枢軸の形成について
枢軸の形成について考えてみます
・枢軸の形成について
・当時のイタリアは、経済の土台が不安定だったため、世界恐慌によって
すぐイタリア経済がダメになった
→そこでムッソリーニは、外国への侵略によって、現状を脱出しようとした
※そのためイタリアは、1935年にエチオピアに侵攻し、
1936年に全土を征服した
→イタリアの侵略に対して、国際連盟はイタリアを侵略国と認め、
連盟最初の経済制裁を実行した
※しかし、内容は不十分だったため、国際連盟の権威がそこなわれた
→イタリアはこの時に、ナチス=ドイツに近づいた
=その結果、1936年にベルリン=ローマ枢軸というのを結成した
・当時のスペインでは、1931年に王政が倒れた後に、政治が混乱状態だった
・1936年の選挙で、人民戦線派が勝利して、政府を組織した
→すると、軍人のフランコという人が旧王党派や地主層などの保守派の支持を得て
反乱を起こした
→この動きに対して、イギリスとフランスは関わらない立場を取った
※しかし、イタリアが地中海地域の支配を狙っていたため、ナチス=ドイツと一緒に
フランコ側を支持した
→政府側は、ソ連の援助や、欧米の社会主義者や知識人が集まった国際義勇軍の
支援があった
※国際義勇軍には、アメリカのヘミングウェーやイギリスのオーウェルなどの
有名な作家が参加し、それぞれの人が内戦をえがいた作品を残している
→内戦は、小規模の国際紛争になった
=結果は、フランコ側が1939年にマドリードを陥落させて勝利した
・人民戦線の結成など国際共産主義運動の動きに対抗して、1936年日本とドイツが
防共協定を結んだ
→防共協定は、1937年にイタリアも参加して、三国防共協定に拡大された
・イタリアは、日本とドイツのように、1937年に国際連盟を脱退した
=上のような動きを受けて、日本、ドイツ、イタリアが
ヴェルサイユ体制とワシントン体制に挑戦する形で三国枢軸を作っていった
ポイント
・枢軸が誕生する背景についておさえる
このあたりが今回のポイントです