ポリスの変質とペロポネソス戦争について
ポリスの変質とペロポネソス戦争について考えてみます
・ポリスの変質について
・当時は、デロス同盟によって、アテネが急速に勢力を拡大していた
→そのため、ペロポネソス同盟のトップだったスパルタは、アテネを恐れていた
=その後、対立するアテネとスパルタは、紀元前431年に
ペロポネソス戦争という戦争を始めた
・ペロポネソス戦争について
・ペロポネソス戦争は、
・民主政ポリスを中心としたアテネ側と、
・貴族政ポリスを中心としたスパルタ側
の2つに分かれて戦うことになった
・戦争は、最初はアテネ側が優勢だった
→しかし、疫病の流行でペリクレスが亡くなってしまったため、
アテネ側の政治が混乱するようになってしまった
→さらに、スパルタはペルシアと手を組んだ
=その結果、スパルタが勝利し、アテネが敗北した
・ペロポネソス戦争後の様子について
・戦争の後、紀元前4世紀なかばに、スパルタに代わって
テーベが一時的に主導権を握るということが起きた
→一方で、アテネは敗戦後も民主政を維持し続けたために、
勢力を取り戻してきた
※さらに、ペルシアがギリシア人どうしを戦わせるように仕向けるということを行った
=その結果、有力なポリスの間の争いはおさまることがなかった
・様々な戦争が続くあいだに、ポリスの中で土地を失って
市民の身分から奴隷に落ちてしまう人が増え始めた
※それと同時に、市民軍の代わりに、お金で雇われて働く傭兵というのが
流行するようになった
=その結果、市民団の団結が失われ、ポリス社会が変わり始めた
・その後、紀元前4世紀の後半に、ポリスを作らなかったギリシア人の一派だった
北方のマケドニアというところが、
フィリッポス2世という人をトップに置いて軍事力を高めていった
→そして、紀元前338年にカイロネイアの戦いという戦いが起きた
=そこでマケドニアはテーベとアテネの連合軍を倒した
→そして、フィリッポス2世はスパルタ以外の全てのギリシアのポリスを
コリントス同盟(ヘラス同盟)に集めて自分の支配下に置いた
ポイント
・ポリスの変質の流れについておさえる
・ぺロポネソス戦争の内容と流れをおさえる
このあたりが今回のポイントです