実存主義について② -ヤスパース・ハイデッガー・サルトル-
実存主義について、ヤスパース、ハイデッガー、サルトルを中心に考えてみます
※そもそも実存主義とは・・
・産業革命以降、技術革新や合理化などが起き、豊かで便利な生活ができるようになった
その反面、人間が社会の中で、社会を回すための歯車として、まるで機械のように行動し、
人間的な部分が失われた
→このような問題は個人の心の問題であり、各自が主体性を持つことによって
人間的な部分を取り戻すことを目指したのが実存主義だと言われる
※実存主義には様々な考え方があるが、自分で問題を解決しようとする意識がある点では
共通している
・ヤスパースについて
※第一次世界大戦後のヨーロッパは、キルケゴールやニーチェの考えていた不安やニヒリズムが
実現したため、実存主義が注目されるようになり、
その中でヤスパースやハイデッガーという人達が出てきたという背景がある
・ヤスパースは、ありきたりな日常生活から、元々の自己にめざめた存在(実存)に
変わるために、人間に必要なことは、「限界状況」にぶつかることだと考えた
・限界状況とは・・どれだけ科学技術が発達しても、どうしても変えることができない状況
(死、苦しみ、争いなど)にぶつかること
※ヤスパースは、この限界状況にぶつかり、
挫折をすることが大切だと考えた
→挫折を味わうことで、人間を超えたあるもの(超越者)を感じることが
できるようになり、実存に目覚めると考えた
※限界状況は、人間を孤独にさせることで、本当に深い他人との関わりが
欲しくなるようにさせると考えた
→だから、孤独な人がお互いにお互いの根本について質問しあうことができると考えた
=このような状況をヤスパースは「実存的な交わり」であると考えた
・ハイデッガーについて
・「存在と時間」という本を書いた
・ハイデッガーは、生きることや死ぬこと、生活などは世界とか現実とかで
行うことだと考えた
→要は、人間は世界や現実の中でしか生活することができないと考えた
=この考え方からハイデッガーは、人間の現実を「世界内存在」と名づけた
・ハイデッガーは、人間について・・
→・人間は、自分が人間として自覚できる存在(現存在)として、
すでに世界の中にいると考えた
・人間は、世界の中にいることが自覚できる分、
自分を取り戻す可能性があるとも考えた
→しかし現状は、「ひと(世間人)」として好奇心に気を取られたりして、
あいまいな日常を送っていると考えた
→ハイデッガーは、このような考え方から、人間が「ひと」から実存(本当の自分)に戻るのは
「死」を意識するときだと考えた
・また、ハイデッガーは・・
・人間は常に死に関心を抱いているから、どうしても自分を見つめてしまう
・また人間は、死に関心を抱くと同時に、死を忘れようとして、
その時だけ気を紛らわそうとする と考えた
→このような考え方からハイデッガーは、人間を「死への存在」だと考えた
※そのため、ハイデッガーは死を覚悟して、死を自分のこととして考えることで、
日常を超えて、超越した実存の自由を見ることが出来ると考えた
・サルトルについて
※第二次世界大戦後は、フランスで実存主義が注目され、サルトルが活躍した背景がある
・サルトルは「存在と無」という本を書いた
・サルトルの考え方について
・サルトルは、
もし神がいるならば、人間は神に作られたものだから、
人間の本来あるべき姿は元々決まっていると考えた
=このような考え方を、「本質は実存に先立つ」と表現する
※しかし、サルトルは、人間は自由であり、神に作られたものではないと考えた
=このような考え方を、「実存は本質に先立つ」と表現する
→サルトルは、「実存は本質に先立つ」の立場に立った
・サルトルは、人間は生き方を決められていて自由な存在だと考えていた
しかし、自由だということは、自分のことは自分の責任で決め、
他人や人類に責任を負うものだと考えた
→このような考え方から、サルトルはアンガージュマンを提唱した
※アンガージュマン・・自分の世界だけで終わるのではなく、
社会に参加していこうとする考え方のこと