中世の交通ネットワークについて② -草原の道・海の道-
中世の交通ネットワークについて、草原の道、海の道について考えてみます
・中世の交通ネットワークについて
・ユーラシア大陸では、古くから以下の三つの道が東西文化の交流とお互いの発展の上で
重要な役割を果たしていた
→・内陸アジア北部を東西に結ぶ草原の道
・草原の道の南にある砂漠地帯に存在するいくつかのオアシス都市を結ぶ
オアシスの道(シルク=ロード)
・南側の海上を船で往来する海の道
・草原の道について
※草原の道・・南ロシアの草原地帯から東に向かって、カザフ草原からモンゴル高原を通って
中国に至る道のこと
・草原の道で活躍したのが、騎馬遊牧民だった
→騎馬遊牧民は、紀元前6世紀のスキタイ以降、騎馬による機動力と武器を持って
各地を侵略し、国家を作った
→その後は、以下のような流れで変化していった
・紀元前3世紀に匈奴が強力になった
・4世紀の終わりに鮮卑が中国で北魏を作った
・4~5世紀にフンがヨーロッパに侵入した
・隋や唐の時代に、突厥やウイグルが中国北辺をおびやかした
・10世紀ころから、中央アジアでイスラーム化したトルコ系民族が
西アジア方面へ進出した
・13世紀ころから、モンゴル民族がユーラシア大陸の東西にわたって
征服活動を行った
=以上のような動きが、交易のネットワークをさらに拡大する結果をもたらした
・武力による騎馬民の活動は、中央アジアのオアシス民や東西各地の文化圏をおびやかした
→その反面、騎馬民は情報の収集に熱心で、新しい文化の受け入れにも積極的だった
=騎馬民は、東西文化の交流や伝播のうえで、大きな役割を果たし続けた
・海の道
・地中海から紅海やペルシア湾を通り、アラビア海をわたってインドに達し、
さらに東南アジアや中国にいたる海の道も古くから開き、船による交易が活発に行われた
・インドと西方との貿易は、ローマの発展に呼応してギリシア系商人が
活動を始める1世紀ころから盛んになった
・1世紀ころ、インドと中国を結ぶ航路も開き、商人たちはローマ領から海の道で
中国の沿岸部にいたった
・海の道による中継貿易の中心地は南インドだった
→南インドと結ぶ東南アジアのマラッカ海峡やインドシナ半島南部も航海上で重要だった
=これらの地域では、港町を中心に港市国家が相次いで作られ、
香辛料や陶磁器、茶などの交易によって栄えた
※港市国家・・東南アジア沿岸部の港市(港町)を中心に建設された国家のこと
※インドのサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)、スリランカ(セイロン島)、
扶南、チャンパー、シュリー、ヴィジャヤなどは、
港市国家として海上貿易で栄えた国々だった
ポイント
・交通ネットワークの概要をおさえる
・草原の道についておさえる
・海の道についておさえる
このあたりが今回のポイントです