アメリカ大陸の発見について
アメリカ大陸の発見について考えてみます
・アメリカ大陸の発見について
・スペインでは、1492年に女王のイサベルという人が、ジェノヴァ生まれの船乗りである
コロンブスの船団を「インド」に向けて派遣した
※当時の西欧の人々は、東アジア、東南アジア、南アジアを含むアジア大陸の東半分を
漠然と「インド」と呼んでいた
・コロンブスは、フィレンツェの天文学者のトスカネリという人の説を信じ、大西洋を横断した
→その結果、バハマ諸島のサンサルバドル島に到着した
※トスカネリの説・・大地は球形で、大西洋を西に向かって進む方が「インド」への
近道だとする考え方のこと
→コロンブスは、その後今日のアメリカ大陸にも上陸した
※この時にコロンブスは、アメリカ大陸を「インド」の一部だと思い込んでいた
=そのため、先住民をインディオ(インディアン)と呼んだ
・1500年に、ポルトガル人のカブラルという人がブラジルに漂着し、
ブラジルをポルトガル領にした
→その後、フィレンツェ生まれのアメリゴ=ヴェスプッチという人が
南アメリカを探検した
=その結果、コロンブス以来探検が進んだ土地が、アジアとは別の大陸であることが
明らかになった
※そこで、この新しい土地を、アメリゴの名前を取って、アメリカにした
・スペイン王室の命令で、ポルトガル人のマゼラン(マガリャンイス)という人は、
1519年に香辛料の特産地であったモルッカ諸島を目指して、西回りの大航海に出発した
→その結果、南アメリカ南端の海峡(マゼラン海峡)を通って太平洋を横切り、
1521年にフィリピンに着いた
※マゼランは、フィリピンで死んだが、マゼランの船団のうちの1隻が
アフリカ回りでスペインに帰国した
=そのため、史上初の世界周航を成功させて、大地が球形であることを証明した
※フィリピンについて
・フィリピンでは、スペインの植民地化が進んだ
・フィリピンの名前は、スペイン国王のフェリペ2世という人からつけられた
・スペイン王室は、「征服者」(コンキスタドール)の率いる軍隊をアメリカ大陸に送り込んだ
→その時に、まずコルテスという人が1521年にアステカ王国を破ってメキシコを征服した
→その後、1533年にピサロがインカ帝国を滅ぼし、首都のクスコを破壊し、
新しい首都のリマを建設した
※スペイン人の植民地は、インディオを労働力として使ったが、聖職者のラス=カサスのように、
インディオの救済に力を入れた人も一部にはいた
ポイント
・アメリカ大陸の発見までの流れをおさえる
・アメリカ大陸の発見のその後についておさえる
このあたりが今回のポイントです