日本の経済大国への成長について
日本の経済大国への成長について考えてみます
・日本の経済成長について
・第一次石油危機の後から世界経済が停滞する状況の中で、日本は早い段階で
不況から脱出することが出来た
→さらに、1979年の第二次石油危機も乗り切って、安定成長の流れを作ることができた
※第二次石油危機・・イラン革命という革命によって、原油価格が
約3倍に引き上げられた出来事のこと
・当時の様々な様子について
・当時の日本の企業と労働者は、以下のようなことを行った
→・減量経営を意識して、コストの削減を目指した
※減量経営・・省エネルギーや人員削減、パート労働などへの切り替えなどで
成長しようとする経営のこと
・コンピュータや産業用ロボットなどME(マイクロ・エレクトロニクス)技術を利用して
工場やオフィスなどの自動化を進めていった
・民間の大企業で働く労働者たちの中で、賃上げを自粛するムードが広がってきた
→一方で、民間労働組合主導の労働戦線統一が進められ、
1987年に労使協調的な会として全日本民間労働組合連合会が発足した
・1989年に、総評は解散して全日本民間労働組合連合会に合流して、
日本労働組合総連合会(連合)となった
・当時の産業では以下のようなことがあった
→・鉄鋼、石油化学、造船などの部門で停滞が激しかった
・自動車や電気機械、半導体やIC(集積回路)、コンピュータなどの
ハイテクの分野が輸出を中心にして急速に生産を伸ばしてった
※この時に、日本の貿易黒字は大幅に拡大したため、欧米の国々との間に
貿易摩擦が発生し、為替相場が円高の動きに向かった
※産業構造の高度化はさらに進み、1970年~1990年の20年間で
第一次産業の就業人口の比重は半減して1割を割り込み、
第二次産業人口の割合が横ばいになった
→一方で、サービス業が中心の第三次産業の比重が5割から6割へと
高まっていった
=この動きを、経済のサービス化という
・当時の経済の様子として、以下のようなことが挙げられた
→・世界のGNP(国民総生産)総計に占める日本の比重は、1955年は2%超え
くらいだったが、1970年に約6%、1980年に約10%になった
→そのため、日本は「経済大国」として国際的な地位が飛躍的に高まった
※そのため、発展途上国に対する政府開発援助(ODA)の額が
1980年代に世界最大レベルになった
※1980年代半ば以降は、円高の影響もあり、日本の1人あたりの
国民所得(ドル表示は)はアメリカを追い抜き、貿易黒字が貯まったおかげで
世界最大の債権国になった
・当時の交通の様子として以下のような動きがあった
→・中国自動車道、東北自動車道、関越自動車道など、高速道路網の整備が進んだ
・山陽新幹線、東北新幹線、上越新幹線が作られた
・1988年に青函トンネルと瀬戸大橋の開通が起きた
→この結果、北海道、本州、四国、九州が陸路で結ばれることになった
・新東京国際空港(成田空港)、関西空港が開港した
・1972年に年間海外渡航者数は100万人を超えた
→1990年には1000万人を超えた
ポイント
・日本の経済成長についておさえる
・経済成長による当時の様々な様子(日本の企業と労働者、産業、経済、交通など)をおさえる
このあたりが今回のポイントです