大日本帝国憲法の内容について
大日本帝国憲法について考えてみます
・大日本帝国憲法の内容について
・大日本帝国憲法は欽定憲法だった(反対を民定憲法と言う)
※欽定憲法・・君主(天皇や王様など、その国で最も位の高い人のこと)が
決めた憲法のこと
民定憲法・・国民が決めた憲法のこと
・天皇は神聖不可侵とされて、統治権、国の方針の決定、講和や条約の締結、
文武官の任免、統帥権などは天皇大権(天皇が使えた権利のこと)だった
※特に、統帥権(軍の最高指揮権のこと)に関しては議会や内閣が
意見することができなかった
=そのため統帥権は、統帥権の独立と言われた
※政府は、1886年に帝国大学令という法律を作り、大学を官吏養成機関とした
→さらに、1887年に文官高等試験の制という制度を作って、
官僚制度の基礎を作っていった
※ただし、予算案は政府の同意が無いのに議会が勝手に削減することができなかった
→そのため、予算案が決まらなかった場合は、
前年度の予算案をそのまま使うことが出来た
・天皇主権のもとに、立法、司法、行政の三権が分立している状態で、
それぞれが天皇を補佐することになった
※ただし、三権と比べると政府の権限は強かった
→そのため、国務大臣は個別に、天皇に対してだけ責任を負うことになった
・当時の議会を帝国議会と言い、帝国議会はほぼ同じような権限を持つ
衆議院と貴族院の二院制だった
※ただし、貴族院には華族や天皇に選ばれた議員などがいたため、
貴族院によって衆議院の力が抑えつけられていた
→しかし、議会の同意がない場合は予算や法律は成立しなかった
=そのため、政府は議会(特に衆議院)と調整することを意識していた
※この結果、政党の影響力が大きくなっていったと言われている
・大日本帝国憲法では、基本的人権や社会契約説などの考え方はなく、
「臣民の権利」という考え方だった
※臣民の権利は、基本的人権のように生まれながらに平等という感覚ではなかった
→そのため、臣民(天皇以外の国民)の権利というのは、法律で制限される部分があった
=このような状態を、法律の留保と呼んだ
※ただし臣民は、法律の範囲内で所有権の不可侵、信教の自由、
言論、出版、集会、結社の自由などが認められた
・憲法が公布された時に、同時に議員法、衆議院議員選挙法、貴族院令という
法律が作られ、皇室典範が決められた
※皇室典範・・皇室に関するルールを決めた法律のことで、
皇位の継承や摂政などについて決められている
※大日本帝国憲法は公布されたが、皇室典範は公布されなかった
ポイント
・大日本帝国憲法の内容についておさえる
このあたりが今回のポイントです