北方の勢力の動きについて - アラエス

北方の勢力の動きについて

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投稿者:       投稿日時:2013/10/10 17:15      
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北方の勢力の動きについて考えてみます

 

 

・北方の勢力の動きについて

 

 

 ※なぜ北方の勢力に注目する必要があるのか

  →唐が滅亡した後の東アジアに大きく関わっていったのは、北方民族の勢力だったから

 

  →そして、遼河の上流で契丹(キタイ)という人達が半農半牧という生活を送っていた

   =契丹は、ウイグルが衰退すると同時に勢力を強めていった

 

 

 

 ・10世紀の初めに、東モンゴルを中心に耶律阿保機(太祖)という人が

  契丹帝国という国家を作った

  →契丹の東側は、渤海を倒した 

  →契丹の西側は、モンゴル高原を支配した

  →五代の後晋の建国をサポートした

   =このサポートによって、燕雲十六州(河北・山西の北部)を領土に加えた

 

  ※契丹は、宋が出来てからも華北に侵入していって、宋に圧力をかけていた

   →そのため、11世紀の初めには、宋が毎年多くの銀や絹を契丹に送るという

    条件のもと和議を結んだ

    =この和議を、澶淵の盟という

 

 

 

 ・契丹の特徴として、以下のようなことが挙げられる

  →・契丹は、北方民族として本拠地を維持しつつ、中国国内を支配していった最初の国家だった

   ・契丹の領内には、狩猟、農耕、遊牧など、様々な仕事を行う様々な民族がいた

   ・官制は、部族制を用いた北面官、州県制を用いた南面官というような区別をしていた

    →このようにして、性格が違う社会をまとめていこうとしていた

     =このような統治の体制を、二重統治体制という  

      ※州県制・・地域の枠組みを、州と県にしようとした制度のこと

   ・国名は、民族の名前である契丹を使う時期と、中国風の遼と名乗る時期があった

   ・契丹は、最初はウイグル文化の影響を受けていた

    →その後、中国の文化を吸収することで、仏教を受け入れていった

   ・太祖などは、契丹文字というものを作った

    ※契丹文字は、ウイグル文字と漢字との両方の影響を受けていると言われている

 

 

 

 ・宋の西北の辺境である陝西・甘粛地方というところには、チベット系の

  タングートという人達がいた

  →タングートは、近くにいた吐蕃やウイグルを倒した

   =そのため、独立して国号を大夏とした

    ※一般的には、西夏と言われている

 

  →西夏には、以下のような特徴がある

   ・中国と西方を結ぶ重要な場所だった

    ※そのため、たびたび宋に侵入していた

   ・仏教が盛んだった

   ・漢字の構造を参考にした西夏文字というものが作られた

    ※西夏文字では、多くの仏典が翻訳された

 

 

 

 ・契丹の勢力が及んでいた範囲の東部には、ツングース系の女真(女直)と

  呼ばれる人たちがいた

  ※女真は、半猟半農の生活を行い、契丹に支配されていた

  ※女真は、女真文字という独自のものを作った

 

 

 

 ・12世紀の初めに、完顔阿骨打(太祖)という人が独立して、金という国を作った

 

 ・宋は、金と手を組んで、1125年に契丹を倒した

  →この時、遼の皇族だった耶律大石という人は中央アジアに逃げて、

   西遼という国家を作った

   =このような形にすることで、耶律大石が契丹の文化を西側で守っていた

 

 

 

 ・遼が滅亡した後、宋と金が領土をめぐって争うようになった

  →その時、金は華北に侵入して、宋の都である開封というところを占領した

 

 

 

 ・金は、部族制を中心とした猛安、謀克という今までの軍事や社会組織を維持してきた

  ※一方で、華北では宋の州県制が受け継がれていた

 

 

ポイント

・契丹の動きをおさえる

・契丹の周辺の動きとその様子をおさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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