ティムール朝の動きについて

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投稿者:       投稿日時:2013/10/14 06:03      
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ティムール朝の動きについて考えてみます

 

 

・ティムール朝について

 

 

 ・14世紀の半ばころから、中央アジアのチャガタイ=ハン国が

  東西に分裂するということが起きた

 

 

 ・西チャガタイ=ハン国出身のティムールという人は、1370年にティムール朝を開いた

  →この時に、東と西のトルキスタンを統一した後、西に進んで

   イル=ハン国が滅亡した後の領土を合わせた

   ※統一の間、ティムールは以下のようなことを行った

    ・キプチャク=ハン国や北インドに侵入した

    ・小アジアに攻めていって、1402年にアンカラ(アンゴラ)の戦いで

     オスマン軍を倒した

    ・スルダンを捕虜にした

    ・明を倒そうとして遠征に出発したが、その途中で病死した

 

  →ティムールが死んだ後、ティムール朝の広い領域は東西に分裂し、

   ともにトルコ系ウズベク族にほろぼされた

 

 

 

 ・ティムールがイラン人の世界とトルコ人の世界を統一したことによって、

  以下のようなことが起きた

  →・イル=ハン国で成熟をとげたイラン=イスラーム文化が中央アジアに伝えられた

    →その結果、トルコ=イスラーム文化として発展した

   ・首都のサマルカンドには、壮大なモスクが作られ、14~15世紀には

    中央アジアの商業や学芸の中心として繁栄していった

 

  →ティムールやその子孫は学芸を好んだ

   ※そのため、以下のようなことが起きた

    ・宮廷ではイラン文学や細密画の傑作が作られた

    ・すぐれたトルコ語の文学作品があらわれた

    ・ウルグ=ベクが建設した天文台を中心に天文学や暦法が発達していった

 

 

ポイント

・ティムール朝の動きについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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