カントについて -動機説とドイツ観念論-
カントについて考えてみます
・カントについて
・「純粋理性批判」「実践理性批判」などを書いた
・カントは、ベーコンの経験論とデカルトの合理論を融合し、科学的な考え方を
哲学のように捉えると同時に、そのような考え方に限界があることが分かった
・人間の理性の能力を徹底的に研究し、人間の能力の根本を限界を発見した
→この2つから、カントは独断を避け、学問を基礎に置くべきだと考えた
=このような考え方を批判哲学という
・カントの考え方
・知識とは、素材とそれを正しい方向へ導くために使われる形式(カテゴリー)を
総合したときに成り立つものだと考えた
※・素材・・経験でしか得られないもの
・形式・・経験以前に、人間の理性に元々備わっていて、素材を理解するためのもの
→上のことから、科学的な知識は、受動的に受け取るのではなく、
能動的に働きかけることが大切だと考えた
※カントは、能動的に働きかける良い例として、科学者が行う実験を挙げている
→以上のように、自分であらかじめ仮説を立てて、自然に問いかけ、
自然に問いかけることが重要だと考えた
=このような考え方を、コペルニクス的転回と言う
※また、カントは科学的知識は、扱う分野において限界があると考えた
・理論理性(科学的知識)は、経験できるものに限られる
・実践理性(道徳)は、神や自由や魂など、経験を超えたものを扱う
→理論理性の分野で、実践理性の範囲を扱うことはできないと考えた
・カントが考える「自由」について
・カントは、「自由」は人間が自分から積極的に求めるもので、
自由が哲学の最も根本的なテーマだと考えた
→自由を根本に置いた人は、カント以外に、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどが
代表的であり、このような考え方をドイツ観念論と言う
※特にカントは、自律を大切にして、人格の尊厳を重要だと考えた
・カントは、自由を2つの面から考えた
①周りの様々な縛りから離れることによって得られる自由
②実践理性を土台に、自分の考えを自分で決める、という意志の自由
=これを「自律」と言う
※自律は、自分の実践理性だけに従って行動し、自分の道徳法則(道徳律)に
意欲的に従う心の持ち方のことを指し、道徳法則に従い、
他のものに従わないことで、初めて自分が自由な存在だと知ることができる
※逆に、他の何かに従うことを、他律と言う
・道徳法則について
・カントは、仮言命法と定言命法の2つを考えた
・仮言命法・・「もし○○なら××しよう」というような条件付きの命令のこと
→他人を無視して、自分の欲求を満たそうとする思いが
表れていると考えた
・定言命法・・「××することで○○になりたい」というような無条件の命令のこと
→こちらが大切で、定言命法はいつでも、どこでも、誰にでも
当てはまると考えた
・カントは、定言命法に対して
「汝の意志の格率が、つねに同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」
と考えた
※汝の意志の格率・・主観的な個人の行動の基準という意味
・カントは、道徳法則を尊敬する気持ちだけを動機として、
その命令に従うことを義務と名づけた
→義務にもとづく行為だけに道徳的な価値(道徳性)があると考えた
※しかし、傾向性(同情による親切な行為や習慣となっている行動など)に
道徳的価値はないと考えた
・カントは適法性と道徳性を区別した
→どういうことか・・
・例えば、商売繁盛のための商売は、「義務の中で行っている」(適法性)が、
「義務を土台とした行動」ではないので、道徳的価値(道徳性)に欠けると考えた
→以上のことから、カントは・・
・行為の結果よりも、行為の動機が大切だと考えた=動機説
・動機は、無条件に善いことだと考えた=善意志
・カントが考える「人格」について
・カントが考える「人格」とは・・
→人間を自律的な自由意志の主体として捉え、
道徳の中心にあるような人間を人格と名づけた
・カントは、
「汝の人格や他のあらゆる人の人格のうちにある人間性を、
いつも同時に目的としてあつかい、けっして単に手段としてのみ
あつかわないように行為せよ」
と考えた
→どういうことか・・
・人間は、
「~のために人間を使う」というように、何かしらの手段のために使われるのではなく、
「人間のために~が努力する」というように、人間を究極の価値(目的)として
尊重されるべきだと考えた
=このような考え方を人格主義という
・カントは、人格主義の立場から、
目的の王国(お互いに全ての人の人格を目的として尊重しあう理想の社会のこと)が
重要と考え、目的の王国の実現のために、戦争が無い永久平和が必要であると考えた