近代の欧米諸国の条約について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/14 17:18      
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近代の欧米諸国の条約について考えてみます

 

 

・欧米諸国の条約について

 

 

 ・清は、アヘン戦争ですぐれた兵器を持つイギリス海軍に連敗した

  →その結果、1842年に南京条約を結んだ

   ※南京条約では、以下のようなことが考えられた

    ・香港島の割譲

    ・上海、寧波、福州、厦門、広州の5港を開く

    ・公行の廃止

    ・賠償金の支払い

   ※そして、1843年に以下のような不平等条約を結んだ

    ・領事裁判権(治外法権)を認めた

    ・協定関税(関税自主権)を認めた

    ・最恵国待遇を認めた

   ※さらに清は、1844年にアメリカ合衆国と望厦条約という条約を、

    フランスと黄埔条約という条約を結んで、イギリスと同じ内容の権利を認めた

   ※イギリスは1845年に最初の租界(外国が行政権を持つ区域)を上海に設けた

 

 

 

 

 ・しかし、戦後の交易でも欧米諸国が期待したほどの利益はあがらなかった

  →そこで、不満を抱いたイギリスは条約改定の機会を狙っていた

 

 ・1856年の広州で、アロー号事件というのが起こった

  ※アロー号事件・・イギリス船籍を主張する船の中国人乗組員が海賊容疑で

           逮捕されるという事件のこと

   →イギリスは、この事件を口実として、フランスに呼びかけて共同で出兵を行った

    =その結果、アロー戦争(第2次アヘン戦争)を起こした

 

  ※アロー戦争では、イギリスとフランスの軍が広州を占領し、海路を北上して天津にせまった

   →その結果、1858年に天津条約を結んだ

 

  ※しかし、次の年の1859年に、批准書交換の使節の入京を清の軍が武力で阻止する

   ということが起きた

   →この出来事をきっかけに、イギリスとフランスの軍は再び出兵して北京を占領した

    =その結果、1860年に北京条約を結んだ

   ※この出兵の時に、イギリスとフランスの軍が円明園の離宮で略奪を破壊を行って、

    円明園は廃墟になった

 

   ※北京条約では、以下のような内容が決められた

    ・清の外国公使の北京駐在を認めた

    ・天津など11港を開港した

    ・外国人の中国内地での旅行の自由を認めた

    ・キリスト教布教の自由などを認めた

 

 

 

 

 ・19世紀のなかばに、ロシアが東シベリア総督のムラヴィヨフという人のもとで

  中国への圧力を強化した

  

  →そして、1858年には清とロシアとの間でアイグン条約という条約を結んで、

   黒竜江より北を領有した

  

  →その後、1960年に清が北京条約を結んで、沿海州を獲得し、

   ウラジヴォストーク港を開いた

   ※この港を太平洋進出の根拠地とした

 

  →そして、イスラーム教徒の反乱をきっかけに、イリ地方に出兵するということが起きた

   ※この出来事をイリ事件という

    =その後、1881年のイリ条約で清との国境を有利に取り決めた

 

 

 

 ・中央アジア方面でも、南下の勢いを示した

  →19世紀のなかごろには、ウズベク人のブハラ、ヒヴァ、コーカンドの

   3ハン国を支配下に置いた

 

 

ポイント

・清と欧米の国々との条約とその内容についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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