冷戦後の世界の動きについて
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冷戦後の世界の動きについて考えてみます
・民族自決について
・冷戦が終わったことによって、世界各地で民族自決(それぞれの民族が自分で決めること)の
動きが出てきた
→それと一緒に、様々な問題も見えてきた
・冷戦後の問題について
・1991年にバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)が独立したが、
チェチェン紛争は激しくなった
・旧ユーゴ連邦が解体したことによって、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起きた
・コソボ問題が起きた
・ルワンダという国などを含めた、アフリカでの民族や部族の対立という問題が出てきた
・パレスチナ紛争は解決されていない
→このような地域紛争が多く、中には人間らしくない虐殺なども起きている
=そこで、国連は国際刑事法廷というものを設置して、
このような行為の処罰を行っている
・「同時多発テロ」について
・2001年にアメリカで「同時多発テロ」が起きた
→これによって、日本では様々な法律などが誕生した
・日本は2001年にテロ対策特別措置法という法律を作り、
自衛隊を海外に派遣して、アメリカ軍を支援した
(2008年には、新テロ対策特別措置法が作られた)
・2003年にイラクが大量破壊兵器を持っているかもしれない、
という疑いのもと、アメリカとイギリスが国連安全保障理事会というところの
正式な許可が出ないままイラク戦争を始めた
→そこで、日本は2003年にイラク復興支援特別措置法を作って、
2004年に自衛隊をイラクに派遣した
※イラク戦争の時に、アメリカの単独行動主義(ユニラテラリズム)が
考えられるようになった
→イラク戦争や京都議定書から抜け出したことなどは、
ユニラテラリズムの表れだと言われている
・日本の安全保障の問題について
・1989年に冷戦が終わり、ソ連が崩壊し、ロシア連邦になった
→そこで、日本とロシアとの間で、北方領土の問題はあるとしても、
平和条約を結ぶ方向が考えられている
・一方で日本は、戦争の放棄が書いてある平和憲法があるが、
世界の中でもかなりの上位に入るほどの軍事への支出をしていて、
矛盾しているのではないか、と言われている
→上の2つを考え、勢力均衡が世界で失敗したという事実を考慮した上で、
平和憲法の原則を守りつつ、自分の国の安全を維持していくことが重要だと言われている
※自国の安全の維持の方法の一つとして、
国連やASEAN地域フォーラム(ARF)などの多国間国際機構を使う、
ということが考えられている
→そのような機構を使うことで、ヒトや経済の交流を促して、
他の国や人々との信頼関係を作ってコミュニケーションや協力などを
土台にした国際政治をルールを作ることが大切だと言われている
※ASEAN地域フォーラム・・アジア太平洋地域の安全保障の問題について
多くの国との間で議論をするための枠組みのこと
→1994年に作られ、ASEAN諸国、日本、中国、
韓国、アメリカ、ロシア、EUなどが参加している