日露戦争について
日露戦争について考えてみます
・日露戦争について
・1904年に、日本とロシアの交渉は決裂した
→そこで、1904年2月に日本とロシアはお互いに宣戦布告した
=この宣戦布告によって日露戦争が始まった
・日露戦争では、ロシアの満州の占拠に反対するアメリカとイギリスの
経済的な援助を日本が受けていたため、日本が有利な状況で進んだ
→日露戦争はどのような内容だったのか
・1905年の初めに、半年以上の時間をかけて大量の兵を失いつつも、
旅順を攻め落とした
・1905年の3月に奉天会戦という戦いが起きて、ギリギリ勝利した
・1905年の5月に日本海海戦という戦いが起きて、
日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を全滅させた
・日本は一応勝利したものの、日露戦争が長引いたことによる
日本のダメージは大きかった
※約17億円の軍事費のうちの約13億円は借金でまかなっていた
→そのため、国民の負担と生活が限界に近い状況だった
・一方で、ロシアは国内で革命運動が起きたため、戦争を続けることが困難になった
→そこで、当時のアメリカ大統領だったセオドア=ローズヴェルトという人が仲介して、
1905年に、アメリカのポーツマスという場所で、
日本の小村寿太郎という人とロシアのヴィッテという人が
ポーツマス条約という講和条約に調印した
※ポーツマス条約の内容
・ロシアは、日本が韓国を指揮・監督する権利を全面的に認める
・清にある旅順と大連を一定期間借りる権利と、
長春という場所より南側の鉄道とその周りの権利を日本に譲る
・北緯50度より南側のサハリン(樺太)とその周りの島々を日本に譲る
・沿海州とカムチャッカという場所で漁業をする権利を日本に認める
※日本国民は、苦しい生活と増税に耐えて戦争を行ってきたものの、
ポーツマス条約で賠償金が全く取れないことについて怒りが爆発した
→そのため、ポーツマス条約に調印した日に、講和反対国民大会というものが開かれ、
暴動が起きた
=この出来事を、日比谷焼き打ち事件という
ポイント
・日露戦争の内容について押さえる
このあたりが今回のポイントです