植民地の時のインドの大反乱について
植民地の時のインドの大反乱について考えてみます
・インドの大反乱について
・上のような沈んだインドの状況の中で、19世紀の後半に入ってから(1857~59年)
インド人傭兵(シパーヒー)による大反乱が起きた
→反乱の直接的なきっかけは、新式銃の弾薬包だった
※弾薬包は、口で噛み切る必要があったが、当時の弾薬包にはヒンドゥーにとって
神聖な牛の脂とムスリムが嫌う豚の脂が塗ってあったから、反乱のきっかけになった
※その他に、以下のような反乱の理由があった
・藩王国とりつぶし政策によって没落した旧支配層が不満を持っていた
※藩王国とりつぶし政策・・王に継承者がいない場合に、養子を認めず、
藩王国をとりつぶして東インド会社が
領地を併合してしまう政策のこと
・シパーヒーが植民地支配の安定によって解雇されたことに反感を持っていた
→蜂起したシパーヒーはデリー城を占拠し、名目だけの存在だったムガル皇帝を擁護した
※しかし、指揮系統の混乱やイギリスの軍事的な立て直しによって、
だんだんと鎮圧されていった
=結果的に、1858年にムガル皇帝が流刑に処せられ、
ムガル帝国は名実ともに滅亡した
・1858年に、イギリスは東インド会社を解散して直接的な統治に乗り出した
→その後、1877年にはヴィクトリア女王がインド皇帝に即位して、
インド帝国が成立した
※インド帝国では、以下のような動きが見られた
・新しい体制のもとで、司法や行政の全般にわたって統治体制が整備された
・今までの強圧的な政策ではなく、「分割統治」という言葉に示されるように、
インド人のあいだに対立を醸し出すような、巧妙な政策が取られるようになった
ポイント
・インドの大反乱の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです