世界恐慌後の日本と世界の様子について
世界恐慌後の日本と世界の様子について考えてみます
・世界恐慌後の日本と世界の様子について
・1931年12月に、立憲政友会の犬養毅内閣が誕生した
→犬養毅首相は、大蔵大臣に高橋是清という人を使った
・高橋是清は、すぐに金輸出再禁止を行い、円の金兌換を停止した
→日本はこの政策によって、金本位制を終了して管理通貨制度に移った
※管理通貨制度・・金本位制を辞め、通貨(不換紙幣)を、
金の量に関係なく作ることができる制度のこと
・金輸出再禁止によって、円の相場が大きく下落した(=円安)
→そのため、様々な産業が大量に輸出をするようになった
※中でも綿織物の輸出の拡大が著しかったため、綿織物が世界第1位の規模にまで成長した
・世界恐慌の後、世界情勢が大きく変わり、多くの国が世界恐慌を抜け出そうとして
苦しんでいた
※各国はどのような政策を取ったのか
・アメリカ
→1933年に就任したフランクリン=ローズヴェルトという大統領が、
ニューディール政策(国のお金を使って景気の回復を目指す政策)をとって、
世界恐慌を切り抜けた
・イタリアとドイツ
→イタリアは、ムッソリーニという人がファシスト党という政党を使って
一党独裁体制(ファシズム)を作った
→ドイツは、ヒトラーという人がナチ党という政党を使って
一党独裁体制(ナチズム)を作った
・ソ連
→スターリンという人が独裁体制を作り、計画経済を行うことで、
ソ連独自の国家を中心とした経済の体制を作った
・イギリス
→イギリスと植民地の間でだけ積極的に貿易を行うという
ブロック経済(保護貿易)の体制を作った
・世界の国々は、円安の状況で日本が自分の植民地の国に輸出を拡大することは、
ソーシャル=ダンピングだということで批判した
※ソーシャル=ダンピング・・低賃金や長時間労働などにして、
低コストで作った商品を海外で売ること
・日本は、綿花、石油、機械などを輸入していたが、
輸入はアメリカに頼るようになっていった
・輸出が増えたこと、赤字国債を出して軍事費や農村救済費などに
お金を大量に投資したことなどが影響して産業界が活気づくようになっていった
→日本は、1933年ころに世界恐慌以前の生産水準を取り戻すまでに復活してきた
・世界恐慌からの脱出の時には、様々な産業が以下のように盛り上がりを見せた
→・軍事面の需要と保護貿易が影響して、重化学工業が著しく成長した
・金属・機械・化学工業の合計の生産額が1933年に繊維工業を超え、
1938年に工業生産額の半分を占めた
・産業の中心が、軽工業から重化学工業にシフトしていった
・鉄鋼業の面では、八幡製鉄所を中心にして企業どうしのつながりが出てきた
→そのため、国策のための会社として日本製鉄社が誕生して、
鋼材を自給することが出来るようになった
・自動車工業と化学工業の面で、日産や日窒などの新興財閥と呼ばれる財閥が出てきた
→新興財閥は、軍と手を組んで、満州や朝鮮などにも進出するようになった
→今まであった財閥は、重化学工業に力を入れるようになった
※日産と日窒について
・鮎川義介という人が、日産自動車や日立製作所などによって出来ている
日産コンツェルンを作った
→日産コンツェルンは満州に進出して、満州の重化学工業を独占的に支配した
・野口遵という人が、日本窒素肥料会社という会社を基盤にして、
朝鮮の北部で大水力発電所と化学コンビナートを作ることで、
日窒コンツェルンを作った
・当時は農業恐慌だったので、農民の中で、農民の救済をお願いする運動が増えてきた
→そこで政府は、時局匡救事業(その時の情勢を良くするための事業)ということで、
公共土木事業を行って、農民が日雇い労働者として働くスタイルで現金収入を得る、
という方法を用意した
・さらに、政府は農山漁村経済構成運動を始めた
→この時に、産業組合を増やさせることなどを行って、農民を結束させようとした
※政府は、農民や漁民が自力で活発になることを期待していた
ポイント
・世界恐慌の後の日本と世界の様子を押さえる
このあたりが今回のポイントです