高度経済成長の弊害と問題点について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/30 02:44      
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高度経済成長の弊害と問題点について考えてみます

 

 

・高度経済成長の弊害について

 

 ・都市部では、人が集まりすぎてしまったため、交通渋滞や大気汚染、騒音などの問題が生じ、

  住宅や病院の不足なども問題になった

  →交通については、交通事故も急増し、毎年の事故死者数は1万人を前後するくらい

   にまでなってしまった

 

 ・一方で、農村部では多くの人が都市部に移動してしまったことが影響して、

  農村の人々のつながりと共同社会としての機能を衰退させた

  ※そのため、お米だけをギリギリ例外として、日本の食糧自給率が急激に低下した

 

 

 ・人権や公害問題の深刻さがはっきりしてきてしまった

 

  →人権について

   ・第二次世界大戦後の1946年に、全国水平社を引き継ぐ形で

    部落差別解放全国委員会という団体が作られた

    ※部落差別解放全国委員会は1955年に部落差別解放同盟と名前が変わった

   ・部落差別解放同盟があっても、部落差別の解決は出来なかった

    →そこで1965年に同和対策審議会に基づいて、

     1969年に同和対策事業特別措置法が作られた

    →結局、1982年に出来た地域改善対策特別措置法という法律に引き継がれた

   ・1987年からは財政上の特別措置に関する法律(地域財特法)という法律が作られた

 

  →公害問題について

   ・企業が汚染物質を長期間出して環境を破壊する一方で、政府は経済成長を

    優先していたため、政府は公害対策に関する政策を行わなかった

    =そのため、公害による病気に苦しめられた被害者たちは長い間放置されていた

   ・1960年代の後半に、被害者の抗議が組織になって

    公害反対の世論と住民運動が起きた

    →この運動によって、四大公害訴訟が次々と始まった

 

    ※四大公害訴訟について

     ・阿賀野川流域の新潟水俣病、富山県神通川流域のイタイイタイ病、

      四日市ぜんそく、熊本県の水俣病の被害に関する裁判をまとめて、

      四大公害訴訟という

      →水俣病とイタイイタイ病はカドミウムや有機水銀などの有機物質を含む

       工場の廃液の垂れ流しが、

       四日市ぜんそくは石油化学コンビナートによる大気汚染が原因で引き起こされた

 

   ・公害に対する住民の動きが活発になってきたことで、政府が少しずつ

    公害対策を始めるようになった

    →・1957年に公害対策基本法が作られた

     ・1970年に公害対策基本法が改正された

     ・1971年に環境庁が作られた

     ・1973年に四大公害訴訟は、全て住民側の勝利で終わった

 

 

 ・高度成長の弊害に反発する住民によって、大都市に革新自治体を成立させた

  ※革新自治体・・革新の人が推薦したり、首長になっていたりした自治体のこと

   →1967年に美濃部亮吉という人が東京都知事に当選したことをはじめとして、

    1970年代初めに三大都市圏(東京・京都・大阪)の知事と多くの大都市の市長は

    選挙によって革新系の人が就いていた

    (革新首長と呼ぶこともある)

    =このような革新自治体は、厳しい公害規制条例の制定や老人医療無料化など、

     福祉政策の面で大きな成果を出した

 

 

 

ポイント    

・高度経済成長の弊害(都市・農村問題、人権・公害問題、革新自治体)についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 



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