明治時代の文化・思想・宗教について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/28 11:04      
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明治時代の文化・思想・信教について考えてみます

 

 

・明治時代の文化について

 

 

 ・明治時代は、「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」などのスローガンを掲げていた

  →このスローガンによって、西洋の文化を取り入れて日本を近代化にすることを考えていた

   ※しかし、日本人の精神の変化はもともとゆっくりだったので、

    農村などでは西洋文化が突然入ってきてもついていくことができず、近代化が遅れた

    =そのため、日本と西洋の文化が混ざらずに2つ存在する、という状況が日本で起きた

 

 

 ・明治初期は日本政府が近代化を進めていこうとした

  →しかし、明治中期からは、交通や通信の発達、出版や教育の普及などによって、

   国民が自分たちで近代化にする動きというのが出てきた

 

 

 

 

 

・明治時代の思想について

 

 

 ・文明開化を目指した明治時代の初期は啓蒙主義や西洋の思想などが入ってきて、

  自由民権運動に受け継がれた

  ※啓蒙主義・・正しい知識を手に入れて、合理的な考え方をしていくべき

         だという思想のこと

 

 ・明治10年代の後半(1880年代前半)の朝鮮の問題をきっかけに、

  自由民権運動の人たちの中で、国権論という考え方をする人たちが出てきた

  ※国権論・・国家の権力を高めることで、人々の権利や自由を保つことができる

        という考え方のこと

 

 →上のような、欧化主義と国権論の考え方が出てきて、対立するようになった

 →その時に、条約改正という問題をきっかけにさらに対立が深まっていった

 

  =そのため、平民的欧化主義を提唱する徳富蘇峰という人と、

   近代的民族主義を提唱する三宅雪嶺や陸羯南という人たち

   などとの間で議論が行われるようになった

 

  ※どのような議論が行われていたのか

   

   ・徳富蘇峰は民友社という団体を作って、「国民之友」という雑誌を作った

    →この雑誌で、政府が条約改正のために行った欧化政策を

     貴族的欧化主義だとして批判した

    →その代わり、人々の生活が向上したり、自由が拡大したりする欧化主義を

     取るべきだとした

     =この考え方を、平民的欧化主義という

   

   ・一方で三宅雪嶺などは政教社という団体を作って、

   「日本人」という雑誌を、陸羯南などは「日本」という新聞を作った

    →三宅雪嶺などは、平民的欧化主義と同じように、

     人々がより幸せになることを意識した

    →その代わり、より幸せになる前提として、国家の独立や国民性を重視すること

     などが必要だと考えた

     =この考え方を近代的民族主義という

 

 

 

 ・日清戦争の時に、思想を提唱する人達の考え方が変わった

  

  ※どのように変わったのか

   

   ・徳富蘇峰は、日清戦争が始まった瞬間に対外膨張論という考え方を提唱した

    ※対外膨張論・・自分たちの領土や勢いを拡大していくべきという考え方のこと

 

   ・高山樗牛という人は、「太陽」という雑誌で日本主義を提唱して、

    日本が大陸に進出することをすすめた

    ※日本主義・・日本に昔からある思想を重視しようとする考え方のこと

 

   ・陸羯南は、最初は日本が中国分割に参加することを否定した

    →しかし、ロシアが満州を占領したときに、対露強硬論に考え方を変えた

     ※対露強硬論・・ロシアと友好的にはならず、強気の態度で接するべき

             という考え方のこと

 

   →上のような考え方に対して、社会主義者と一部のキリスト教徒は反対した

    ※しかし、対外膨張論の支持にもなる国家主義は、

     日露戦争の前まで当時の思想の中心になった

 

 

 

 ・日露戦争の時に、また人々の考えが変わった

 

  ※どのように変わったのか

 

   ・日露戦争で勝利して、日本が強い国の一つとして見られるようになると

    国民の中で明治維新からの国家の目標やスローガンは達成されたという

    考え方を持つ人が出てくるようになった

    →この考え方によって、国家主義に対して疑問を持つ人が出てくるようになった

 

   ・農村では、国家の利益よりも、国内の地方の利益を重視する考え方が出てきた

 

   ・都市では、国家や政治を考えないで、自分たちの利益を求める考え方が出てきた

    

   ・「人生とは何か」という疑問を持ち、その疑問に答えられないで

    悩み苦しむ青年の人々が出てきた

 

  →このような考え方が出てきたことに対して、政府は1908年に

   戊申詔書というものを出した

   ※戊申詔書・・仕事を一生懸命やって無駄なお金を使わないようにすることと、

          天皇を尊重することを当時の国民に求めた詔書のこと

    =戊申詔書を出すことで、強い国の一つとしての日本を支えるための

     国民道徳を高めようとした

 

 

 

 

 

・明治時代の宗教について

 

 

 ・当時は、今まで日本にあった神道や仏教と、西洋から入ってきたキリスト教の2つで

  対立や競争を行った

 

 

 ・明治初年に政府の公認を受けていた、民間の教派神道という神道が

  庶民の間で広まっていった

 

 

 ・仏教は、廃仏毀釈によって一度は危ない状態になったが、島地黙雷という人などの

  努力によって、神道から仏教を切り離す動きになったため、仏教が立ち直った

  ※廃仏毀釈・・仏教を無くしていこうとする行動のこと

 

 

 ・明治初年にクラークとジェーンズという人達などの外国人教師が来た

  ※クラークは札幌農学校という学校で、ジェーンズは熊本洋学校という学校で教えていた

   →クラークやジェームズなどの影響があって、青年の知識人の間で

    キリスト教の考え方が広がっていった

 

  ※内村鑑三、新渡戸稲造、海老名弾正という人達などは、キリスト教や

   西洋近代思想を広めていく人達として活躍するようになった

 

 

 ・キリスト教会は、布教活動をしながら、人道主義という考え方によって

  教育や福祉に関する活動、廃娼運動などを行い、成果を出していった

  →しかし、日本国内で国家主義の考え方が広まっていったため、

   キリスト教会は様々な圧力をかけられるようになった

   ※廃娼運動・・公娼制度(売春婦を政府などの公が認める制度)を

          廃止するための運動のこと

 

 

 

ポイント

・明治時代の文化の概要を押さえる

・当時の思想について押さえる

・当時の宗教について押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 



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