植民地としてのインド社会について
植民地としてのインド社会について考えてみます
・植民地としてのインド社会について
※イギリスが本格的な統治を始めた19世紀前半のインド社会は、ものすごく沈んだ社会だった
・イギリス東インド会社は、産業革命によって力をつけてきたイギリス本国の産業資本の
圧力によって、特権を維持することが困難になった
→そのため、1813年にインドとの貿易独占を廃止された
→さらに、1833年に、残されていた茶との取引と中国貿易の独占権が廃止された
=そして、結果的に商業活動そのものの停止が決められた
※以上のようにして、東インド会社はインドの統治者に変身した
・植民地政府の最大の目的は、より多くの富を効率よく収奪することだった
→最大の収入源は地税だった
※地税の徴収に関しては、ザミンダーリー制やライヤットワーリー制などが実施された
・ザミンダーリー制・・政府と農民との間を仲介する人に徴税を任せ、
その仲介者に土地の所有権を与える制度
・ライヤットワーリー制・・仲介者を排除して農民(ライヤット)に土地所有権を与え、
農民から直接税を徴収する制度のこと
・上のような土地制度の導入は、インド社会に深刻な影響を与えたと言われている
※導入以前のインド社会
・一つの土地に対して、耕作者、洗濯人、床屋、大工などの様々な仕事をする人々が
権利を持っていた
・権利を持っている人は、村の総生産の一部を得て生活していた
※導入後のインド社会
・人々の中から1人だけが選ばれて土地所有者とされた
・一方で、他の人々の権益は無視されるようになった
・今までの共同体的な人と人との関係が大きく変化することになった
・税額がきわめて重かったため、人々は苦しい生活を強いられた
・インドが世界に誇っていた綿布の生産でも、以下のようなことが起きた
→・産業革命以後、イギリス製の機械製綿布が流入してインド製品を圧倒し始めた
・1810年代の終わりには、輸出と輸入の割合が逆転した
=インドは、綿花、藍、アヘンなどの一次産品を輸出し、
イギリスから製品を輸入する立場に転落した
ポイント
・植民地としてのインド社会の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです