四民平等と秩禄について
四民平等と秩禄について考えてみます
・四民平等について
・版籍奉還によって、藩主と藩士という身分秩序が無くなった
→そこで、藩主と公家を華族という身分に、藩士や元々幕府の家来だった人を
士族という身分にした
・士農工商のうち、農工商の身分である百姓や町人は平民という身分になった
→平民は、以下のことが許可されるようになった
・苗字を持つこと
・華族や士族と結婚すること
・移住や職業選択の自由を持つこと
=このような変化によって、士農工商の社会から、四民平等の社会になった
※1871年に、えた・ひにんなどの呼び方が無くなり、表面上は平民と同じ扱いになった
・1872年に、華族、士族、平民という新しい戸籍の編集が行われた
=この戸籍を、壬申戸籍という
→以上のような身分制度の改革によって、同じ義務を持った国民というのが
生まれるようになった
※ただし、これらは男子に限定された話で、女子はまだ差別をされていた
・秩禄について
・政府は、四民平等にしたものの、華族や士族に対して、以下のようなものを与えていた
・額を減らしつつも、家禄を与えていた
・王政復古に貢献した人に、賞典禄を与えていた
=家禄と賞典録をまとめて秩禄という
※秩禄は、国の全ての支出の30%を占めていた
・そこで、政府は以下のようなことを行った
・1873年に希望者に対して、秩禄の支給をやめる代わりに、
一時的に資金を支給することにした
=この制度のことを、秩禄奉還の法という
・1876年に秩禄を受け取っている全ての人に、年間に受け取る額の5~14年分の
額の金禄公債証書という証書を与えた
※金禄公債証書・・公債(借金)を証明したもののこと
→以上のようにすることで、秩禄を全廃した
=このように、秩禄を全廃することを、秩禄処分という
・1876年に廃刀令という法律が作られた
※廃刀令・・士族や庶民が刀を持つことを禁止した法律のこと
=秩禄処分と廃刀令によって、士族の特権が全て無くなってしまった
・元々秩禄が少なかった士族は、秩禄処分の時に受け取った分も少なかった
→そのため、官吏、教員、巡査などになることができなかった多くの士族は生活に困った
※士族の中には、公債を使って、商売などに初めて挑戦して失敗した人も多かった
=これを、「士族の商法」という
→苦しんでいた士族に対して、政府は資金の貸付けや北海道を開拓する事業などを行わせたりした
=このように、貧乏な士族に仕事や貸し付けを行う事を、士族授産という
※ただし、士族授産で成功した例は少なかった
ポイント
・四民平等について押さえる
・秩禄について押さえる
このあたりが今回のポイントです