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	<title>アラエス &#187; 日清戦争</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>日本の海外展開と日清戦争をまとめてみた</title>
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		<comments>http://ahlaes.com/post/2460#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Feb 2014 17:09:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[三国干渉]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[日英通商航海条約]]></category>
		<category><![CDATA[条約改正]]></category>
		<category><![CDATA[甲午農民戦争]]></category>
		<category><![CDATA[関税自主権]]></category>
		<category><![CDATA[陸奥宗光]]></category>
		<category><![CDATA[領事裁判権]]></category>

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		<description><![CDATA[条約改正の歴史的流れと日清戦争 &#160; &#160; 日本の明治初期の課題・・欧米諸国との不平等条約の改正 →そこで、欧米風の法律や制度を整え、条約の改正を目指したが、日本国内の反対によって失敗した ※この時同時に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2460">日本の海外展開と日清戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>条約改正の歴史的流れと日清戦争</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本の明治初期の課題・・欧米諸国との不平等条約の改正</p>
<p>→そこで、欧米風の法律や制度を整え、条約の改正を目指したが、日本国内の反対によって失敗した</p>
<p>※この時同時に、イギリスがロシアの動きを警戒していた</p>
<p>＝だから、イギリスは日本との条約改正に応じた（1894年の陸奥宗光のときに<strong>日英通商航海条約</strong>が結ばれた）</p>
<p>→そのため、1894年に<strong>領事裁判権の制度が撤廃され</strong>、<strong>関税自主権の一部が認められた</strong></p>
<p>⇒最終的に、日露戦争後の1911年に関税自主権が確立されて、対等な条約になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本は、朝鮮に勢力を広げようとした</p>
<p>→そこで日本は、朝鮮を支配していると考えている清と対立した</p>
<p>→一方で朝鮮国内は、外国や専制的な支配に反対する動きが高まった</p>
<p>※そのため朝鮮では、1894年に東学を信仰する農民を中心とした反乱がおきた（＝<strong>甲午農民戦争</strong>）</p>
<p>→甲午農民戦争に対して、朝鮮は清に軍隊を出すことをお願いした</p>
<p>※この時に、日本も対抗して朝鮮に出兵した</p>
<p>＝その結果、朝鮮で日本軍と清軍とによる戦いが起きた（＝<strong>日清戦争</strong>）</p>
<p>→戦争は、近代化が清は遅れていたこともあって、日本が勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後、1895年に下関で日本と清の講和条約が結ばれた</p>
<p>→この時、朝鮮の独立、リャオトン半島、台湾、ポンフー諸島の譲渡、賠償金約3億円の支払いなどを認めた</p>
<p>※しかし、ロシアは日本の勢いを警戒していた</p>
<p>→だからロシアは、ドイツやフランスと一緒に、リヤオトン半島の清への返還を日本に求めた（＝<strong>三国干渉</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2460">日本の海外展開と日清戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>労働問題について　－労働運動と労働組合の歴史－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1745</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1745#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 22:12:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ロンリ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[経済の諸問題]]></category>
		<category><![CDATA[ラッダイト運動]]></category>
		<category><![CDATA[企業別組合]]></category>
		<category><![CDATA[労働問題]]></category>
		<category><![CDATA[労働組合]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
		<category><![CDATA[工場法]]></category>
		<category><![CDATA[日本的経営方式]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[産業革命]]></category>
		<category><![CDATA[第1インターナショナル]]></category>

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		<description><![CDATA[労働問題について、歴史的な視点から考えてみます &#160; &#160; ・労働問題がなぜ考えられるようになったのか &#160; 　※労働問題とは・・職場の状況や失業の問題など、 　　　　　　　　　　労働に関する様々 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1745">労働問題について　－労働運動と労働組合の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>労働問題について、歴史的な視点から考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・労働問題がなぜ考えられるようになったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※労働問題とは・・職場の状況や失業の問題など、</p>
<p>　　　　　　　　　　労働に関する様々な問題をまとめた呼び方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・労働問題は、産業革命が起きて資本主義が出来た時と、今現在存在している発展途上国は、</p>
<p>　　悪い労働条件というのが当たり前だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→現代では、労働条件だけでなく、働きたくても働くことができないというような</p>
<p>　　　問題も生まれるようになってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝上のようなことがあり、労働問題が考えられるようになったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※なぜ労働問題が生まれるようになってしまったのか</p>
<p>　　→労働力という商品が、働く人の身体や精神の面を無視して売買することはできないから</p>
<p>　　　だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・どのような労働運動が起きたのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・資本主義が出来た頃に、ラッダイト運動（機械打ちこわし運動）という運動が</p>
<p>　　様々なところで行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※なぜ、ラッダイト運動のような運動が起きたのか</p>
<p>　　　→・手工業（人の手で行う仕事）を行っていた人達は、産業革命によって機械が</p>
<p>　　　　　使われるようになったことが原因で、仕事を失ってしまったから</p>
<p>　　　　・工場で働く人達が、資本主義の仕組みと、工場で働く人達へ</p>
<p>　　　　　指示を出す資本家に反発したから</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→ラッダイト運動は誰かが指示をしたわけではなく、自然と起きたが、</p>
<p>　　　　この運動が起きた後から、労働者は、労働組合というものを作ることで、</p>
<p>　　　　資本家、雇用側に対抗するような動きが出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・資本主義が出来てしばらくしてから、労働する側で国際的な組織が作られるようになった</p>
<p>　　→代表的な組織の例</p>
<p>　　　・１８６４年には、ロンドンで第１インターナショナルという組織が、</p>
<p>　　　　１８８９年には、パリで第２インターナショナルという組織が作られた</p>
<p>　　　・第一次世界大戦後の１９１９年に、国際労働機関（ＩＬＯ）という組織が作られた</p>
<p>　　　　→・この組織の運営は、政府、労働者、使用者の３者によって</p>
<p>　　　　　　行われることになっている</p>
<p>　　　　　・この組織は、労働者の労働条件を改善することを目的として作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本の労働運動について</p>
<p>　</p>
<p>　・日本では、日清戦争の後に産業革命が起き、その時に労働組合を作る動きが</p>
<p>　　見られるようになった</p>
<p>　　→しかし、労働組合は取り締まりの対象になってしまった</p>
<p>　　　※特に、１９００年に治安警察法という法律で労働運動を厳しく取り締まられ、</p>
<p>　　　　労働運動が減っていった</p>
<p>　　　　→そこで、取り締まりを減らすために、１９１１年に工場法という法律が作られた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※工場法の内容</p>
<p>　　　　・１２歳未満が就職して働くことを禁止した　　</p>
<p>　　　　・１５歳未満と女子は、労働時間を１日１２時間以内にした</p>
<p>　　　　　※工場法は、戦前にできた唯一の労働者を保護するための立法だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・昭和に入った時に、１９２５年に治安維持法などの法律によって、</p>
<p>　　労働組合の運動などがおさえつけられた</p>
<p>　　→そして、日中戦争の時の１９３８年に国家総動員法という法律が作られ、</p>
<p>　　　産業報国運動という運動が起こった</p>
<p>　　　※・国家総動員法・・国家の力を最大限に発揮させるために、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　人やモノの動きに関する権限を全て政府が握るという法律のこと</p>
<p>　　　　・産業報国運動・・産業を通して、国に貢献するという運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※この運動の時に、日本的経営方式が生まれたと言われている</p>
<p>　　　　・日本的経営方式・・終身雇用、年功序列賃金、企業別組合を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　中心とする経営方式のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第二次世界大戦の後に、日本国憲法と労働組合法という法律が作られた</p>
<p>　　→労働組合は初めて労働者の基本的な権利として認められるようになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※このとき、戦前の職業別組合とはスタイルが違う、企業別組合という組合が</p>
<p>　　　どんどん生まれてきた</p>
<p>　　　→企業別組合は、産業ごとに分けられた</p>
<p>　　　　＝公務員と公企業の労働者は官公労という組織を、</p>
<p>　　　　　それ以外の産業は単産という組織を作った</p>
<p>　　　　　※単産（単位産業別労働組合連合会）は、</p>
<p>　　　　　　ナショナルセンター（労働組合の中央的な組織）として組織化された</p>
<p>　　　　　　→ナショナルセンターには、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　　　・総評・・組合主義（経済的な条件の改善を目的とする考え方のこと）の</p>
<p>　　　　　　　　　　　立場で作られた労働組合のことで、労働組合の中欧的な存在だった</p>
<p>　　　　　　・同盟・・民間産業が中心の労働組合のこと</p>
<p>　　　　　　・中立労連・・総評、同盟、新産別（全国産業別労働組合連合）という組合の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　どれにも属さない労働組合のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・高度経済成長期の時は、労働組合の組織率（組合員数を雇用者数で割った数）は、</p>
<p>　　３５％前後が続いていた</p>
<p>　　※しかし、石油危機が原因で産業の構造自体が変わってしまったため、</p>
<p>　　　組合組織率が少しずつ下がっていった</p>
<p>　　　→そこで、戦後の労働組合運動を引っ張ってきた総評や同盟などの全国的な組織は、</p>
<p>　　　　１９８９年に新しいナショナルセンターとして、連合、全労連、全労協などと</p>
<p>　　　　呼ばれる組織に再編成された</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1745">労働問題について　－労働運動と労働組合の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>日清戦争と三国干渉について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1266</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1266#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:04:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[三国干渉]]></category>
		<category><![CDATA[下関条約]]></category>
		<category><![CDATA[台湾総督]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東学]]></category>
		<category><![CDATA[樺山資紀]]></category>
		<category><![CDATA[甲午農民戦争]]></category>
		<category><![CDATA[臥薪嘗胆]]></category>
		<category><![CDATA[遼東半島]]></category>
		<category><![CDATA[防穀令]]></category>

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		<description><![CDATA[日清戦争と三国干渉について考えてみます &#160; &#160; ・日清戦争とその流れについて &#160; &#160; 　・天津条約が結ばれた後に、日本は朝鮮に対する影響力を強くしようとした 　　→そこで日本は、軍 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1266">日清戦争と三国干渉について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日清戦争と三国干渉について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日清戦争とその流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天津条約が結ばれた後に、日本は朝鮮に対する影響力を強くしようとした</p>
<p>　　→そこで日本は、軍事力を高めると同時に、清の軍事力を武器にして</p>
<p>　　　日本に抵抗する朝鮮との対立を深めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※どのような軍事力の強化を行ったのか</p>
<p>　　　・１８７８年に、参謀本部という機関を作って、</p>
<p>　　　　統帥部（軍事を指揮する部）を強化した</p>
<p>　　　・１８８２年に軍人勅諭を出して、軍人が天皇に誓う気持ちを高めさせた</p>
<p>　　　・１８８８年に陸軍が鎮台から師団という軍隊に変わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※朝鮮との対立が深まったことで、日本と朝鮮はどのような行動を取ったのか</p>
<p>　　　・朝鮮は１８８９年から、防穀令（穀物の輸出を禁止した法律のこと）を出した</p>
<p>　　　・日本は防穀令を廃止させた上で、輸出を禁止していた間の損害賠償を要求した</p>
<p>　　　　→１８９３年に要求が通った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９４年に、甲午農民戦争（東学の乱）という反乱が起きた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※甲午農民戦争・・朝鮮で東学の信徒を中心に、農民が朝鮮の政府に対して</p>
<p>　　　　　　　　　　　減税と日本の排除を求めた反乱のこと</p>
<p>　　　東学・・キリスト教（西学）に反対する民族宗教のこと</p>
<p>　　　→農民の反乱は、東学の幹部によって指導されて、</p>
<p>　　　　朝鮮半島の南部を制圧するほどの勢いになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・甲午農民戦争が起きた時に、清は朝鮮の政府にお願いされて朝鮮に兵隊を送ると同時に、</p>
<p>　　天津条約のルールに従って日本に兵隊を送ったことを報告した</p>
<p>　　→日本は、この報告を受けて朝鮮に兵隊を送った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のように、両方の国から軍が来てしまうような状況だったので、</p>
<p>　　　農民の反乱軍はすぐに朝鮮の政府と和解した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、日本と清は朝鮮の政治改革について揉めてしまい、</p>
<p>　　結果的に日本と清が戦う状態になってしまった</p>
<p>　　※イギリスは、最初は日本の出兵に批判的だった</p>
<p>　　　→しかし、日英通商航海条約に調印してからイギリスは態度を変えて、</p>
<p>　　　　日本に友好的になった</p>
<p>　　　　＝そのため、世界での地位や国際情勢は日本の方が有利だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９４年８月に日本は清に宣戦布告をした</p>
<p>　　＝この動きによって、日清戦争がはじまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日清戦争の状況について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日清戦争が始まったらすぐに、政党が政府の批判を中止した</p>
<p>　　→そのため、議会は戦争に関する予算や法律案などを全て承認していった</p>
<p>　　　※日清戦争にかかった費用は約２億円で、</p>
<p>　　　　当時の国家予算の２倍ほど使ったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦争は、軍隊の育成や新しい兵器の使用などを多く行っていた日本が</p>
<p>　　圧倒的に有利な状況になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、清の軍隊を朝鮮から追い出した</p>
<p>　　→その後、遼東半島という半島を占領した</p>
<p>　　→さらにその後、黄海という場所での海戦（海での戦い）を行い、</p>
<p>　　　清の北洋艦隊という艦隊を撃破した</p>
<p>　　→最終的に、清の拠点である威海衛という場所を占領した</p>
<p>　　　＝結果、日本の勝利に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・勝利の結果、１８９５年４月に、日本の伊藤博文・陸奥宗光と清の李鴻章という</p>
<p>　　人達との間で、下関条約という条約が結ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※下関条約の内容について</p>
<p>　　　　・清は朝鮮の独立を認める</p>
<p>　　　　・遼東半島、台湾、澎湖諸島という場所を日本にゆずる</p>
<p>　　　　・賠償金として２億テール（当時の日本円で３億１０００万円）を日本に支払う</p>
<p>　　　　・新しく、沙市、重慶、蘇州、杭州という４つの港を開く　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・三国干渉について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・遼東半島を日本にゆずるという内容に、ロシアが反応した</p>
<p>　　※ロシアは、東アジアに進出することを考えていたため、</p>
<p>　　　遼東半島が日本に移ることに反応した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そこでロシアは、フランスとドイツを誘って、遼東半島を清に返すことを日本に求めた</p>
<p>　　＝この動きを、三国干渉という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、３つの国に反抗することは無理だと考えた</p>
<p>　　→そのため、日本は遼東半島を清に返した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※この時に日本は、「臥薪嘗胆」という考えがあった</p>
<p>　　　→そのため、国民のロシアに対する怒りが増えてきた風潮を使って、</p>
<p>　　　　日本は軍備を拡大させていった</p>
<p>　　　　・臥薪嘗胆・・復讐したり、目標を達成したりするために辛く苦しい思いをして</p>
<p>　　　　　　　　　　　努力をすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本政府は、遼東半島を返してしまった分、新しく得た台湾を治めることに力を入れた</p>
<p>　　→そこで、日本は１８９５年に樺山資紀という人を台湾総督に任命した</p>
<p>　　　※樺山資紀は台湾の人の抵抗を武力で抑えつけることを行っていた　　　</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※台湾総督・・行政などを指揮する台湾総督府のトップの人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・台湾の統治について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・台湾総督は、基本的に陸軍か海軍の大将か中将が任命された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・台湾総督には、軍事を指揮する権利、行政や司法や立法を動かす権利などがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１８９８年から、台湾総督の児玉源太郎という人の下で、</p>
<p>　　　後藤新平という人が台湾の人々の幸福度を</p>
<p>　　　高めるような政治を目指して、以下のような行動を取った</p>
<p>　　　→・土地調査事業を行い、土地制度を近代化させようとした</p>
<p>　　　　・台湾銀行や台湾製糖会社などを作って、産業を成長させようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・台湾の支配は、現地の商人や地主などのようなお金を持っている層を</p>
<p>　　　納得させて上手く取り込みながら行われた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　・一方で、お金が無い農民などは、日本の支配に対して抵抗し続けた</p>
<p>　　　※そのため、時々日本に反抗するような乱を起こすことがあった</p>
<p>　　　　→日本は、反乱に対しては徹底して弾圧していった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　※日本が台湾を支配する状況は１９４５年まで続いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日清戦争までの流れを押さえる</p>
<p>・日清戦争の内容を押さえる</p>
<p>・日清戦争のその後を、三国干渉を中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1266">日清戦争と三国干渉について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>中国分割の問題について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1005</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1005#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 06:11:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ合衆国]]></category>
		<category><![CDATA[三国干渉]]></category>
		<category><![CDATA[中国]]></category>
		<category><![CDATA[光緒帝]]></category>
		<category><![CDATA[公羊学派]]></category>
		<category><![CDATA[康有為]]></category>
		<category><![CDATA[戊戌の政変]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東清鉄道]]></category>

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		<description><![CDATA[中国分割の問題について考えてみます &#160; &#160; ・中国分割の問題について &#160; &#160; 　※日清戦争で、清が敗北するということが起きた 　　→すると、欧米の国々は清朝の領土内での利権獲得のた [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1005">中国分割の問題について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中国分割の問題について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国分割の問題について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※日清戦争で、清が敗北するということが起きた</p>
<p>　　→すると、欧米の国々は清朝の領土内での利権獲得のための競争を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアは、シベリア鉄道を建設して、南へ進む機会を狙っていた</p>
<p>　　※その裏で日本が、下関条約によって清から遼東半島を獲得した</p>
<p>　　　→そこでロシアは、フランスとドイツを誘って、日本に圧力をかけることで</p>
<p>　　　　遼東半島を清に返させた</p>
<p>　　　　＝この出来事を三国干渉という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・三国干渉の後、そのお礼として１８９６年に清から東清鉄道の敷設権をもらった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、ドイツが宣教師殺害事件という出来事を口実にして、１８９８年に膠州湾を租借した</p>
<p>　　→すると、ドイツにならって、他の国が以下のような動きを見せた</p>
<p>　　　・１８９８年にロシアが遼東半島南部を租借した</p>
<p>　　　・１８９８年にイギリスが威海衛と九竜半島を租借した</p>
<p>　　　・１８９９年にフランスが広州湾を租借した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、以下のような利権の優先権を各国が清に認めさせて、各国の勢力範囲を定めた</p>
<p>　　　・ロシア－東北地方</p>
<p>　　　・イギリス－長江流域と広東東部</p>
<p>　　　・フランス－広東西部と広西地方</p>
<p>　　　・日本－台湾の対岸にあたる福建省</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→当時、アメリカ合衆国は、アメリカ＝スペイン戦争でフィリピンを獲得したため、</p>
<p>　　　中国に関心を高めていた</p>
<p>　　　※しかし、中国への進出はアメリカが遅れてしまった</p>
<p>　　　　＝そこでアメリカは、１８９９年～１９００年にかけて国務長官のジョン＝ヘイ</p>
<p>　　　　　という人の名前で、中国の門戸開放、機会均等、領土保全を提唱した</p>
<p>　　　　　→この提唱によって、列国の中国の分割の勢いが若干緩んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日清戦争の敗北後に、中国の内部で、日本の明治維新にならった根本的な</p>
<p>　　制度改革（変法）を主張する意見が出てきた</p>
<p>　　※その中心となったのが、公羊学派の康有為という人だった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※公羊学派と康有為について</p>
<p>　　　・公羊学派・・「春秋」の注釈の一つである「公羊伝」を重視する学派のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　社会改革や実践への意識が強い</p>
<p>　　　・康有為は、儒学の祖である孔子の教えは、保守的なものではなく、</p>
<p>　　　　積極的な改革を目指したものだとする新しい学説を誕生させた</p>
<p>　　　　→そこで康有為は、１８９８年に光緒帝という人を動かして政治の革新を強引に行った</p>
<p>　　　　　＝この革新を、戊戌の変法という</p>
<p>　　　・しかし、改革に反対する保守派が、西太后という人と手を組んでクーデタを起こした</p>
<p>　　　　※このクーデタを戊戌の政変という</p>
<p>　　　　　→戊戌の政変によって、光緒帝が幽閉され、康有為や梁啓超などが</p>
<p>　　　　　　失脚して日本に亡命した</p>
<p>　　　　　　＝その結果、改革が３か月あまりで失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中国に対する各国の動きをおさえる</p>
<p>・中国内部の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1005">中国分割の問題について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>近代の東アジアの国際秩序について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/912</link>
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		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 08:39:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[天津条約]]></category>
		<category><![CDATA[日朝修好条規]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東学]]></category>
		<category><![CDATA[江華島事件]]></category>
		<category><![CDATA[洪景来の乱]]></category>
		<category><![CDATA[清仏戦争]]></category>
		<category><![CDATA[甲午農民戦争]]></category>
		<category><![CDATA[総理各国事務衙門]]></category>
		<category><![CDATA[金玉均]]></category>

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		<description><![CDATA[近代の東アジアの国際秩序について考えてみます &#160; &#160; &#160; ・東アジアの国際秩序について &#160; &#160; 　・西洋の国々の進出と、日本の勢力の伸びによって、清朝を中心とする 　　東 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/912">近代の東アジアの国際秩序について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>近代の東アジアの国際秩序について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアの国際秩序について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西洋の国々の進出と、日本の勢力の伸びによって、清朝を中心とする</p>
<p>　　東アジアの国際秩序が崩れてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝貢体制のもとでは、外国を対等の存在でなく国内の延長のようにみなしていた</p>
<p>　　→そのため、特別に外交を扱う役所は設けられていなかった</p>
<p>　　　※１８６１年にはじめて、外務省にあたる総理各国事務衙門（総理衙門）が設置された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・今まで清朝の支配が間接的、または名目的にしか及んでいなかった地域に</p>
<p>　　他の国が手を伸ばすということが起きた</p>
<p>　　＝その結果、１９世紀の後半にこれらの地域が次々と清朝の影響から離れていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７９年の日本の琉球領有に続いて、南方では１８８４年の清仏戦争によって、</p>
<p>　　ベトナムがフランスの支配下になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮では、党争などによる政治的な動揺が続いた</p>
<p>　　※１９世紀には、洪景来の乱をはじめとする反乱が何度か起こっていた</p>
<p>　　　→このような状況のなかで、１８６０年代に入ると、欧米の国々は鎖国を続ける朝鮮に対して</p>
<p>　　　　開国をせまるようになった</p>
<p>　　　　※しかし、高宗の摂政だった大院君という人は開国を拒否し、攘夷を目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、１８７５年に江華島事件という事件を起こした</p>
<p>　　→日本は、これをきっかけに朝鮮にせまって、１８７６年に日朝修好条規という</p>
<p>　　　不平等な条約を結んだ</p>
<p>　　　※この条約の時に、領事裁判権を認める、釜山など３港を開港させる、などを認めさせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、朝鮮の内部では以下のような立場があり、対立していた</p>
<p>　　→・攘夷派</p>
<p>　　　・改革派</p>
<p>　　　・改革派の中で、日本に接近して急進的な改革を目指す金玉均など</p>
<p>　　　・清との関係を維持して、ゆっくりと改革を行おうとする外戚の閔氏一族など</p>
<p>　　　　＝この対立の結果、壬午軍乱や甲申事変などの内乱が何度か起きて、</p>
<p>　　　　　日清間の対立も深まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※壬午軍乱とは</p>
<p>　　　　　・漢城（現在のソウル）で起こった軍隊の反乱のこと</p>
<p>　　　　　・大院君を擁護して閔氏一派の要人を殺害し、日本公使館を襲撃したが、</p>
<p>　　　　　　清軍に鎮圧されてしまった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　　※甲申事変とは</p>
<p>　　　　　・急進的な改革派が漢城で日本の武力を借りて閔氏政権を倒した政変のこと</p>
<p>　　　　　・清軍の攻撃によって３日目に敗れた</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　</p>
<p>　　　→内乱による日清間の対立が深まったために、日本と清の両国は</p>
<p>　　　　１８８５年に天津条約を結んだ</p>
<p>　　　　※天津条約によって、両方の軍の撤兵や将来出兵する時の事前通告などを約束した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→しかし、１８９４年に全琫準という人などが甲午農民戦争（東学党の乱）</p>
<p>　　　　という争いを起こした</p>
<p>　　　　＝そのため、日本と清の両方の軍が出兵して、日清戦争がはじまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　※東学とは</p>
<p>　　　　　　・１８６０年ころに崔済愚という人が作った新しい宗教のこと</p>
<p>　　　　　　・キリスト教の西学に対抗して、朝鮮にあった民間信仰に</p>
<p>　　　　　　　儒教、仏教、道教の３教などを融合したもので、</p>
<p>　　　　　　　他の宗教を排除する傾向を持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日清戦争について</p>
<p>　　　　・日清戦争は、日本が勝利した</p>
<p>　　　　・負けた清は、１８９５年の下関条約で以下のようなことを決めた</p>
<p>　　　　　→・朝鮮の独立</p>
<p>　　　　　　・日本に対する遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲</p>
<p>　　　　　　・賠償金の支払い</p>
<p>　　　　　　・通商上の特権の付与</p>
<p>　　　　　　・開港した港での企業の設立　　など</p>
<p>　　　　・この戦争の結果、日本は大陸侵略の足場を朝鮮に築くことになった</p>
<p>　　　　　※この動きは、極東で南下を目指すロシアとの対立を深めていくことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・明治維新とその動きについておさえる</p>
<p>・東アジアの国際的な動きの変化についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/912">近代の東アジアの国際秩序について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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