制度が出来た</p>
<p>　　　　　・戸主が家族に対して支配する権利はなくなった</p>
<p>　　　　　・家督相続制度の代わりに、財産ついては均分相続（相続分を均等にすること）が</p>
<p>　　　　　　決められた</p>
<p>　　　　　・結婚や家族などの関係で、男性が優位となるような様々な規定がなくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・刑事訴訟法が、人権の尊重を重視して全面的に改正された</p>
<p>　　　　→そのため、不敬罪や姦通罪などがなくなった</p>
<p>　　　　　※姦通罪・・夫がいる女性が、夫以外の男性と性的な関係を結んだ時に、</p>
<p>　　　　　　　　　　　性的な関係を結んだ２人に与えられる犯罪のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９４７年に地方自治法という法律が出来た</p>
<p>　　　　→この法律によって、都道府県知事や市町村長が公選になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・地方の行政や警察に影響を与えていた内務省が、ＧＨＱの指示によってなくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９４７年の終わりに警察法という法律が作られ、次の年の１９４８年に施行された</p>
<p>　　　　※警察法・・国家や地方の警察だけでなく、自治体の警察を作ることも決めた</p>
<p>　　　　　　　　　　法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日本国憲法が出来るまでと、その内容について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1320">日本国憲法について　－出来るまでの流れと内容－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>戦後の占領と改革について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1317</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1317#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 10:35:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[プレス＝コード]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[マッカーサー]]></category>
		<category><![CDATA[国家と神道の分離]]></category>
		<category><![CDATA[対日理事会]]></category>
		<category><![CDATA[幣原喜重郎]]></category>
		<category><![CDATA[東久邇宮稔彦]]></category>
		<category><![CDATA[極東委員会]]></category>
		<category><![CDATA[Ａ級戦犯]]></category>
		<category><![CDATA[ＧＨＱ]]></category>

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		<description><![CDATA[戦後の占領と改革について考えてみます &#160; &#160; ・戦後の占領と改革について &#160; &#160; 　・日本は、ポツダム宣言によって連合国に占領されることになった 　　 　　※この時、朝鮮半島北部・ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1317">戦後の占領と改革について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦後の占領と改革について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦後の占領と改革について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、ポツダム宣言によって連合国に占領されることになった</p>
<p>　　</p>
<p>　　※この時、朝鮮半島北部・千島列島・南樺太などはソ連軍が、</p>
<p>　　　朝鮮半島南部・琉球諸島・奄美諸島などはアメリカ軍が占領した</p>
<p>　</p>
<p>　　※日本は、連合国側に決められた範囲しか主権がなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ドイツは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の４カ国に分割して占領された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、アメリカ軍が中心となって占領することになった</p>
<p>　　→具体的には、マッカーサーという人をトップに置く連合国軍最高司令官総司令部</p>
<p>　　　（ＧＨＱ／ＳＣＡＰ）というところが命令や勧告を出して、その命令や勧告に従って</p>
<p>　　　日本政府が政治を行う、というスタイルが取られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ＧＨＱの命令は、法律を待たないですぐに実行することが出来て、</p>
<p>　　　　憲法にも縛られないほど強力なものだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※マッカーサーに対してアメリカ政府は、日本の政府に不満があった場合は</p>
<p>　　　　直接的に行動して良いという権限も持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・連合国が日本にどのような政策を行うかということを決めるための最高の機関として、</p>
<p>　　ワシントンに極東委員会という機関が置かれた</p>
<p>　　</p>
<p>　・一方で東京には、最高司令官（連合国軍最高司令官総司令部のトップ）に</p>
<p>　　アドバイスをする機関として対日理事会という機関が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような機関は、アメリカが原爆によって日本に負けを認めさせた</p>
<p>　　　ということもあって、アメリカ政府が中心になって運営された</p>
<p>　　→さらに、アメリカは、緊急事態の場合には極東委員会の意見を待たずに、</p>
<p>　　　「中間指令」という指令を出すことができた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※対日理事会は、農地改革の時以外は大きな影響力を持っていなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→極東委員会と対日理事会で今後の日本をどうするかということについて</p>
<p>　　　目標が考えられていた</p>
<p>　　　＝目標は、軍事を捨てることと民主化を行うことで、日本の社会を変え、</p>
<p>　　　　アメリカや東アジアなどで日本が権力を使って再び暴れ回らないように</p>
<p>　　　　することだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ポツダム宣言を認めた時に、鈴木貫太郎内閣は総辞職をした</p>
<p>　　→その後、皇族（天皇の親族）だった東久邇宮稔彦という人が内閣を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→東久邇宮稔彦内閣は、１９４５年８月以降から、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・連合国軍が日本に駐在することを受け入れた</p>
<p>　　　・旧日本軍の武器を速やかに取り去ること</p>
<p>　　　・降伏を宣言する文書への調印</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、ＧＨＱは「一億総懺悔」「国体護持」などを提唱して、占領政策とは違う</p>
<p>　　　以下のような政策を取った</p>
<p>　　　→・治安維持法と特別高等警察（特高）の廃止</p>
<p>　　　　・人権指令（共産党の人や政治関連で捕まった人をすぐに釈放する指令）を出した</p>
<p>　　　　　　→人権指令によって、言論や思想など、人々の自由を保障する動きが</p>
<p>　　　　　　　進められた</p>
<p>　　　　　　　※・一方で、占領軍に対する批判はプレス＝コード（新聞発行綱領）</p>
<p>　　　　　　　　　という規則で禁止された</p>
<p>　　　　　　　　・さらに、新聞などの出版物は占領軍が事前に検閲をすることになった</p>
<p>　　　　・天皇に関する議論を自由にすることを勧めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　→これらの政策が作られたことをきっかけに、東久邇宮稔彦内閣は総辞職をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東久邇宮稔彦内閣の後に、幣原喜重郎内閣が誕生した</p>
<p>　　→マッカーサーは、「憲法の自由主義化」と五大改革というものを幣原喜重郎内閣に</p>
<p>　　　口頭で指示した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※「憲法の自由主義化」・・憲法の内容を自由主義を中心としたものにすること</p>
<p>　</p>
<p>　　　※五大改革の内容</p>
<p>　　　　・労働組合を作ることを勧めていく</p>
<p>　　　　・自由主義的な改革を教育制度で行う</p>
<p>　　　　・婦人参政権を与える</p>
<p>　　　　・経済の仕組みを民主化にする</p>
<p>　　　　・秘密警察などを禁止する</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらにＧＨＱは、神道指令を出して、国家と神道の分離を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※神道指令・・政府が神社や神道を支援したり、推薦したりすることを</p>
<p>　　　　　　　　　　禁止する指令のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※国家と神道の分離・・戦争の時の軍国主義や天皇の崇拝などを行う考え方の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　土台となった国家神道を分解した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の国内と国外にいる陸軍と海軍の兵隊の武装解除と復員を行った</p>
<p>　　→この動きによって、日本の軍隊は消滅した</p>
<p>　　　※武装解除・・軍隊から装備を取り上げること</p>
<p>　　　　復員・・戦争のために作られた軍隊の人達を一般の人に戻して、</p>
<p>　　　　　　　　兵隊を集めるのをやめること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＧＨＱは、軍や政府のトップなど、戦争を指導してきた人達をどんどん逮捕した</p>
<p>　　※その中で、２８人がＡ級戦犯容疑者ということで起訴された</p>
<p>　　　→そのため、１９４６年５月から東京に作られた極東国際軍事裁判所というところで</p>
<p>　　　　Ａ級戦犯についての裁判が始まった</p>
<p>　　　　＝この裁判を、東京裁判という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※Ａ級戦犯・・第二次世界大戦の時に戦争犯罪（国際条約に違反する行動）を行った</p>
<p>　　　　　　　　　ということで連合国軍に起訴された人達のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦犯容疑者の逮捕が進むにつれて、日本の国内と国外で「天皇の戦争に対する責任」</p>
<p>　　という問題が注目されるようになった</p>
<p>　　→しかしＧＨＱは、天皇制が無くなることで起こる大きな混乱を避けて、</p>
<p>　　　逆に天皇制を日本のコントロールの道具として利用することを考えた</p>
<p>　　　＝そのためＧＨＱは、天皇は戦犯容疑者という扱いにしなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※１９４６年元日に、昭和天皇は人間宣言というものを行った</p>
<p>　　　　→この時に、天皇が神の地位であるということを、昭和天皇自身が否定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＧＨＱが１９４６年１月に、戦争犯罪人、陸軍と海軍の軍人、超国家主義の人達、</p>
<p>　　大政翼賛会の人達に公職追放（公務員や議員などの公的な職から排除すること）を</p>
<p>　　命令した</p>
<p>　　→公職追放によって、１９４８年５月までに政界、財界、言論界など</p>
<p>　　　約２１万人が排除された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の軍事を無くすために、軍事に関する産業を禁止する、船舶の保有について</p>
<p>　　制限する、ということなどを行った</p>
<p>　　→さらに、日本国内の産業に関する設備を、中国や東南アジアなどの戦争の被害を受けた</p>
<p>　　　国に与えるという現物給付での賠償を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦後に行われた占領と改革について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1317">戦後の占領と改革について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>満州事変について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1300</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1300#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 07:36:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[不承認宣言]]></category>
		<category><![CDATA[協調外交]]></category>
		<category><![CDATA[幣原喜重郎]]></category>
		<category><![CDATA[柳条湖事件]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[満蒙の危機]]></category>
		<category><![CDATA[犬養毅]]></category>
		<category><![CDATA[若槻礼次郎]]></category>
		<category><![CDATA[関東軍]]></category>

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		<description><![CDATA[満州事変について考えてみます &#160; &#160; ・満州事変について &#160; &#160; 　・中国で国権を回収するための民族運動が盛り上がり始めていた時期があった 　　→その時に、日本国内では軍や右翼（保 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1300">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>満州事変について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・満州事変について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国で国権を回収するための民族運動が盛り上がり始めていた時期があった</p>
<p>　　→その時に、日本国内では軍や右翼（保守的な考え方）が幣原喜重郎の協調外交を</p>
<p>　　　軟弱外交と批判した</p>
<p>　　→同時に、「満蒙の危機」が叫ばれるようになった</p>
<p>　　　※満蒙の危機・・満州と内蒙古が不安定な状態になること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・満蒙に対する危機感を強めた関東軍は、中国が国権を回収する運動が</p>
<p>　　満州にまで広がるのを、武力を使って阻止した</p>
<p>　　→この時に、長城という地域よりも南側で中国の権利が及んでいる範囲から、</p>
<p>　　　満州を切り離すことで、満州を日本の支配下に置くことを計画した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・関東軍は、参謀の石原莞爾という人を中心にして、１９３１年９月１８日に</p>
<p>　　奉天という地域の郊外の柳条湖という場所で、南満州の線路を爆破する</p>
<p>　　という事件を起こした</p>
<p>　　＝この事件を柳条湖事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※この時に石原莞爾は、日本とアメリカの間で「世界最終戦争」という</p>
<p>　　　　戦争が行われて、皆殺しになるレベルの戦争になるだろうと予言していたため</p>
<p>　　　　満州を占領して世界最終戦争に備えるべきだと主張していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→日本は、柳条湖事件の犯人は中国軍だとして、軍事的な行動を始めた</p>
<p>　　　＝ここから始まる軍事的な行動を、満州事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時内閣だった、立憲民政党の第２次若槻礼次郎内閣は、</p>
<p>　　軍の行動を広げない方針を宣言した</p>
<p>　　※しかし、マスコミや世論は戦争に対する勢いが激しく、</p>
<p>　　　日本の軍の行動を支持していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・関東軍は、満州全てを制圧するために関東軍の行動範囲を広げていった</p>
<p>　　※このような状況をどうすることもできないと考えた第２次若槻礼次郎内閣は</p>
<p>　　　総辞職をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・満州での関東軍の軍事的な行動は、中国の人達の日本を排除する運動をより激しくさせた</p>
<p>　　→そのため、１９３２年には上海でも日本軍と中国軍が戦うということもあった</p>
<p>　　　＝この戦いを第１次上海事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・この後、１９３１年１２月に立憲政友会のトップだった犬養毅という人が内閣を作った</p>
<p>　　→この時に犬養内閣は、中国と直接交渉することを目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３２年に、関東軍は満州の重要な土地を占領した</p>
<p>　　→３月には、清の最後の皇帝だった溥儀という人をトップに置いて、</p>
<p>　　　満州国を作ることを宣言した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは、日本の一通りの行動に対して不承認宣言という宣言を出した</p>
<p>　　→そこで、中国からの訴えと日本の提案で、国際連盟の理事会が</p>
<p>　　　事実を調査することにした</p>
<p>　　→そのため、イギリスのリットンという人を団長とする調査団を</p>
<p>　　　満州、中国、日本のそれぞれに派遣することにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・満州事変の流れについて押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1300">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>協調外交の転換について</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 07:31:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[ロンドン海軍軍縮会議]]></category>
		<category><![CDATA[ロンドン海軍軍縮条約]]></category>
		<category><![CDATA[幣原喜重郎]]></category>
		<category><![CDATA[日中関税協定]]></category>
		<category><![CDATA[枢密院]]></category>
		<category><![CDATA[浜口雄幸]]></category>
		<category><![CDATA[海軍軍令部]]></category>
		<category><![CDATA[統帥権]]></category>
		<category><![CDATA[統帥権干犯問題]]></category>

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		<description><![CDATA[協調外交の転換について考えてみます &#160; &#160; ・強調外交の転換について &#160; &#160; 　・浜口雄幸内閣は、協調外交の考え方を復活させようとした 　　→そのため、外務大臣に幣原喜重郎をもう一 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1299">協調外交の転換について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>協調外交の転換について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・強調外交の転換について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・浜口雄幸内閣は、協調外交の考え方を復活させようとした</p>
<p>　　→そのため、外務大臣に幣原喜重郎をもう一度使った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、中国との関係を改善することを考えた</p>
<p>　　→そのため、１９３０年に中国と日中関税協定という協定を結んだ</p>
<p>　　　※この時に、条件付きではあるが中国に関税自主権を認めさせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の日本は軍縮の方針があった</p>
<p>　　→そのため、日本は１９３０年に、ロンドン海軍軍縮会議という会議に参加した</p>
<p>　　　＝この会議で決められた条約を、ロンドン海軍軍縮条約という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ロンドン海軍軍縮条約の内容</p>
<p>　　　　・ワシントン海軍軍縮条約の時に決められた主力艦の建造の禁止を５年延長した</p>
<p>　　　　・ワシントン海軍軍縮条約の時に除外された補助艦（潜水艦、巡洋艦、駆逐艦）の</p>
<p>　　　　　保有量が決められた</p>
<p>　　　　・ワシントン海軍軍縮条約の日本の要求だったイギリスとアメリカの補助艦の</p>
<p>　　　　　保有率を約７割にすることを認められた</p>
<p>　　　　・一方で、大型巡洋艦のアメリカの保有量に対する日本の保有量を</p>
<p>　　　　　７割をキープすることは認められなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような内容で、政府は条約の調印を行った</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※ただし、海軍軍令部の部長は反対していた</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・これに対して、野党立憲政友会、海軍軍令部、右翼などが、</p>
<p>　　海軍軍令部の部長の反対を押し切って政府が兵力の量を決めたのは、</p>
<p>　　統帥権の干犯であるとして、激しい攻撃をした</p>
<p>　　＝この問題を、統帥権干犯問題という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※統帥権の干犯について</p>
<p>　　　　・統帥権（軍の最高指揮権）は天皇が持っている</p>
<p>　　　　・統帥権は内閣が担当する一般国務から独立している</p>
<p>　　　　・統帥権を発動させるためには、参謀本部の総長と海軍軍令部の部長が直接関わった</p>
<p>　　　　・ロンドン海軍軍縮条約を認める時には、枢密院の承認が必要だった</p>
<p>　　　　　→政府は、海軍軍令部と枢密院の２つの国家機構との対決を</p>
<p>　　　　　　せまられることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　・政府は、枢密院に同意してもらってロンドン海軍軍縮条約を</p>
<p>　　調印してもらうことに成功した</p>
<p>　　※しかし、同年１１月に浜口雄幸首相が東京駅で、右翼の青年に狙撃されて</p>
<p>　　　重傷になるという出来事が起きた</p>
<p>　　　→この出来事の次の年に、浜口雄幸内閣が終了して、その後すぐに浜口雄幸が死亡した</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・強調外交に関する日本の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1299">協調外交の転換について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>ワシントン会議と協調外交について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1290</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1290#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:23:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン会議]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン体制]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン海軍軍縮条約]]></category>
		<category><![CDATA[九カ国条約]]></category>
		<category><![CDATA[五・三十事件]]></category>
		<category><![CDATA[協調外交]]></category>
		<category><![CDATA[四カ国条約]]></category>
		<category><![CDATA[在華紡]]></category>
		<category><![CDATA[幣原喜重郎]]></category>
		<category><![CDATA[高橋是清]]></category>

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		<description><![CDATA[ワシントン会議と協調外交を中心に、当時の様子を考えてみます &#160; &#160; ・ワシントン会議と協調外交について &#160; &#160; 　・第一次世界大戦後、ドイツは賠償金が多額になり、イギリス、イタリア [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1290">ワシントン会議と協調外交について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ワシントン会議と協調外交を中心に、当時の様子を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ワシントン会議と協調外交について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦後、ドイツは賠償金が多額になり、イギリス、イタリア、フランスの</p>
<p>　　戦勝国が、戦争のためにアメリカから借りたお金を返さなければいけない、</p>
<p>　　という状況になり、多くの国が勝ち負けに関わらず苦しくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→上のような状況のため、アメリカは、ドイツを援助して復興させて、</p>
<p>　　　　ドイツから賠償金をもらったイギリス、イタリア、フランスが</p>
<p>　　　　賠償金でアメリカから借りたお金を返して、</p>
<p>　　　　そのお金でドイツを援助して・・</p>
<p>　　　　という状況が必要だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、日本の中国進出、ソビエトの状況、中国や朝鮮での民族運動の登場など、</p>
<p>　　極東をどうするかを考える必要が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような状況に本格的に対応していくために、１９２１年にアメリカが国際会議を開いた</p>
<p>　　＝この会議をワシントン会議という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ワシントン会議でのアメリカの目的</p>
<p>　　　　・アメリカ、イギリス、日本で軍艦を作る競争のようなことを行っていたが、</p>
<p>　　　　　その競争を終わらせてアメリカの財政の負担を減らす</p>
<p>　　　　・東アジアでの日本の力が拡大し過ぎるのを防ぐ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ワシントン会議に、日本は加藤友三郎や幣原喜重郎などの人達を送った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ワシントン会議の内容について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・アメリカ、イギリス、フランス、日本の間で、太平洋諸島の現状の維持と、</p>
<p>　　　太平洋に関する問題を戦争などではなく、話し合いで決めることを決めた</p>
<p>　　　＝この条約を四カ国条約という</p>
<p>　　　　※この条約が出きたことで、日英同盟が無くなった</p>
<p>　　</p>
<p>　　・１９２２年に、四カ国条約の国に、中国と中国で権益を持っている</p>
<p>　　　４つの主要国との間で、中国の領土と主権の尊重と、</p>
<p>　　　中国でそれぞれの国が経済面で門戸開放と機会均等を認めることを決めた</p>
<p>　　　＝この条約を九カ国条約という</p>
<p>　　　　※この条約が出来たことで、石井・ランシング協定が無くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２２年に、アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、日本の５カ国の間で、</p>
<p>　　　今後１０年間は主力艦（戦艦、巡洋戦艦、航空母艦）を作らないこと、</p>
<p>　　　主力艦をそれぞれの国が持つ比率を</p>
<p>　　　アメリカとイギリスが５、日本が３、フランスとイタリアが１．６７とすることを決めた</p>
<p>　　　＝この条約をワシントン海軍軍縮条約という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　・１９２２年に、ワシントン会議の場で日中間の交渉が行われた</p>
<p>　　　→九カ国条約にもとづいて、山東半島のドイツの利益を中国に返す条約も結ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような国際協定は、戦争が再発することの防止と、</p>
<p>　　　国どうしの間での協調を意識されていて、</p>
<p>　　　それらにもとづいてアジアと太平洋地域の新しい国際の秩序を作ろうとした</p>
<p>　　　＝この体制のことを、ワシントン体制という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、原敬が暗殺された後にできた立憲政友会の高橋是清内閣が</p>
<p>　　ワシントン体制を積極的に受け入れていった</p>
<p>　　→高橋是清は、協調外交（周りの国と協力し合う）の土台を作ろうとした　　　</p>
<p>　　　※この後に出てきた加藤友三郎内閣と第２次山本権兵衛内閣も</p>
<p>　　　　協調外交のスタイルを引き継いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日本が協調外交を取った背景に、以下のようなことがあったと言われている</p>
<p>　　　・アメリカがウィルソン大統領の理想主義的な外交から、</p>
<p>　　　　現実を意識した外交に方針を変えた</p>
<p>　　　・１９２０年代の日米関係が非常に優れていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２４年に、護憲三派によって加藤高明内閣という内閣が出来た</p>
<p>　　→その時に、今まで立憲政友会側の協調外交に反対していた憲政会が</p>
<p>　　　賛成の立場に回った</p>
<p>　　　＝その結果、当時の外務大臣だった幣原喜重郎という人を中心に</p>
<p>　　　　幣原外交という協調外交を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幣原外交は、平和と正義を基本にして、「世界の大勢」に合わせるようにすることで、</p>
<p>　　経済面を重視した外交が特徴だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※幣原外交は以下のことを意識して行った</p>
<p>　　　・１９２２年に北樺太という場所を除いて、シベリアに出兵した兵隊を日本に連れ戻した</p>
<p>　　　・ソ連との関係を改善することを意識して、１９２５年に日ソ基本条約を結んで、</p>
<p>　　　　ソ連との国交を作った</p>
<p>　　　　→その時に、北樺太から兵隊を日本に戻す代わりに、</p>
<p>　　　　　北樺太の油田の半分を開発する権利を日本が得た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※中国に関しても干渉しないようにしていたが、経済的な問題については、</p>
<p>　　　中国に介入することも考えた</p>
<p>　　　→さらに、反日運動が中国で起きることがあったため、</p>
<p>　　　　日中の関係が決して安定したとは言い切れなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※１９２５年には、上海で日本人が経営している在華紡という紡績工場で、</p>
<p>　　　中国人労働者の待遇を改善することを求めるストライキが起きたが、</p>
<p>　　　この時のストライキが流血するレベルまでの騒動になってしまった</p>
<p>　　　→そのため、この出来事をきっかけに、労働者や学生などが</p>
<p>　　　　大規模な反帝国主義のための運動が起き、中国全土にまで広がっていった</p>
<p>　　　　＝この出来事を五・三十事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・協調外交の時に海軍軍縮が成功したが、この影響は非常に大きかったと言われている</p>
<p>　　→この時に、古い軍艦の処分や、戦艦を作ることの中止などが決まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・陸軍では、加藤友三郎内閣の時に、山梨半造陸軍大臣の山梨軍縮が行われたり、</p>
<p>　　加藤高明内閣の時に、宇垣一成陸軍大臣の宇垣軍縮が行われたりした</p>
<p>　　→その結果、兵員を９万３０００人削ったり、兵器を近代化させることができたりした</p>
<p>　　　※当時は、５０％近くあった軍事費が、２７％にまで下がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ワシントン体制の内容を押さえる</p>
<p>・強調外交の状況を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1290">ワシントン会議と協調外交について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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