清の統治について
清の統治について考えてみます
・清の統治について
・李自成が明を滅ぼすと、長城の東端の山海関というところで清軍の侵入を防いでいた
明の武将だった呉三桂という人が清軍に降伏するということが起きた
→この時に、清軍は長城内に入って北京を占領した
・北京に遷都した清は、中国全土に支配を広げ、南方の雲南、広東、福建に呉三桂など
3人の漢人武将を配置して、藩王とした(これを三藩という)
・一方で、鄭成功という人とその一族が、東南沿海で武装貿易船団を連れて、
反清活動を行っていた
→鄭成功は、オランダ人を倒して1661年に台湾を占領した
=結果的に、鄭成功は台湾を拠点に清に抵抗した
・その後、清朝が三藩の撤廃を行おうとすると、呉三桂などは1673~1681年に
三藩の乱を起こした
→しかし、第4代の康熙帝という人は、厳しい海禁政策で鄭氏の財源を絶った
→その後、1683年に鄭氏を降伏させて台湾を領土にした
=そして、康熙帝は三藩の乱を鎮圧して、清朝統治の基礎を固めた
・清朝の皇帝は、以下のような側面があった
→・中国歴代王朝の伝統をつぐ皇帝であった
・満州人やモンゴル人にとってはモンゴル帝国のハンの伝統をつぐ
北方遊牧社会の君主でもあった
・清朝の前半は、康熙帝、雍正帝、乾隆帝と有能な皇帝が続いた
→この人たちは、上の2つの側面を兼ね備えて独裁的な権力をふるっていた
※清朝の前半の皇帝は、以下のような生活を送っていた
・普段は、北京の紫禁城というところで政治の仕事を行っていた
・夏の数か月は、北京を離れて北方の猟場や離宮で過ごし、狩りなどを行っていた
・清朝は、中国の統治の時に、科挙や官制などは明の制度をほぼ受けついだ
→そして、儒学を振興することで中国王朝の伝統を守る姿勢を見せた
・一方で、軍制では、漢人を組織する緑営の他に、満州、モンゴル、漢の3軍で編制する
八旗を重要な場所に置いた
→さらに、以下のような独自の制度も作った
・中央官制の重要な役職の定員は、満州と漢が同じとした
・雍正帝の時は、皇帝直属の諮問機関の軍機処というのを設置した
・また、「康煕字典」「古今図書集成」「四庫全書」などの大規模な編纂事業を行なって、
学者を優遇した
※しかし、反清的な言論に対しては、文字の獄で厳しく弾圧し、
禁書を行って思想を統制した
・文字の獄・・書物の中の反清、反満州的な文字を摘発し、
その作者を厳しく処罰した出来事のこと
・漢人の男性に対しては、辮髪(べんぱつ)を強制した
→辮髪の強制は、最初は激しい抵抗を受けたが、清朝は一貫して辮髪の方針を貫いた
※当時は、白蓮教などの民間宗教も、邪教として厳しい弾圧を受けた
ポイント
・清朝の誕生とその動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです