ヘレニズムについて -流れと当時の様子-
・ヘレニズムの時代までの流れについて
・フィリッポス2世の子供にアレクサンドロス大王という人がいた
→アレクサンドロス大王は、マケドニアとギリシアの連合軍を連れて、
紀元前334年に東方遠征をした
※東方遠征には、今までギリシアの国々の争いに時々絡んでいた
ペルシアを倒すという目的があった
=結果的に大王は、エジプトを征服し、ギリシアを倒した
※さらにその後は、連合軍を連れてインドの西北部にまで行き、
東西にまたがるほどの大きな帝国を作った
・しかし、アレクサンドロス大王が急死するという出来事が起きた
→そのとき、アレクサンドロス大王が持っていた領土はディアドゴイ(後継者)と呼ばれる
部下の将軍たちによって争われた
=その結果、アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、
プトレマイオス朝エジプトなどの国々に分裂した
=以上の流れを踏まえ、大王の東方遠征から
一番長く続いたプトレマイオス朝エジプトが滅亡する(紀元前30年)
までの約300年間をヘレニズム時代という
・ヘレニズム時代の様子について
・ヘレニズムの時代は、ギリシア風の都市がオリエントやその周辺に多く作られた
→これらの都市を中心にギリシアの文化が広がっていった
※中でも、エジプトのアレクサンドリアは、
経済や文化の中心の都市として大いに栄えた
・ポリスはマケドニアに征服されて政治的な独立を弱めたが、
ポリスをモデルとした文明生活の基本としての都市は、
その後も古代地中海世界に生き残り続けた
ポイント
・ポリスの変質についておさえる
・ペロポネソス戦争とその後の様子についておさえる
・ヘレニズム時代までの流れとその様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです