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	<title>アラエス &#187; 欽定憲法</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2386</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2386#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 14 Jan 2014 02:54:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
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		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[政党政治]]></category>
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		<description><![CDATA[現在の日本では、日本国憲法が用いられていますが、戦前は明治憲法（大日本帝国憲法）が用いられていました。 そこで、現在の日本を良く知るために、明治憲法とその時の政治について考えてみます。 &#160; &#160; &#038;nb [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2386">明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>現在の日本では、日本国憲法が用いられていますが、戦前は明治憲法（大日本帝国憲法）が用いられていました。</p>
<p>そこで、現在の日本を良く知るために、明治憲法とその時の政治について考えてみます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法について</p>
<p>・明治憲法・・1889年、明治天皇によって、大日本帝国憲法が発布された（欽定憲法）</p>
<p>・「臣民の権利」が認められる（臣民の権利は、法律で制限できる）＝法律の留保</p>
<p>・立法、行政、司法のそれぞれが、天皇の名で行われる　＝　天皇大権</p>
<p>※統帥権（軍の最高指揮権）について、天皇は議会や内閣から干渉されなかった　＝　統帥権の独立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法の時の政治の様子について</p>
<p>・臣民・・衆議院を通して政治に参加</p>
<p>※ただし、対等の権限を持つ貴族院、枢密院、軍部が臣民の政治参加を抑制</p>
<p>・初期・・政治は元老（天皇の補佐）が中心</p>
<p>・第一次大戦後（1914～1918）・・政党内閣と政権交代が成立　＝　憲政の常道</p>
<p>・大正デモクラシー（民主主義を目指す運動）へ向けて、天皇機関説や民本主義（天皇中心の民主主義）が出てくる</p>
<p>※天皇機関説・・美濃部達吉の考えで、天皇を国家機関とする考え方、</p>
<p>→著書は右翼に攻撃され発禁</p>
<p>・1925年・・治安維持法（反国家の取り締まり）と普通選挙法（男子25歳以上）が出る</p>
<p>・1932年・・五・一五事件（海軍、犬養毅首相）</p>
<p>→五・一五事件によって、政党政治が終了</p>
<p>・1936年・・二・二六事件（陸軍）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法とその時の政治についてまとめてみました。</p>
<p>今の日本とは違う部分が多いですが、</p>
<p>こういったことが80～90年くらい前にあったという事実は驚きです・・・</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2386">明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>憲法の歴史について①　－明治憲法について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1812</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1812#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 08:28:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[帝国議会]]></category>
		<category><![CDATA[明治維新]]></category>
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		<description><![CDATA[明治憲法について考えてみます &#160; &#160; ・明治憲法について &#160; 　※前提として、明治維新の後、日本で様々な憲法の案（私擬憲法）が作られたことを 　　押さえておく必要がある 　　→当時は、憲法を [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1812">憲法の歴史について①　－明治憲法について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治憲法について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※前提として、明治維新の後、日本で様々な憲法の案（私擬憲法）が作られたことを</p>
<p>　　押さえておく必要がある</p>
<p>　　→当時は、憲法をもとにして政治を行っていた</p>
<p>　　　＝このように、憲法にもとづいてにして政治を行う事を、立憲主義という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※明治維新の後の憲法に関する動きとして、自由民権運動という運動が活発だった</p>
<p>　　・自由民権運動・・国民の自由と権利、国会の開設、憲法の制定などを求めた運動のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　→自由民権運動を抑えること、明治維新以降の国の体制を整えること、などの目的から、</p>
<p>　　　国会を開設することと憲法を作ることを急いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８９年（明治２２年）に、明治天皇によって大日本帝国憲法（明治憲法）が制定された</p>
<p>　　※大日本帝国憲法は欽定憲法だった（反対を民定憲法と言う）</p>
<p>　　　・欽定憲法・・君主（天皇や王様など、その国で最も位の高い人のこと）が</p>
<p>　　　　　　　　　　決めた憲法のこと</p>
<p>　　　・民定憲法・・国民が決めた憲法のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大日本帝国憲法では、基本的人権や社会契約説などの考え方はなく、</p>
<p>　　「臣民の権利」という考え方だった</p>
<p>　　※臣民の権利は、基本的人権のように生まれながらに平等という感覚ではなかった</p>
<p>　　　→そのため、臣民（天皇以外の国民）の権利というのは、</p>
<p>　　　　法律で制限される部分があった</p>
<p>　　　　＝このような状態を、法律の留保と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・立法、行政、司法の権利は、統治権を全て引き受けている人（＝天皇）の名前で使われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・外交権や統帥権は天皇大権（天皇が使えた権利のこと）だった</p>
<p>　　※特に、統帥権（軍の最高指揮権のこと）に関しては議会や内閣が</p>
<p>　　　意見することができなかった</p>
<p>　　　＝そのため統帥権は、統帥権の独立と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治憲法では、天皇の直接的な支配が基本だったが・・・</p>
<p>　　・立法権は、帝国議会の協賛（帝国議会が同意の意思を表示すること）によって</p>
<p>　　　実際に使われた</p>
<p>　　・行政権は、国務大臣の輔弼（天皇が行政を行う時に助言すること）によって</p>
<p>　　　実際に使われた</p>
<p>　　・帝国議会の衆議院を通じて、臣民が政治に参加出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・一方で・・</p>
<p>　　・衆議院とほぼ同じような権限を持っていた貴族院によって、</p>
<p>　　　衆議院の力が抑えつけられていた</p>
<p>　　・枢密院や軍部などが強い力を持っていた</p>
<p>　　　→以上のように、明治憲法のもとでは、複雑で自分達の権限を守りながら</p>
<p>　　　　勢力を拡大する仕組みがあった</p>
<p>　　　※枢密院・・天皇の最高諮問機関（天皇が意見を聞くための人達の中で、</p>
<p>　　　　　　　　　最も位の高い機関のこと）であり、国務の審議を行った</p>
<p>　　　　　　　　　また、枢密院は政党や議会政治の監視なども行った</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1812">憲法の歴史について①　－明治憲法について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1681</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1681#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 13:56:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
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		<description><![CDATA[日本国憲法の内容のために、最初に日本国憲法の前の明治憲法について考えておきます &#160; &#160; ・明治憲法について &#160; 　※明治維新の後、日本で様々な憲法の案（私擬憲法）が作られた 　　→当時は、憲 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1681">日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日本国憲法の内容のために、最初に日本国憲法の前の明治憲法について考えておきます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※明治維新の後、日本で様々な憲法の案（私擬憲法）が作られた</p>
<p>　　→当時は、憲法をもとにして政治を行っていた</p>
<p>　　　＝このように、憲法にもとづいてにして政治を行う事を、立憲主義という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※明治維新の後の憲法に関する動きとして、自由民権運動という運動が活発だった</p>
<p>　　・自由民権運動・・国民の自由と権利、国会の開設、憲法の制定などを求めた運動のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　→自由民権運動を抑えること、明治維新以降の国の体制を整えること、などの目的から、</p>
<p>　　　国会を開設することと憲法を作ることを急いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８９年（明治２２年）に、明治天皇によって大日本帝国憲法（明治憲法）が制定された</p>
<p>　　※大日本帝国憲法は欽定憲法だった（反対を民定憲法と言う）</p>
<p>　　　・欽定憲法・・君主（天皇や王様など、その国で最も位の高い人のこと）が</p>
<p>　　　　　　　　　　決めた憲法のこと</p>
<p>　　　・民定憲法・・国民が決めた憲法のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大日本帝国憲法では、基本的人権や社会契約説などの考え方はなく、</p>
<p>　　「臣民の権利」という考え方だった</p>
<p>　　※臣民の権利は、基本的人権のように生まれながらに平等という感覚ではなかった</p>
<p>　　　→そのため、臣民（天皇以外の国民）の権利というのは、法律で制限される部分があった</p>
<p>　　　　＝このような状態を、法律の留保と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・立法、行政、司法の権利は、統治権を全て引き受けている人（＝天皇）の名前で使われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・外交権や統帥権は天皇大権（天皇が使えた権利のこと）だった</p>
<p>　　※特に、統帥権（軍の最高指揮権のこと）に関しては議会や内閣が</p>
<p>　　　意見することができなかった</p>
<p>　　　＝そのため統帥権は、統帥権の独立と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治憲法では、天皇の直接的な支配が基本だったが・・・</p>
<p>　　・立法権は、帝国議会の協賛（帝国議会が同意の意思を表示すること）に</p>
<p>　　　よって実際に使われた</p>
<p>　　・行政権は、国務大臣の輔弼（天皇が行政を行う時に助言すること）に</p>
<p>　　　よって実際に使われた</p>
<p>　　・帝国議会の衆議院を通じて、臣民が政治に参加出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・一方で・・</p>
<p>　　・衆議院とほぼ同じような権限を持っていた貴族院によって、</p>
<p>　　　衆議院の力が抑えつけられていた</p>
<p>　　・枢密院や軍部などが強い力を持っていた</p>
<p>　　　→以上のように、明治憲法のもとでは、複雑で自分達の権限を守りながら</p>
<p>　　　　勢力を拡大する仕組みがあった</p>
<p>　　　※枢密院・・天皇の最高諮問機関（天皇が意見を聞くための人達の中で、</p>
<p>　　　　　　　　　最も位の高い機関のこと）であり、国務の審議を行った</p>
<p>　　　　　　　　　また、枢密院は政党や議会政治の監視なども行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは</p>
<p>　　元老（憲法には書かれていなかったが、政治の事務的な部分の決定や、</p>
<p>　　首相の決定などに関して力のあった人）だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　→大正時代になると、護憲運動などの影響で政党の力が強くなってきた</p>
<p>　　　※護憲運動・・その当時の官僚の内閣などを潰して、</p>
<p>　　　　　　　　　　政党内閣を作ろうとした運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→第一次世界大戦（１９１４～１９１８）の後には、</p>
<p>　　　世界的に民主主義の雰囲気が強くなっていった</p>
<p>　　　＝その影響で大正から昭和にかけて、「憲政の常道」として</p>
<p>　　　　政党内閣と政権政治が中心となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→大正には、大正デモクラシーという運動が起き、</p>
<p>　　　天皇機関説や民本主義が大正デモクラシーの後押しをしたと言われる</p>
<p>　　　※・大正デモクラシー・・民主主義を目指す運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・天皇機関説・・天皇を国家の機関だとする考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　美濃部達吉によって提唱されたが、右翼などに攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　著書は発売禁止となり、結果的に美濃部達吉は</p>
<p>　　　　　　　　　　　　貴族院の議員を辞職することになってしまった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　・民本主義・・天皇を主権にした上で、民主主義の実現を目指す考え方のことで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　吉野作造と言う人が主張した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→このような流れを受けて、１９２５年になると、</p>
<p>　　　普通選挙制度（普通選挙法）と治安維持法が成立した</p>
<p>　　　※・普通選挙制度（普通選挙法）・・満２５歳以上の男子全員に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　選挙権が与えられた制度のこと</p>
<p>　　　　・治安維持法・・共産主義のための運動を制限して、資本主義や天皇主権以外の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　考え方を取り締まる法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２９年の世界恐慌以降、経済や社会などに対して日本国内での不安が増えてきた</p>
<p>　　　すると、天皇が統帥権を使って軍部を動かし、軍部の力が強くなり、</p>
<p>　　　軍部を使おうとしたため、大陸を侵略するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→１９３２年には、五・一五事件が、１９３６年には、二・二六事件が起こり、</p>
<p>　　　世界各地が第二次世界大戦へ向かった　</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・明治憲法の概要を押さえる</p>
<p>・明治憲法から、日本国憲法に入るまでの流れを押さえる</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1681">日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>大日本帝国憲法の内容について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1259</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1259#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 27 Oct 2013 22:28:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[二院制]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[天皇大権]]></category>
		<category><![CDATA[帝国大学令]]></category>
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		<description><![CDATA[大日本帝国憲法について考えてみます &#160; &#160; ・大日本帝国憲法の内容について &#160; &#160; 　・大日本帝国憲法は欽定憲法だった（反対を民定憲法と言う） 　　※欽定憲法・・君主（天皇や王様な [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1259">大日本帝国憲法の内容について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大日本帝国憲法について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大日本帝国憲法の内容について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大日本帝国憲法は欽定憲法だった（反対を民定憲法と言う）</p>
<p>　　※欽定憲法・・君主（天皇や王様など、その国で最も位の高い人のこと）が</p>
<p>　　　　　　　　　決めた憲法のこと</p>
<p>　　　民定憲法・・国民が決めた憲法のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・天皇は神聖不可侵とされて、統治権、国の方針の決定、講和や条約の締結、</p>
<p>　　文武官の任免、統帥権などは天皇大権（天皇が使えた権利のこと）だった</p>
<p>　　</p>
<p>　　※特に、統帥権（軍の最高指揮権のこと）に関しては議会や内閣が</p>
<p>　　　意見することができなかった</p>
<p>　　　＝そのため統帥権は、統帥権の独立と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※政府は、１８８６年に帝国大学令という法律を作り、大学を官吏養成機関とした</p>
<p>　　　→さらに、１８８７年に文官高等試験の制という制度を作って、</p>
<p>　　　　官僚制度の基礎を作っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、予算案は政府の同意が無いのに議会が勝手に削減することができなかった</p>
<p>　　　→そのため、予算案が決まらなかった場合は、</p>
<p>　　　　前年度の予算案をそのまま使うことが出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天皇主権のもとに、立法、司法、行政の三権が分立している状態で、</p>
<p>　　それぞれが天皇を補佐することになった</p>
<p>　　※ただし、三権と比べると政府の権限は強かった</p>
<p>　　　→そのため、国務大臣は個別に、天皇に対してだけ責任を負うことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の議会を帝国議会と言い、帝国議会はほぼ同じような権限を持つ</p>
<p>　　衆議院と貴族院の二院制だった</p>
<p>　　※ただし、貴族院には華族や天皇に選ばれた議員などがいたため、</p>
<p>　　　貴族院によって衆議院の力が抑えつけられていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、議会の同意がない場合は予算や法律は成立しなかった</p>
<p>　　　＝そのため、政府は議会（特に衆議院）と調整することを意識していた</p>
<p>　　　　※この結果、政党の影響力が大きくなっていったと言われている</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大日本帝国憲法では、基本的人権や社会契約説などの考え方はなく、</p>
<p>　　「臣民の権利」という考え方だった</p>
<p>　　※臣民の権利は、基本的人権のように生まれながらに平等という感覚ではなかった</p>
<p>　　　→そのため、臣民（天皇以外の国民）の権利というのは、法律で制限される部分があった</p>
<p>　　　　＝このような状態を、法律の留保と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし臣民は、法律の範囲内で所有権の不可侵、信教の自由、</p>
<p>　　　言論、出版、集会、結社の自由などが認められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・憲法が公布された時に、同時に議員法、衆議院議員選挙法、貴族院令という</p>
<p>　　法律が作られ、皇室典範が決められた</p>
<p>　　※皇室典範・・皇室に関するルールを決めた法律のことで、</p>
<p>　　　　　　　　　皇位の継承や摂政などについて決められている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※大日本帝国憲法は公布されたが、皇室典範は公布されなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・大日本帝国憲法の内容についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1259">大日本帝国憲法の内容について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
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		<title>自由民権運動について②</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1255</link>
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		<pubDate>Sun, 27 Oct 2013 22:11:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[伊藤博文]]></category>
		<category><![CDATA[国会期成同盟]]></category>
		<category><![CDATA[大隈重信]]></category>
		<category><![CDATA[明治十四年の政変]]></category>
		<category><![CDATA[欽定憲法]]></category>
		<category><![CDATA[立憲君主制]]></category>
		<category><![CDATA[自由党]]></category>
		<category><![CDATA[自由民権運動]]></category>
		<category><![CDATA[開拓使官有物払下げ事件]]></category>
		<category><![CDATA[集会条例]]></category>

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		<description><![CDATA[自由民権運動を前半と後半に分けて（今回は後半部分を）考えてみます &#160; &#160; ・自由民権運動について &#160; &#160; 　・１８７９年の終わりに行われた愛国社第３回大会の時に話し合いが行われて、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1255">自由民権運動について②</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>自由民権運動を前半と後半に分けて（今回は後半部分を）考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・自由民権運動について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７９年の終わりに行われた愛国社第３回大会の時に話し合いが行われて、</p>
<p>　　１８８０年の第４回の時に愛国社を国会期成同盟という名前に変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国会期成同盟に参加したそれぞれの政社の代表が署名した天皇宛ての</p>
<p>　　国会開設請願書という願書を太政官や元老院に出そうとした</p>
<p>　　→政府は、国会開設請願書を認めないと同時に、４月に集会条例という条例を決めて、</p>
<p>　　　政社の活動を制限した</p>
<p>　　　※集会条例・・自由民権運動を抑えるために、集会や結社の自由を抑える条例のこと</p>
<p>　　　　政社・・民権運動の政治団体のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国会期成同盟は、１８８０年１１月に第２回大会を東京で開いた</p>
<p>　　→しかし、国会期成同盟での自由民権運動の方針が決まらなかった</p>
<p>　　　＝そのため、１８８１年１０月にそれぞれが憲法の原案を持って集まることだけを</p>
<p>　　　　決めて終了してしまった</p>
<p>　　　　※終了した後に、一部の人達は集まって、自由主義政党を作ることを</p>
<p>　　　　　決めている人達もいた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・自由主義政党を作ることを決めていた人達によって、１８８１年に１０月に、板垣退助を</p>
<p>　　トップに置いた自由党という党が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７８年に政府の最高実力者だった内務卿の大久保利通という人が暗殺される</p>
<p>　　という出来事が起きた</p>
<p>　　→大久保利通の暗殺後は、力のある指導者が存在せず、まとめる人がいなかったので、</p>
<p>　　　政府の中で内紛が起きた</p>
<p>　　　※大隈重信という人が、イギリスのような議院内閣制を日本にも早く取り入れるべき</p>
<p>　　　　だと考えて岩倉具視や伊藤博文と対立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政府が内紛でもめている時に、開拓使官有物払下げ事件という事件が起きた</p>
<p>　　→この事件によって、世論の政府に対する攻撃が激しくなった</p>
<p>　　　※開拓使官有物払下げ事件・・開拓使の長官だった黒田清隆という人が、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　開拓使の官有物を五代友厚という人などが関係する</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　関西貿易社に異常に安い価格で払い下げようとした</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８１年の１０月に、以下のようなことが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・世論が政府を批判する状況を、大隈重信が作ったということで、</p>
<p>　　　大隈重信が政府をクビになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・欽定憲法の基本的な方針を決めた</p>
<p>　　　※欽定憲法・・天皇が決める憲法のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　→反対に、国民の意見によって作られる憲法を、民定憲法という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・国会開設の勅諭（天皇が自分で国会の開設を決めた）が出た　</p>
<p>　　　※その時に、１８９０年までんび国会を開設することが決められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝１８８１年に起きた以上のような出来事をまとめて、明治十四年の政変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→明治十四年の政変によって、伊藤博文を中心とした薩長の藩閥政権が出来て、</p>
<p>　　　　立憲君主制（天皇が仕切るが、どう仕切るかは憲法に従うという体制）に</p>
<p>　　　　向けて準備が始まった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・民間で、以下のような様々な憲法の原案が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・交詢社という政社が「私擬憲法案」という憲法案を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・植木枝盛という人が「東洋大日本国国憲按」という憲法案を作った</p>
<p>　　　　※植木枝盛の憲法案は、立志社が作った「日本憲法見込案」という</p>
<p>　　　　　憲法案と系統が似ていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・東京近くの農村青年のグループが五日市憲法草案という憲法案を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・自由民権については、以下のようなものも含めて多くの議論が行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・中江兆民という人がルソーの「社会契約論」の一部を訳した</p>
<p>　　　　「民約訳解」という本を出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・加藤弘之という人が、「人権新説」という本で、民権派の天賦人権説を批判した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・馬場辰猪という人が「天賦人権論」を、植木枝盛が「天賦人権弁」という本を</p>
<p>　　　　書いて加藤弘之に反論した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８２年に、大隈重信をトップに置いてイギリスの議院内閣制を推奨する、</p>
<p>　　立憲改進党という党が作られた</p>
<p>　　→立憲改進党は、フランスのような自由主義を推奨して立志社や愛国社と</p>
<p>　　　系統が似ているという自由党と対立した</p>
<p>　</p>
<p>　　※自由党は農村の人々に支持され、立憲改進党は知識人や都市にいる</p>
<p>　　　実業家などに支持された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・自由党や立憲改新党などの動きに対して、政府側が福地源一郎という人を</p>
<p>　　トップに置いて立憲帝政党という保守的な党を作った</p>
<p>　　※しかし、立憲帝政党は民権派に対抗できるほどの力はなかった</p>
<p>　　　→そのため、１８８３年に立憲帝政党は無くなってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・自由民権運動の動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
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