徳川家綱の幕府の政治について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 17:39      
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4代将軍徳川家光綱の幕府の政治について考えてみます

 

 

・徳川家綱の政治について

 

 

 ・1651年4月に、3代将軍徳川家光が死んでしまった

  →そこで、徳川家光の子どもの徳川家綱が4代将軍に11歳でなった

 

   ※徳川家綱が将軍になった時は幕府の仕組みが安定していて、

    会津藩主で叔父だった保科正之という人や様々な譜代大名が

    徳川家綱を支えてくれたので、当時の社会が安定していた

 

  →このような状況で、重要だとして考えられたのが、牢人やかぶき者への対策だった

   ※牢人・・君主の家を自分から去ったり、失ったりした武士のこと

        →牢人は、戦乱を期待していた

    かぶき者・・社会の秩序からはずれている人達のこと

 

 

 

 ・1651年7月に、兵学者だった由井(比)正雪という人が乱を起こした

  =この乱のことを、由井(比)正雪の乱(または、慶安の変)という

 

   →徳川幕府は、この乱を受けて、以下のようなことを行った

    ・大名の末期養子の禁止を緩和して、牢人が増えるのを防いだ

     ※末期養子の禁止・・跡継ぎのいない大名が死ぬ時に、

               急に相続人を願って申し出るのを禁止すること

               →緩和によって、当時は50歳未満の大名に

                末期養子が認められた

    ・江戸に住む牢人とかぶき者を取り締まることを強化した

        

 

 

 ・1663年に、徳川家綱が代がかわったことによる武家諸法度を出して、

  殉死の禁止を定めた

   

   ※殉死の禁止・・王や主君が死んだ時に、家臣や部下などが後追いをして

           自発的に死ぬことを禁止すること

    →殉死の禁止によって、主君の跡継ぎに従うことが義務になった

     ※この義務によって、主人の家系は代々主人であり、主人に従う家系は

      代々主人に従うという関係が固定した

      =そのため、下剋上ということが起こらなくなった

 

 

 

 ・1664年に、全ての大名に領知宛行状というものを作ることと、幕府の領地を

  検地することを行った

  ※領知宛行状・・主君から家臣に領知について出された文書のこと

          →これを出すことで、将軍の権力の強さを再確認させた

 

 

 

 

 ・藩では、藩の政治を安定させることと、領内の経済を発展させることを

  考えるようになった

  ※なぜ、上のようなことを考えるようになったのか

   →・平和な時代が続いていたので、軍役に人を回すという負担が減ったから

    ・寛永の飢饉という飢饉が起きたから

 

 

  →そこで、大名たちは以下のようなことを考えた

   

   ・有力な家臣を補佐役に回して、領内の支配の仕組みを整備することで、

    藩主の権力を高めた

   

   ・治水工事や新田開発などを行うことで、農業の生産を高めて、

    藩の財政を安定させようとした

    ※しかし、参勤交代や手伝普請などによって支出が増えていたため、

     藩の財政は不安定だった 

     ・手伝普請・・建築や土木などの工事を手伝うこと

 

 

   

   ・いくつかの藩で、藩主が儒者を呼んできて、藩の政治を全く新しいものにしようとした

    ※代表的なものに、岡山の藩主の池田光政、会津の藩主の保科正之、

     水戸の藩主の徳川光圀、加賀の藩主の前田綱紀などの人達がいる

 

     →それぞれの藩主がどのようなことを行ったのか

      

      ・池田光政・・熊沢蕃山という人を呼んできて、藩の学校として花畑教場を、

             郷の学校として閑谷学校という施設を作った

      

      ・保科正之・・山崎闇斎という人から朱子学を勉強して、多くの本を書いた

      

      ・徳川光圀・・江戸に彰考館という施設を作り、「大日本史」という本の

             編纂を行った

             また、明から逃げてきた朱舜水という人に学問に関する事柄を

             担当させた

      

      ・前田綱紀・・朱子学者の木下順庵という人を呼んできて、

             学問を発展させようとした

 

 

 

ポイント

・徳川家綱の動きを押さえる

・藩の動きを押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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