アメリカ大陸の発見について

閲覧数:2,630
投稿者:       投稿日時:2013/10/14 18:22      
評価数:1
評価 : 平均:1点 | 総合:1点
コメント数: 0       お気に入り登録数:4

LINEで送る
Pocket

アメリカ大陸の発見について考えてみます

 

 

・アメリカ大陸の発見について

 

 

 ・スペインでは、1492年に女王のイサベルという人が、ジェノヴァ生まれの船乗りである

  コロンブスの船団を「インド」に向けて派遣した

  ※当時の西欧の人々は、東アジア、東南アジア、南アジアを含むアジア大陸の東半分を

   漠然と「インド」と呼んでいた

 

 ・コロンブスは、フィレンツェの天文学者のトスカネリという人の説を信じ、大西洋を横断した

  →その結果、バハマ諸島のサンサルバドル島に到着した

  ※トスカネリの説・・大地は球形で、大西洋を西に向かって進む方が「インド」への

            近道だとする考え方のこと

 

  →コロンブスは、その後今日のアメリカ大陸にも上陸した

   ※この時にコロンブスは、アメリカ大陸を「インド」の一部だと思い込んでいた

    =そのため、先住民をインディオ(インディアン)と呼んだ

 

 

 ・1500年に、ポルトガル人のカブラルという人がブラジルに漂着し、

  ブラジルをポルトガル領にした

  →その後、フィレンツェ生まれのアメリゴ=ヴェスプッチという人が

   南アメリカを探検した

   =その結果、コロンブス以来探検が進んだ土地が、アジアとは別の大陸であることが

    明らかになった

    ※そこで、この新しい土地を、アメリゴの名前を取って、アメリカにした

 

 

 

 

 ・スペイン王室の命令で、ポルトガル人のマゼラン(マガリャンイス)という人は、

  1519年に香辛料の特産地であったモルッカ諸島を目指して、西回りの大航海に出発した

  →その結果、南アメリカ南端の海峡(マゼラン海峡)を通って太平洋を横切り、

   1521年にフィリピンに着いた

   ※マゼランは、フィリピンで死んだが、マゼランの船団のうちの1隻が

    アフリカ回りでスペインに帰国した

    =そのため、史上初の世界周航を成功させて、大地が球形であることを証明した

 

   ※フィリピンについて

    ・フィリピンでは、スペインの植民地化が進んだ

    ・フィリピンの名前は、スペイン国王のフェリペ2世という人からつけられた

 

 

 

 

 ・スペイン王室は、「征服者」(コンキスタドール)の率いる軍隊をアメリカ大陸に送り込んだ

  →その時に、まずコルテスという人が1521年にアステカ王国を破ってメキシコを征服した

  →その後、1533年にピサロがインカ帝国を滅ぼし、首都のクスコを破壊し、

   新しい首都のリマを建設した

  ※スペイン人の植民地は、インディオを労働力として使ったが、聖職者のラス=カサスのように、

   インディオの救済に力を入れた人も一部にはいた

 

 

ポイント

・アメリカ大陸の発見までの流れをおさえる

・アメリカ大陸の発見のその後についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

閲覧数:2,630
LINEで送る
Pocket


(1名の投票, 平均点: 1.00, 総合点:1 | 未評価)
Loading ... Loading ...
投稿者:
投稿日時2013/10/14 18:22

コメント数: 0
お気に入り登録数:4



コメントを残す