メディアのウソとコントロール
様々な情報を得る時に、必ず疑ったほうがいいと言われています。
確かに、疑うことは大切です。
リテラシー能力もなしに、いきなり情報を鵜呑みにするのは危険です。
一方で、疑い続けることも難しいですね。
相手のことを疑い続けるという疑心暗鬼な状況も危険です。
ただ、個人的には、「時間」という制約がかかっている情報は、疑いをかけるべきだと思います。
例えば、新聞。
新聞は、基本的に毎日出すことになっています。
しかし、24時間で本当に中身の濃いものにすることはとても難しいです。
でも、売れないと困るわけです。
そうすると、多少ウソを混ぜてでも売ったほうが、いいんじゃね?
っていう発想もありえるわけです。
他には、雑誌。
週刊誌とか、芸能ニュースとかそうですけど、基本的に買って読んでもらう必要があります。
雑誌だけでなく、食品や雑貨などの様々な商品もそうですけど、相手のことを考えた商品作りが必須なわけです。
そうすると、雑誌を作る人達は何を考えるのか。
「読者が求める内容」を盛り込もうとする。
これは、当然と言えば当然の話なんですけど、あくまでも商品なんで、
売るために誇張をしたり、多少のウソが混じったりする可能性があるわけです。
そう考えると、新聞や雑誌だけでなく、テレビやラジオ、インターネットなどの媒体は
必ず疑う必要が出てきます。
さらに、これらの情報を記事や映像にするのは誰か?というと、
必ず人間なんですね。
人間なんで、間違いもあります。感情もあります。
そうすると、
「中立的」な情報を提供する、っていうのはすごく難しいんですね。
その情報は事実かもしれません。でも、その情報を自分の中で判断する時に、
記事や映像の用いり方一つで変わってくるわけです。
新聞社によっても思想が違えば、書き手によって考え方が違うわけです。
だからこそ、情報は常に疑ったほうがいいですね。
ただし、今までの話から考えてみると、逆に情報をコントロールする、という発想も出来るわけです。
相手にバレないように多少のウソを混ぜて話やプレゼンなんかをすると、相手を信用させやすかったり、
相手をコントロールさせやすかったりする可能性が出てきます。
それを上手に行っているのが宗教なんかじゃないのかも。とか個人的には思っていますが。
だからこそ、情報は疑って、上手に生かしていきたいと思う昨今でした。