江戸時代の寺社と宗教について
江戸時代の寺社と宗教について考えてみます
・当時の寺社について
・皇子や摂家の子弟などが、仏教諸宗の本山だった門跡寺院という寺に入る
という出来事が起きた
→徳川幕府は、この動きを見て、門跡も朝廷の一員だと考えるようになった
=そこで、徳川幕府は門跡をコントロールするようになっていった
・徳川幕府が、寺院法度という法律を作った
→この中でも、本末制度という制度が重視された
※本末制度・・宗派ごとに本山と本寺の地位を保障して、末寺を作らせることで、
ピラミッド型の管理をする制度のこと
※本末制度の時に、仏教諸宗派以外で、明の僧だった隠元隆琦という人が
黄檗宗という宗派を伝えた
・1665年に徳川幕府は、宗派に関係なく、仏教の僧侶全てを
まとめてコントロールするために、諸宗寺院法度という法律を作った
・1665年に神社と神主をコントロールするために、
諸社禰宜神主法度という法律を作った
→この法律に関しては、公家の吉田家が中心になってコントロールした
・徳川幕府の宗教に対する動きについて
・徳川幕府は、キリスト教を無くすことを考えて、以下のようなことを行った
→・絵踏を積極的に行った
※絵踏・・キリスト系の絵を用いてキリシタンを探すという手段のこと
・寺請制度を作り、宗門改めを行った
※寺請制度・・寺院が檀家だということを証明する制度のこと
檀家・・どこかの寺に所属して、寺を維持する一般の家のこと
宗門改め・・庶民が信仰している宗教を調べる制度のこと
・キリスト教や日蓮宗不受不施派を信仰させないために、寺檀制度という制度を作った
※日蓮宗不受不施派・・法華を信じない人は無視するという宗派で
幕府よりも宗教が強いという信仰だった
寺檀制度・・全員が檀那寺の檀家になって、寺請の証明をする制度のこと
檀那寺・・自分の家が信仰して檀家になっている寺のこと
※しかし、仏教以外の宗教が全て禁止されたわけではなかった
→神道、陰陽道、修験道などは幕府に認められることもあった
=人々は、檀那寺ではカバーできない範囲(占いや祈祷など)を
補ってもらうために、陰陽師などを頼った
ポイント
・当時の朝廷と紫衣事件を押さえる
・当時の寺社と宗教への政策を押さえる
このあたりが今回のポイントです